第2話 暗闇様のペーパーランタン


 ワカタケ村は今、暗闇に閉ざされている。ひずみ神の影響でチグサの国の修繕師が何人も応援に呼ばれた。誰ひとりとして帰ってきていないという噂だ。あたしは正式に修繕師として知られていないから声もかかっていないけど。


 そんな向こうから、誰かが声をかけた。ワカタケ村の方は暗闇が広がっていて何も見えない。誰がいるのかも分からない。でも声は、まだ若い男の人の声だった。


「修繕師なら見てもらいたい。修復が必要だ」


 そんなことを言われたら応えないわけにいかなかった。あたしは自分が直したばかりの石橋に足をかけて口を開く。


「見ます! そっちに行けば良いですか?」


「いや、俺も行く。橋の真ん中で落ち合おう」


 あたしは前に踏み出した。チグサ国で降っていた雨は境界にまでは影響しない。久々に雨の下から出た。


 暗闇に閉ざされたワカタケ村からは誰がくると言うのだろう。でも直してほしい物があると言われたら何処の村の人でも断らない。


 橋の中央まで進んであたしは向こうから誰かがやってくるのを待つ。でも人の姿は見えない。ただ、暗闇が近づいてきたのは分かった。


「……」


 ワカタケ村の暗闇だ。橋の向こうにあったものが、今は目の前にある。腕を伸ばせば暗闇に触れられるだろう。直してほしいと依頼してきたのは、人ではなかったのだろうか。


「これを」


「うひゃ」


 思ったよりも近いところで声がして、ずいっと差し出された物があった。


「わぁ、使い込まれたペーパーランタン!」


 畳まれたランタンは古くてボロボロだ。張った紙は薄く絵が描かれているものの所々穴が空いていてひと目で草臥れているのが判る有様だ。骨はしっかりしているけれど手持ち部分と全体を組んでいる部分がぽっきりと折れていてくっつくはずもない。くっつけようとした残滓は見てとれたけど、この程度だとすぐに外れてしまうのだろう。でも、うん、とあたしは必要な神気の量を計算して頷く。何とかなるだろう。


「あたしにこの子を直させてくれるんですか?」


「……直せるのか?」


 驚いた声が確かめるように尋ねてきた。石橋を修繕したばかりで少し疲労しているけど、多分大丈夫だ、とあたしは自分の体調を確かめて頷く。二連続での修繕なんてちょっと予定外だけど直せるなら早い方が良い。綺麗になったらきっとこの子だって嬉しいはずだ。


「コガモ村には優秀な修繕師がいると聞いた。お前がツヅミ殿か?」


「もしかしてあたし、偏屈ジジイに見えます? もういませんよ、すっごいおじーちゃんだったから」


 暗闇の向こうであたしの言葉の意味を理解して息を呑んだ音がした。


「でもその弟子、この修繕師タンポポちゃんにまっかせてください!」


「タンポポ……」


 あたしの名前に驚く人は多い。暗闇の向こうの人も面食らった様子だったけど、そうか、と真面目な声で受け入れてくれた。


「よろしく頼む。だが、無理はするな」


 頼まれたからには張り切ってしまうもので。はーい、と元気良く返事をしてあたしは服の袖を捲った。


「さーて、綺麗になりましょうね。大丈夫、優しく撫でてあげる」


 あたしはランタンに話しかける。これほどボロボロならひずみ神になると恐れられてしまうかもしれない。暗闇が持っているランタンに触れるのは躊躇われた。手を伸ばしたら引っ込められたから触って良いものでもないのだろう。


「本当に古い。大事に大事にされてきたんだ。きっと柔らかくて優しい光を灯したんだって解るよ。絵が描いてあるなら祭事用だったのかな。それとも軒先で番をした? それとも夜道を往く人の支えになった? 何にしても大活躍ね。夜は暗くて怖いから」


 話しかけながらあたしは刷毛を取り出した。先ほど使った大きな刷毛とは違う、小物用の小さな刷毛だ。あたしが握って丁度良い大きさ。今日二回目だけど、頑張れタンポポ。


 ランタンは何度も直された跡があった。大事にされてきた証拠だ。何度も手が入って推定でも何年経っているかよく判らない。八十年か、それとももう少しいくだろうか。けれど最近の修繕師は上手く神気を纏えなかったのだろう。新しい跡は、痕になっていた。


