第5話 チグサの神様


 婚礼の儀はひっそりと滞りなく終わった。神殿には神官様が常駐していて、シロガネ様とは別のその神官様があたしたちの儀式を見守ってくれた。シロガネ様は表情を変えなかった。だからあたしも何でもない振りをするしかなかった。


 これは仕事だ。仕事が終われば解消される重婚というものらしい。誰とも結婚していないから重婚とは言わないのかもしれないけど、一時的なもの、仮初のものと思えばいちいちあたふたなんてしていられないのかもしれない。


 コガモ村から神殿があるチグサの国の中心地、ツキクサの都に着いたのは今日の昼だ。神殿へ赴き、色々な準備を整えて儀式が始まったのが夕闇迫る夕刻で。壁に下げられたランタンは当然ながらあたしが直した物とは別だ。ゆらゆらと揺れる灯りと長く伸びていく影を追いながら、あたしは見るのも聞くのも初めての婚礼の儀をぶっつけ本番でやり通した。


「タンポポ、早速だがチグサの神を見てもらいたい」


 儀式の間を出た途端にシロガネ様にそう言われて、あたしははいと頷く。此処へきた時の服にまた戻って──洗濯間近だったのを止めたせいかクチナシさんは表情を曇らせたけれどこれが一番着慣れているし動きやすいのだ──仕事道具を引っ掴んでシロガネ様と落ち合った。シロガネ様も婚礼の衣装から神官服に戻っていた。


「チグサは雨が降り続いているな。もうすぐ半年になると報告を受けている」


 シロガネ様が進む後に続きながらあたしは頷いた。


「そうですね。あちこちの畑がダメになってるって村の人も話していました。他の国との境界じゃない川は氾濫して橋が流されたとか、人が怪我をしたとか」


「幸いまだ死人は出ていないが、時間の問題だ。チグサの神が“ひずみ神”になればこの国は死に絶える」


 ひずみ神。その言葉にあたしは続ける言葉を持たずに口を噤んだ。


 物には神様が宿る。


 大切に扱えば扱うほど神様はあたしたち人間を慈しんでくれる。大切にした人を、その家を、その家がある土地を、神様は守ってくれる。でも物はいずれ壊れてしまう。本来の形から歪んでしまったその時、神様はひずみ神になってしまって人間を守ってはくれない。これまで与えてきた祝福は同じ量の呪いとなって人々に降り注ぎ、命育たない不毛の土地に変えてしまう。


 この国を神様は守ってくれている。でも壊れかけている。完全に壊れてしまった時、その土地にいた人々は呪われて他所の国に出ることもできなくなるらしい。神様の呪いを背負った人が他の神様が慈しむ大地を踏むなんて、赦されることじゃないんだろう。


「チグサの神はまだ耐えている。だから神殿から外に出すことはできない。お前の腕にかかっているんだ、タンポポ」


 プレッシャーになるからやめてほしい。でもそんな軽口を叩くことすらできないくらいこの国は切羽詰まっているのだろうと思う。シロガネ様の口調はいつだって大真面目だけれど、冗談を言えるような雰囲気ではないことは判った。


「だから、修繕師がいるんです。まっかせてください!」


 自信なんてない。でも何とかしたいとはあたしだって思う。安請け合いかもしれない。でも実際に見ないで断るのもどうかと思うのだ。修繕師としての仕事が二回とも神様の修繕なんて大それているけれど。


 あたしの返事に、シロガネ様は小さく笑った。前を歩いているから顔はよく見えないけれど、嫌な笑いではない。


「あぁ、お前に任せた、タンポポ」


 此処だ、とシロガネ様が立ち止まった。石造りの神殿の中、外では雨が降り続く音がする。厳重で分厚い扉は木製だ。アーチ状の石枠にはランタンが下がっている。小さな炎が揺らめいて、貴重な燃料が使われるなら此処が神様のおわす場所、というものだとあたしは気づいた。


 チグサの神様は雨の神様だ。豊かな実りをもたらしてくれる。でも壊れかけた今はずっと雨が降り続く。雨雲は重たく、空は暗い。家の中にいるしかないのに家の中は薄暗くて作業も難しい。そんな場所で取れる燃料は貴重だ。偏屈ジジイはよく境界を超えて橋の上で作業をしたり月明かりで作業をしたりしていたけど、此処ではそれができない。


 石枠に下がっていたランタンを持ってシロガネ様が扉を押し開いた。ぎぃ、と湿った音を立てて扉が開く。蝶番が錆びているのだろうか。クチナシさんたちが手入れは怠らないだろうけれど、それも間に合わないくらいに雨は降り続いている。


「これがチグサの神だ。タンポポ、お前にはこの神の修繕を頼みたい」


 薄暗い部屋の中がシロガネ様の持つランタンで照らされる。灯りとりの窓は小さく、人の出入りは難しい。けれど風通しを悪くしないために閉め切らないよう造られた部屋なのだろう。そう広くはない部屋の真ん中には真っ赤な敷布と其処に開いて横たわる傘がひとつ、置かれていた。


