第3話 直した物


「ふがっ」


 ハッと目が覚めてあたしは飛び起きる。見慣れた工房だ。偏屈ジジイが日がな一日籠ってずっと依頼の修繕品と向かい合った、仕事道具の手入れを欠かさなかった、神気の留まる場所。


「目が覚めたか」


「うひゃっ」


 人の声などするはずがないのに問いかけられたからあたしは出入り口に顔を向けた。白い長衣が目に入る。は、と目が点になった。この国で白の長衣を纏うのを許されるのは神官様だけだ。つまり神官様がいる、ということで。


 足元から顔に視線を移せば更に目が点になった。綺麗な人、という印象が真っ先に浮かぶ。白にも銀にも見える髪は雨が降って薄暗い此処でも僅かな光を受けて輝いていて、端正な顔はそういう彫刻品かと思った。でも、声、は。


「此処はお前の工房で合っているか? 家主はいなかったが修繕師の工房だろう。あの橋から近い建物は此処しかなかった。お前が家主でなければ帰ってきた家主には俺が謝罪しよう」


「ひぇ……し、神官様……? でもあの、暗闇の……?」


 寝起きな上に神官様がこの工房にいることの理解ができなくてあたしは口をぱくぱくさせながら、自分が発せる単語だけ声に出した。神官様は水差しとグラスを持って、あたしのところまで歩いてくる。わぁ、この工房を掃除したのはいつだっけ。誰かを上げることなんて考えてなかったからサボっていたのが悔やまれた。依頼人が来てもこの工房までは上げないから。


「あぁ、俺はシロガネ。先は世話になった。あのペーパーランタンは“ひずみ神”になりかかっていてな。タンポポ、お前が修繕してくれなければ手遅れになるところだった」


「……は……ひずみ神……」


 シロガネと名乗った神官様があたしのところまで辿り着いて腰を下ろした。わ、座布団、せめて座布団を、と思ったけれど依頼のないこの工房で座布団は既に埃を被り始めているだろう。雨ばかりで満足に干せていないし。


「あのランタンを持つだけで暗闇に呑まれた。ひずみ神となればワカタケ村を暗闇に呑み込んだだろう。それを救ったのはお前だ、タンポポ。礼を言う」


「は、はぁ……え、あたし?」


 何を言われているのか言葉を追うだけで意味まで把握できず、あたしはただただ繰り返す。シロガネ様は水差しからグラスに水を注ぐとあたしに渡してくれた。それを受け取ってあたしは取り敢えず飲む。喉を流れていくその感覚にようやく覚醒がやってきた。


「お前ならチグサの神も直せるだろう。やってみないか」


「はぁ……ぇえと……」


「そうか、やってくれるか」


「え」


 驚いてシロガネ様の顔を見たら真剣そのものの目があたしを見ていて息を呑んだ。見たことのない瞳を持つ人だ。藍色の中にいくつもの星が散らばっている。吸い込まれそうなほどの美しさだ。その目を見たら自分が何を言おうとしていたのか忘れた。


「お前は腕が良い。ワカタケ村に集まった修繕師は誰もあのランタンを修繕することができなかった。それをお前はたった一度で直してみせた。見るか、タンポポ、お前が直したアイテツの国の“神”だ」


 シロガネ様は工房の机からペーパーランタンを持ち上げた。あたしが修復したランタンに間違いない。薄暗いからよくわからないかもしれないけど、当初見たよりも黄色味がかっている。これが、神様だと、シロガネ様は言うわけで。


よわい二百をゆうに超える。遥か昔から俺たち人の生活を見守ってきた神だ。何度も修繕されてきた。けれどいよいよ充分に直せる修繕師がいなくてひずみ神になろうとしていた……せめて境界でと持ち出したところをお前に救われた」


 にひゃく、とあたしは呟いた。八十年くらいしか経っていないように見えたそれはとんでもない昔から在る物で。


 物には神様が宿る。百年も経てば物は神様になると言われていて、二百年も経っているならそれはもう神様歴も長いというもので。


 そしてあたしはそれをそうとは知らず、直してしまったということらしい。


「ちょっとあの、理解が追いついていなくて」


 呆然と正直に答えたら、そうだな、とシロガネ様は頷いた。真面目な顔と声で。暗闇の向こうで答えていたのはこの人だと分かる。同じ調子だった。


「俺もまだ驚いている。お前のような若い娘がたった一度で神を修繕したなんて。さぞ名の知られた修繕師だろう。何故ワカタケ村に最初から来なかった?」


「い、いえ、あたしはあの、偏屈ジジイ……じゃなくて師匠が亡くなってから勝手に弟子を名乗って勝手に誰にも目も向けられない物を直してるだけで……神官様と会ったのもあの石橋を直してたからで……修繕師としては全然……」


