第8話 解体屋


「タンポポ、少し出る。お前も休憩した方が良い」


 神様の修繕を始めて三日、朝から晩まで篭りきりのあたしに合わせてシロガネ様も神様の部屋にずっといる。感覚を掴めるようになるまでに三日かかって、これから本腰を入れようとしていた矢先だった。ちょっと出鼻を挫かれた感はあるけれど言われてみれば集中しっぱなしで休憩をしていなかった。


「クチナシさんの淹れたお茶が飲みたいのでおねだりしてきます!」


「あぁ。一時間後に、また」


 神様の部屋を出てあたしたちはそれぞれの行き先に向かった。


「クチナシさーん! あの美味しいお茶、飲ませてください〜!」


 夫婦とはそういうものです、と教えてくれたクチナシさんはあたしの知らない、けれどシロガネ様に訊くには躊躇ってしまうようなことを教えてくれる。その時からあたしはクチナシさんのお茶がお気に入りになっている。


「そう仰る頃だと思って準備していましたよ」


「さっすがクチナシさん!」


 寝室以外に、あたしのための部屋として充てがわれた場所には寝台はないけれど簡易的なテーブルや椅子は置いてある。休憩する時は別に此処まで戻ってこなくても良いのだけれど、クチナシさんがいるのはこの近くだから此処でお茶を飲むことが多い。あたしがいない時にはクチナシさんには別の仕事があるのだろうし、こんなにねだって迷惑かなとも思ったけれど実は一緒に休憩できるので助かると言われてからは大手を振ってねだっている。


「作業は順調ですか」


 雨が降り続いて収穫物が軒並み減少しているこのチグサの国でお茶は高級品に該当するだろう。あたしは神官であるシロガネ様の妻、ということに今はなっているから飲ませてもらえるだけだ。この仕事を終えて前までの生活に戻った時にこのお茶が恋しくなるだろうことは既に分かりきっていた。今のうちに悔いが残らないように飲んでおかないと。


「感覚が掴めたからこの後から本腰入れてやるところです。物が古ければ古いほど集める神気の量は多いけど、どの程度の修繕をするか、自分が扱える神気とも相談しながらやります」


 温かなお茶をひと口飲んで。ふんわりと広がる香りはやる気を出させた。あたしに期待してくれているからこんなにもてなしてくれるのだ。あたしはその期待に応えないと。


 空気中に漂う神気は集めきってしまえば再び満ちるまでに時間がかかる。あるいは集める範囲を広げるか、場所を移動するか、になるけれど……神様を抱えて移動はできないし集める範囲を広げればあたしが限界を迎えてしまう。シロガネ様に頼るのはもしもの時に限った方が良いだろう。だから手に入る神気と、自分が持ち合わせている神気とで効率良く修繕を施していかなければならない。


 既に廃棄まで秒読み状態に見える神様を修繕したとして劇的にこの天候が変わることはない、と思う。あたしの力量でできる修繕と朽ちていく速度はイタチごっこで、どちらが先に根を上げるかという分の悪い勝負だ。でも。


「あたしは諦めませんから。絶対に直してみせます」


 はい、とクチナシさんは目を細めて穏やかに微笑んだ。切なそうにも見える表情はあたしを信じて良いものかきっとまだ迷っているのだろうと思う。シロガネ様が言うから、連れてきたから受け入れてくれているだけであることはあたしにも解っている。信じられる成果をあたしはまだ、見せていない。


「よーし! 美味しいお茶を飲んだし、がんばるぞー!」


 クチナシさんと一緒に、もうこれ以上は出なさそう、というくらいまで出涸らしを飲み尽くしてあたしは休憩を終える。シロガネ様と約束した時間までもう少しだ。そろそろ戻った方が良い。


「今日は限られた範囲ではありますが神殿を一般開放している日です。シロガネ様がいらっしゃるならとお話を聞きたい民衆が多く詰めかけます。作業される場所とは離れてはいますが、迷い込む人もいるかもしれません。見知らぬ人物にはくれぐれもお気をつけて」


 椅子から立ち上がるあたしにクチナシさんは心配そうな目を向けた。心配される理由が判らなくて首を傾げれば、クチナシさんは口を開いた。


「『解体屋』による神殿襲撃はままあります。高名なシロガネ様がいらした理由はひずみ神にしないためであることは周知の事実。このような一般開放は本来であれば断るところなのですが……人々の不安も限界なのです。シロガネ様のお姿を見て、お話を聞いて、安心したい。此処が焦土と化さないと信じたい──そういう想いを踏み躙ることは神殿にはできません」


 解体屋、がどういう存在なのかあたしには判らなかった。だからそれから訊いたら、クチナシさんは流石に驚いた様子を見せて取り繕うように微笑んだ。あたしがあまりにも世間知らずなことにはまだまだ驚かせてしまうかもしれない。


「『解体屋』は……神様を意図的に破壊しようとする者です。故郷が焦土と化す不安に耐えきれず破壊衝動を抑えられない者、たまたまその時、境界を超えて違う国にいたために二度と故郷へ帰れなくなった故郷を失った者。また……神殿の中を知っているからこそ協力する神殿を出た子どもがいることも、あるようです」


 え、とあたしは目を丸くした。先日クチナシさんから教えてもらった神殿で産まれた子どもは自分の意志で此処を出ていくことができる自由が、そんな風に使われるなんて想像もしていなかった。クチナシさんも苦しそうに眉根を寄せている。


「多くは神様を信じ、救いを求めます。危うくなれば他の国へ逃げることも許されています。神殿へ身を寄せる者を受け入れる際にそういった心持ちでないかを念入りに調べます。けれど神殿へ救けを求めなかった者は、神を恨むようになるのです。転じて、修繕師を襲撃することも、神殿を襲撃することも珍しくはありません」


 その国を守る神様がひずみ神になってしまったら、その土地は呪われる。其処にいた者は他の神様の領域へは境界を越えて行けないし、逆もまた然りだ。呪いが解けるのをただただ待つしかなく、それにはその神様が神様として在った期間と同じだけの時間が必要になる。あるいはその呪いに打ち勝つだけの新しい神様が生まれるのを待つしかない。クチナシさんはそう教えてくれた。


 いずれにしても物が神様になるのに百年は必要と言われていて、その時たまたま離れていたというだけの理由で二度と会えなくなる人が出る。それは神様を恨むに充分な理由になり得るのだとクチナシさんは言う。神様を恨めるほどだから、人にも躊躇なく向けられて時に傷つけられる。そんなことがないようにと、クチナシさんは心配してくれたのだ。


「大丈夫! 知らない人には話しかけませんから!」


 クチナシさんの心配を無碍にするつもりはない。でも安心させたくて、あたしは自信満々に胸を叩いて答えた。


 神殿の出入り口付近は確かにいつもとは違う賑わいが聞こえてきていて、シロガネ様が少し出ると言ったのはその時間だったからなのかもしれない。それならシロガネ様は休憩をしていないだろう。お疲れじゃないかな、と考えながら歩いて神様の部屋に向かっていたら。


 地面がひっくり返った。何が起きたか判らない。地面じゃない。あたしがひっくり返されているのだと気づいたのは、降り止まない雨が近くの地面を打っているのを見て、うつ伏せに地面と平行になっているのを認めた時だ。愚かにも首元に冷たい金属が当てられ、ようやくクチナシさんの話を思い出す。


 話しかけなくても待ち伏せされて狙われるなんて聞いてない、とは言えず、あたしは刺客を視線を精一杯に向けて視界に収めた。


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