第4話 神殿にて


「結婚⁉︎ 聞いてませんけど⁉︎」


 チグサの神殿中に響き渡るのではと思うほどの声が出たけれど、声の大きさなんか気にしている場合ではない。あたしは神様を直す修繕師として正式に神官様に依頼を受けてやってきただけだ。それがどうして、着いて早々に婚礼の儀を執り行うなんてことになっているのか。


「言ってないからな」


 当の神官であるシロガネ様はけろりと答える。大真面目な声と作り物めいた綺麗な顔で。ふざけていないのは判る。この数日でこのシロガネ様がどういう人かあたしも判るようになった。


「あの、修繕師様ですよね……? 神殿で神の修繕を行うならば神官様との婚姻は既知の事実……特段シロガネ様よりお話がなくても不思議はないと思いますが……」


 神殿で出迎えてくれた綺麗な女の人がそうあたしに話しかける。彼女こそ着いて早々に婚礼の儀の準備はできておりますとシロガネ様に声をかけた人だ。それにシロガネ様がそうかと頷いて、タンポポだ、準備をしてやってくれと話が進むからあたしにも関係があるのかと訊いて冒頭に至る。


 そうなの⁉︎ と思うから目を丸くして驚いたら、誰もが頷いた。コガモの登録所であたしを正式な修繕師にしてくれたのはシロガネ様だ。急な依頼だったから此処に届ける暇がなかった、出来上がりには満足している、とシロガネ様の申告ひとつであたしの届けは受理された。何せ神官様の言うことだし、嘘を吐く理由もない。かくしてつい二日前に正式な修繕師となったばかりのあたしは、くぅ、と顔を赤らめる。知らない。偏屈ジジイもそんなことは言っていなかったし──言うような機会がなかったのは重々承知だけど──世間に疎い自覚もある。あの工房周辺からほとんど出ることはなかったし、人との会話だって依頼にくる人とのやり取りで覚えた。男手ひとつじゃ何かと不便だろと村の親切なおばさんが世話を焼いてくれて言葉遣いは変わったけど、世間のことなんてほとんど知らない。


「何だ、俺との結婚は不満か。だが神を修繕するにはこれしか方法がない。まだ神殿から動かす許可が出るほどの状態ではないからな」


 シロガネ様は淡々とそう言うけれど、シロガネ様こそ嫌じゃないんだろうか。あたしみたいなちんちくりん。世間擦れしている自覚はある。でもそれはシロガネ様も同じだろうか。


 嫌なわけではない。でもだからといって良いものでもなくて、何と言ったものか判らずあたしはうめき声を漏らす。噛み締めた歯の隙間からぐぎぃぃ、という音が出ても神殿の誰も表情を変えない。


「……分かり、ました。これしか方法がないなら、仕方ありません。早く仕事に移りたいので。結婚しましょう!」


 これは仕事だ。そのために必要な手続きのひとつに過ぎない。神殿の人にとっては当たり前のことで、人ひとりの結婚がどうこうよりも神様の動向の方が最優先だ。何せ、国ひとつの存亡がかかっている。


「あぁ、よろしく頼む、タンポポ」


 シロガネ様は少しだけ頬を緩めたように見えたけれど、真面目な声であたしに言う。よろしく頼む。比類なき依頼の言葉に、あたしは是と答える以外の言葉を持たない。


「勿論です! 修繕師タンポポに、まっかせてください!」


 だからあたしは張った胸に片手を当てて自信満々に笑ってみせる。七日前はこんなことになるなんて思いもしなかった。


 あたしはどうやら、結婚するらしい。



* * *



「わたくしはクチナシと申します。この神殿にてタンポポ様の身の回りのお世話をさせて頂く者です。何卒よろしくお願い致します」


 裾の長い衣服を纏った女性はクチナシと名乗った。あたしやシロガネ様よりも随分上に見え、おっとりとした印象を受ける。婚礼の儀があることをシロガネ様に告げて、驚くあたしに話がなくても不思議はないと教えてくれた人だ。灰に近い色の服は神殿務めであることの証なのか、彼女以外にも同じ色の服を纏う人は多い。けれど帯はあたしの名前を同じタンポポ色。ちょっとちぐはぐな気はしたけれど自分の服装のセンスだって大したことは言えないからそれには触れずに自己紹介する。