 修繕師タンポポ、と名乗りたいから名乗ったけれど正式には認められていない。修繕師になるには届けが必要で、あたしはその届けを出してはいるものの、それだけではダメなのだ。依頼を受けてこなして、依頼人が満足したと評価することでようやく認められる。


 あたしはまだ、満足してもらえる仕事ができていない。


「その、あたしが修理すると何にでも色が移っちゃうんです。張り切りすぎなのか、あたしの名前と同じタンポポの色合いが移っちゃうから満足してもらえなくて……依頼もなくて……」


 その、とあたしはランタンから目を逸らす。そのランタンも例に漏れず黄色味がかっている。間違いなくあたしが修繕したからだ。主張が強すぎると依頼人には眉を顰められてしまうのに、神様に対しても色を移したなんてどんなお叱りを受けるだろうとあたしはシロガネ様の顔を見られなくなる。


「それの何か問題なのか」


 シロガネ様は解っていないようで首を傾げた。大有りです、とあたしはしょぼくれた。


「本来の姿を思い出させて修復するのが修繕師の仕事なのに、あたしはそれに色を移しちゃうんですから。修繕師としては未熟で……とてもそんな」


「だがこの神を修繕したのは間違いなくお前だ、タンポポ。他の修繕師なら色を移さないのかもしれないが、修復されないなら意味はない。この神が移った色を煩わしく感じているようには俺には思えない。お前の色が移ったならこの神は明るい灯を灯せるようになるだろう」


「……」


 触ってみろ、とシロガネ様がペーパーランタンを差し出してくる。あたしが手を伸ばさなければ引かないように見えた。修繕する時はあたしが手を伸ばせば引っ込めたのに、今はずずいっとばかりに差し出しているのは本当に触れて良いという許可なのだろう。梅の花が描かれた紙は黄色味を帯びているけれど、本当に良いのだろうか。


「どうだ。お前にも解るんじゃないのか。この神は喜びこそすれお前に怒りはないだろう」


 正直、あたしには分からない。神官様だから判るものなのかもしれない。でも神官様がそう言ってくれるなら、それは信じても良いのだろうか。


「タンポポ、お前にならチグサの神を修復することもできる可能性があると俺は思う。お前に修繕師としての依頼をし、俺はその結果に満足した。それでお前は正式な修繕師になれるんだろう。その後なら修繕師としての次の依頼を受けてくれるか」


「神様を直すなんて約束はできませんけど、でも」


 修繕師としての実績もないあたしがいきなり神様を直したと言われても実感はない。でもだからといって断るなんてできなかった。まだ現物も見ていないのに断るなんて。


「あたしにできることは精一杯やります」


 だからそう答えたら、シロガネ様は安心したように微笑んだ。綺麗すぎて造り物みたいな顔だけれど、感情のこもった表情だと思う。人間なんだ、と何となく実感した。


「良かった。俺はこれから急いでアイテツの国に戻る。三日もあれば神殿に戻して此処へ帰って来られるだろう。お前はチグサの神殿へ移動する準備を整えておいてくれ。道中、お前の修繕師としての登録を完全なものにしよう。入り用な物があればそれも道中で揃えるつもりだ。足りない物があれば其処で見繕う」


 神殿へ入るための手続きはこちらで済ませておく、とシロガネ様は言いながらペーパーランタンを大切そうに包んだ。最初からそうだ。ひずみ神になりかかっていても、大切そうに抱えていた。


 あたしが短い人生で見てきた誰より物を大切にする人だと思う。神様だからとかに関係なく。そういう人がきっと、神官様になるのだろう。


「俺と一緒に行ってくれるか」


 シロガネ様の言葉にあたしは力強く頷く。何処までできるか判らない。でも、やってみたい。あたしを修繕師にしてくれる人が続けて依頼をしてくれるなら。


 あたしの返事にシロガネ様は嬉しそうに微笑んだ。

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