 華奢な傘だ。大きな傘は結構な重量があるけれど、これは持ち手の骨も細く女性でも持ちやすそうなことが窺われた。けれど肝心の傘の部分に貼られた紙は破けていて元の色も判らない。ほとんど骨だけでこれではずぶ濡れになってしまう。かなりボロボロで廃棄されてもおかしくないほどに見えた。


「何度も修繕を繰り返し、この神は四百を超える年数この国を守っているそうだ」


「四百年も」


 途方もない年数にあたしはただシロガネ様の言葉を繰り返す。そんなに長い間このチグサの国はあるということにもなる。そしてこの神様はそんなにも長い間、此処にいたのだ。


 百年を超えて物は神様になると言われている。それだけの年数を超えるのも大変なのに、それを四回も繰り返しただなんて。


「すっごく大切にされてきたんだ……」


 誰もが丁寧に扱い、メンテナンスをしてきた。そうでなければ此処まで形を残していられるとは思えない。使われず、メンテナンスされなくなった物は早々に朽ちる。人の手で生まれてきた物は人の手で手入れされなければ長く残ることはできない。


 大体が一世代使えれば長持ちした方で、百年を超えることなんてそうあることではない。神様はそう簡単に生まれてはこないのだ。


「国中の腕利きの修繕師を呼んでも神の修繕はなされなかった。アイテツの国の神も同じだ。他国の修繕師を呼び寄せても一時凌ぎにしかならない。代々そうやって一時凌ぎで繋いできたものではある。時には同じ修繕師に何度も頼むこともあった。修繕に必要な神気を集めすぎて体を壊し早逝した修繕師も多い」


 思わず近づいていたあたしの後に続いて扉をくぐったシロガネ様が扉を閉め、口を開いた。遠い夕暮れの光はほとんど部屋に入らない。シロガネ様が持つランタンの灯りが唯一の光源だ。ちろちろと揺れるその灯りであたしは神様を遠くから観察する。


「タンポポ、お前の扱える神気の量は平均よりもやや多いくらいだ。アイテツの神の修繕では少しばかり不足した。その時と比較してチグサの神はどうだ。どのくらいの神気が必要になる」


 シロガネ様の懸念は尤もだ。修繕の途中で修繕師が意識を飛ばすようなことがあってはならない。修繕には神気が必要だ。人にも、空気中にも神気はある。空気中の神気を集めるのはコツがいるし修繕師以外はあまり集めようとはしない。単純に凄く疲れるからだ。同時に自分の神気も出してコントロールするから修繕師は早逝しやすい。なくてはならないのに、なり手が少ない上に完成度の高さは求められる、あんまり人気のない仕事だ。


 まぁあたしはそれ以外の仕事を知らないし自分にできるとも思えない。なりたい、と思うだけでなれるわけではないけれど誰もいないならあたしがやるしかないと偏屈ジジイの仕事ぶりを見ていたら思ったのだ。まだ未熟で、意識を飛ばしかけたのはシロガネ様だって知っているはずだけれど。


「ペーパーランタンの神様よりもこの傘の神様、ずっとボロボロです。少しずつ修繕をしていくことになります。あの時はいっぺんにやったけど、これはとてもじゃないけどすぐには」


 あたしは日数を計算する。いや、分からない。まだ触れてもいない状態で手応えが判るほどの技術はない。あたしにできることといえば少しずつ少しずつ、修復することだろう。


「だから神気の量は一日に扱えるだけ。無茶はしません。あたしだってこの神様が直ったとこ、一番に見たいですから」


 今この神殿に呼び寄せた修繕師はあたしだけなのだろう。そのあたしが倒れるようなことがあってはいけないと思うからシロガネ様も訊いているに違いない。心配をかけないように、けれど残された時間は多くはないだろうからのんびりもしないように、私は仕事をこなさなくてはならないのだ。


 そうか、とシロガネ様は小さく頷いた。小さな灯りでは表情までは見えない。いつもの通り淡々としているようだった。


「万が一があってはいけない。修繕には俺も付き合う。それで良いか、タンポポ」


「はい」


 別に構わないから頷いた。いくら修繕師でも神様と二人きりにさせるのは決まり上どうしてもダメというのもあるかもしれないし、あたしの仕事ぶりを見張る必要もあるのかもしれない。


「作業は明日からにしよう。この数日歩き詰めだった。今日はゆっくり休んで明日は朝から作業を頼む」


「分かりました!」


 元気良く返事をしたあたしは促されて神様の部屋を後にする。そのままシロガネ様の後ろをついていって、同じ部屋で眠るのだと聞かされてあまりのことにひっくり返ることになるとはこの時はまだ、思いもしなかった。


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