第6話 夫婦というもの
「タンポポ、そんな状態で修繕ができるのか?」
「き、緊張して眠れなくて……」
一晩明けて目覚めたシロガネ様があたしの顔を見て驚いて尋ねてきたからあたしは辛うじて嘘ではないことを返す。
いきなり夫婦となった人と同じ部屋で眠ることになって、緊張しない方が無理というもので。こちとら誰かと眠るのだって久々なのだ。此処へくる道中だって宿の部屋は別だったのに、いきなりどうして。
あまり表情の変わらないシロガネ様でも驚くくらいひどい顔をしているようだ。いやまぁ、一晩全っ然眠れなかったから分かっているけど。当のシロガネ様はぐっすりで、あまりにも動かないし寝息が聞こえないから生きているか何度か確認した。
「昨日チグサの神と対面した時にはそう怖気付いているようには見えなかった。修繕した物がアイテツの国の神だと知った時もだ。今になって緊張したと言うより旅の疲れが出たか? お前はあの村から出たことがないと話していたな」
旅の途中、無言で往くのもどうかと思ってあたしから話しかけて割と一方的に喋った内容をシロガネ様は覚えていてくれたらしい。今度はあたしが驚く番だった。そうです、と頷きはしたけれど労うような声の響きを感じたせいかもしれない。
「一日でも早く修繕作業に入って欲しいのは山々だが、その状態では神気の扱いにも影響が出るだろう。昼までは休むと良い。食事を摂ったら作業に入る。そのつもりでいてくれ」
シロガネ様が目を細めた。休息の時間を充分にはやれないが、と申し訳なく思ってくれているらしく、あたしは更に驚いて目を丸くした。いえ、と慌てて両手を胸の前で振る。
「すみません、元気が取り柄だったんですけど、あの、本当にすみません。お昼まで休みますっ」
言いながらあたしは布団を頭から被って横になった。申し訳なく思うのはあたしの方だ。仕事を依頼されてきたのにその仕事に取りかかれないなんて。しかも念願の修繕師にしてくれた人からの、正式な依頼なのに。居た堪れなくてぎゅっと両目を閉じる。情けなくて泣きそうなのを堪えていたら、布団の上から頭を撫でられた気がした。驚いたけれど気のせいかもしれないし、いきなり布団を捲って顔を出す勇気はなかった。
寝台からシロガネ様が降りて服を着替える衣擦れの音が聞こえてきた。外は相変わらずの雨で、それ以外にはびっくりしたあたしの心臓がうるさいくらいだ。これ、聞こえてたらどうしよう。
「タンポポ、行ってくる。また昼に会おう」
シロガネ様からそう言われたのにあたしは思いがけない言葉に返せず、シロガネ様はあたしからの返事がないことを何とも思わないのかそのまま歩き去ってしまった。
「……行ってらっしゃい、って、言うんだったよね……?」
偏屈ジジイは寡黙だった。挨拶はほとんどなくて、会話もほとんどなくて。あたしは気にせずひとりで喋る方だったけど、そういう挨拶の類を教えてくれたのは他の人だ。教わっても使う機会がないから馴染みがない。咄嗟の時には出てこない。
シロガネ様はそういうことを教えてくれる人のところで育ったのだろうか。あぁ、神殿の人だから皆が“家族”なのかもしれない。偏屈ジジイは間違いなく縁もゆかりもないあたしを育ててくれた恩人だし不満があるとすればもっと技術を吸収したかったのに年齢に負けたことくらいだけど、こういう誰かとのやり取りは後から村の人に教わったせいかどうにも、身についていないのだ。
修繕師として必要になりそうな分は身につけたと思ったけど、まだまだかもしれない。
雨の音を聞きながらそんなことを考えていたらいつの間にか眠りに落ちていた。
* * *
「それはまぁ、夫婦、ですからねぇ」
昼頃、あたしを起こしてくれたのはクチナシさんだ。夢も見ないでぐっすり眠ったあたしが寝惚け眼を擦っている間に身支度を整えてくれて、至れり尽くせりだけれど何もできない子どもになった気分だった。明日からは絶対に自分でやろう。
今はクチナシさんが持ってきてくれた食事をぺろりと平らげ、美味しいお茶を頂いているところだ。シロガネ様に訊くに訊けなかった、どうして一緒の部屋で眠るのか、をクチナシさんに訊いてみたらそんな返答があって、あたしは腑に落ちないまま目を瞬く。
「夫婦、って、そういうものなんですか?」
「そういうものです」
クチナシさんは穏やかに笑いながら教えてくれた。家族のひとつである夫婦となると、同じ部屋で、同じ寝台で眠るようになるらしい。神殿には単身で訪れる必要があり、家族で訪れても入れてはもらえない。だから神殿に入った後、家族となった者が夫婦になることがある。やがて子どもが産まれ、その子も神殿の家族として迎え入れられるようになる。
「この神殿でも此処で産まれた子がいるってこと……?」
「いますよ。ただ、産まれたがために望んで此処にいるわけではないので出る自由もあります。行き来はできませんが、自分の意志で出て、自分の意志で戻ることも」
へぇ、とあたしはお茶を飲みながらクチナシさんの話を聞いて考えた。そういう人もいるのだろうか。此処へくる時は自分の意志で、というのがずっと神様の傍にいることを決めた人の決意に思える。偏屈ジジイに拾われなかったら、あたしも神殿へ辿り着くか野垂れ死ぬかのどちらかだっただろう。生きるか死ぬかなら、出られなくなっても当然あたしも此処を選ぶに違いない。
「シロガネ様も此処で産まれたんですよね」
「何故、そう?」
微笑んで問われてあたしは眠る前に考えていたことを話した。あぁ、そうでしたか、とクチナシさんは言うけれど答えは言わずに微笑んだ。
「シロガネ様は中央からいらした方ですから、わたくしも詳しくは知らないのです。ただ、神殿の中で夫婦をご覧になってはいたのでしょう。だから夫婦となれば同じ部屋で、同じ寝台で眠るものだと“知って”いるのです」
夫婦とはそういうもの、らしいと聞いてあたしも少しホッとしていた。そういうものであるならそのまま受け入れてしまえば良い。緊張してドキドキしたのは理由が分からなかったからだ。理由が分かってしまえばどうということはない。
「ありがとうございます! そういうものだと分かれば今夜はぐっすりです! よーし! お仕事頑張るぞー!」
美味しいお茶を飲んでシロガネ様と合流するために立ち上がって気合を入れたあたしを見て、まぁ、とクチナシさんが面白そうに笑った。
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