「タンポポです。コガモ村からきました。あの、知らないことが多くて……」


 シロガネ様に恥をかかせてないですかね、と心配したらクチナシは一瞬驚いた表情を浮かべてそれから穏やかに微笑んだ。


「存じておりますよ。シロガネ様より一報を受けて準備を進めて参りましたから。コガモは小さな村ですね。わたくしも田舎出身です。右も左も判らないまま神殿へ出向きました。わたくしに分かることであればいくらでもお伝えしましょう。

 シロガネ様は中央よりいらした位の高い神官様です。あの程度のことで機嫌を損ねるようなお方ではありませんよ。ご安心くださいね」


 穏やかに微笑まれるとそれに安心してあたしはホッと胸を撫で下ろす。シロガネ様が怒るところはあまり想像できないけれど、それでも神殿という場所で世間知らずの娘を連れてきたなんて沽券に関わるんじゃないかと心配だったのだ。


「あの、結婚するのは何かそういう決まりなんですか?」


 至極当然とばかりに先ほどは話されてしまったことと、それ以外の方法がないと言われたから呑んだけれどどうして結婚が必要なのか判らずあたしはクチナシに尋ねる。そうですねぇ、とクチナシはあたしの支度を整えながら説明してくれた。


「それぞれの国には神殿があり、その神殿にはそれぞれの国の神がおわします。神殿には様々な務め人がおりますね。わたくし共のような神殿の維持や祈りを捧げる者がほとんどですけれど、それでも神殿へ入るにはそれだけで多くの許可が必要なのです。神殿へ入る者は、家族でなければなりません。神様とは人を、家を、国を、土地を見守るのですから。神殿の家族となるために元の家とは縁を切ります。王侯貴族といえどもこのしきたりは覆りません」


「……」


 縁を切るということがどういうことか、あたしにはよく想像できない。理解できないと顔に書いてあったのか、クチナシはあたしの顔を見てふふと笑った。


「難しく考える必要はありませんよ。親類縁者のいない者、と考えて頂ければ。身寄りのない者たちが神様に救いを求め縋り寄り集まって神殿を建てました。新たな家族として生きました。親類縁者と縁を切られる者だけを迎え入れてきました。ただ神様のお姿を見たいだけだとしてもそれほどの覚悟を持った者だけに限定しています。けれど、修繕師様は違います」


 神様は物だからいつかは壊れていく。直してほしいと依頼をしたとして、その修繕師に家族がいたら断られるかもしれない。だから特別な方法が取られることになったとクチナシは語った。


「神殿に務める者と夫婦の契りを交わすのです。これは世間一般でも他人同士が家族となる方法でしょう。修繕という目的に限り、修繕師様と神殿の者には重婚が認められます。タンポポ様は伴侶となる方はいらっしゃらないようですが、何処の国でも同様です。これは中央が認めている法ですから」


「ってことは、シロガネ様も……?」


 位の高い神官様だと言うから過去にも同じようなことはあったんじゃないかと思って尋ねたらクチナシはまた笑った。


「いいえ、あの方は歳の頃は二十ですが中央にいましたから。派遣はされても神殿にではありませんでした。神殿での修復でのみ、この重婚は認められます」


 理由を尋ねようと思ったら、さあ、とクチナシに促された。準備ができたらしい。いつの間に、と私は自分の体を見回して驚いた。真っ白な婚礼衣装は神官様の妻になるに相応しい装いで、上質な生地の長衣なんて纏ったことのないあたしは気後れしてしまう。衣装に着られていないか心配したら、大丈夫ですよとクチナシは穏やかに笑った。


「タンポポ様、どうぞこのチグサの国を、チグサの神をお救いください」


 おっとりとした表情も声も先ほどと何も変わらないのに、その言葉には切望にも似た祈りが含まれている気がしてあたしはクチナシを真っ直ぐに見つめた。神様を直すなんてできるだろうか。一度はそうと知らずにやったけれど、次も上手くいく保証はない。それでも。


「修繕師タンポポにまっかせてください!」


 それが依頼であるからには、修繕師は笑って引き受けるのだ。

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