 刷毛に空気中の神気を集めて、あたしは集中する。お喋りはお終いだ。これからは目の前のランタンに全力を注ぐ。刷毛でランタンの表面を撫でた。ランタンの抜け落ちた記憶を呼び起こし、元の形を思い出させる。穴だらけで、紙は草臥れて骨を繋ぐ必要もあって。修復が必要な箇所の多さから石橋の比ではないほどの神気が必要だった。


 この子がまた、人の傍にいられますように。この子が願っているかは分からないけど、あたしは人の傍にいてほしいと思うから。せっかく神様になれそうなくらい古く在るならひずみ神にじゃなく、神様になって人と共に在ってほしい。


 う、と苦しげな声が聞こえた。それが自分の口から出たことに気づいたのは視界がぐらついてからだ。


「大丈夫か」


 暗闇から声がした。耳は無事だ。でも、手元と息が続かなければ修繕は中途半端になる。此処まで、と区切りをつけるにも段階というものがある。こんな中途半端なところで止められない。それにもう少しだ。もう少しで終わる。でも。


「……神気が、足りな……」


 自分の体力を考えて少し急いだのは事実だ。修繕師が集められる神気の範囲や量にはそれぞれに限界がある。それを広げたり増やしたりするには日々の訓練が欠かせない。サボってはいない。断じて違う。むしろあたしは神気の扱いに関しては天才だと自負している。師匠だって、むぅ、って唸るだけで否定しなかった。驕らずに研鑽に励めというありがたーいお言葉に従って訓練はしていたのに。


 限界を越えるほどの神気が必要だったとするなら、見誤ったあたしの落ち度だ。修繕師の多くはその境界を見誤って身を崩していく。まだ駆け出しなのに修繕師の仕事ができなくなったら嫌だな。でも、此処で放り出す方がもっと嫌だ。


「おい、限界なんだろう。作業を止めるんだ」


 暗闇があたしを案じてくれたけれど、冗談でしょ、とあたしは笑った。


「もう少しで綺麗にしてあげられるのに此処で放り出すとか、なし、ですよ。一度引き受けたんだから最後までやり遂げなきゃ」


 目の前がぐるんぐるんしそうなのを必死で堪え、意識を辛うじて繋ぎ止めながらあたしは強がった。弱気になるな。神気のコントロールが乱れる。掴んで、注ぎ込め。


「……はぁ。もう少し、なんだな」


「そうですよ……って、え……?」


 いきなり周囲の神気が増えてあたしは手を震わせた。危ない。刷毛に纏った神気が霧散するところだった。空気中の神気はほとんど集め切っていたはずなのにどうして、とあたしは疑問に思ったけれど雑念を追い払う。急に限界を超えて今まで以上の範囲の神気を集められるようになったのかもしれない。鍛冶場の馬鹿力って、よく言うし。


「よーし! このまま最後まで直してあげるからね!」


 目眩は治まって手元がしっかり見えた。最後の仕上げ。破れを直した紙の淡い絵を復元する。絵ならあたしの得意分野だ。絶対に、絶対に直してみせる。そう決めたからあたしは一層の集中を見せて没頭した。


 ペーパーランタンの表面には梅の絵が描かれている。春を告げる花。神気が多く集まる花だ。古来から吉事の祭典では欠かせなかった。厳しい冬を超えて開く花。その実は食べて良し、飲んで良しだ。信じられないくらい酸っぱいものもあるけど、摂りすぎなければ体にも良い。来たる春の息吹を最初に感じる花が描かれたランタンは、そんな願いが込められている。間違いなく、作り手の。


「……ぷぁ、これで、完成……! はぁ、はぁ……っ」


 丁寧に、丁寧に刷毛で撫でてあたしは大きく肩を上下させながら息を整えた。破れて折れてボロボロだったペーパーランタンは今やそんな面影を拭い去り、当時の輝きを取り戻した、と思う。当時のランタンを知る人が今もいるかは判らないけれど、遜色ないはずだと胸を張って言える。あたしが命懸けで直したんだから、それくらいは思ったって良いはずだ。


「驚いた。あの状態から此処まで修繕するのか。年若いからと侮っていた、タンポポ。お前は凄いんだな」


 暗闇の感心したような声が聞こえて、えへへ、とあたしは笑った。息はまだ上がっていたけど、褒められて悪い気はしない。普通に嬉しい。何ならもっと褒めてほしいくらいだ。二連続は堪えたけど、何とかなって良かった。


「この子、こんなに綺麗なんです。もう傷んでるところとかないかな。大丈夫かな……あ……」


 出来上がりを確認しようと手を伸ばして視界が急に傾いた。目の前が真っ暗になって意識を飛ばしたと知るのは、次に目覚めた時だった。


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