第36話
「はい、喜んで。」
話に夢中になってそう言いそうになってなんとか自分で思いとどまる。
「……それは本当に紺野……百合華さんが望んでいることでしょうか。僕にはとても務まる任務じゃないと思います……。」
「いや……君みたいに謙虚で、人の痛みを理解できる君にぴったりの仕事だと思うんだ。もちろん、無理にとは言わない。だが、この前百合華が言ってたんだよ。新美くんは全然自分に自信がないし、謙虚だし、人に優しすぎてなんでも了承するけど、でも芯は強くて、私なんかのこともよく見ていて、経営者になるべき人だって。どうかな、時間を上げてもいいが……」
紺野さんの壮絶すぎる過去と、それを感じさせない笑顔と、文化祭で僕を手伝ってくれたこととか、一緒に肉まんを頬張りながら帰った帰り道とか、全ての思い出が押し寄せてきて……
僕は前に座っている紺野さんに目を向けて自分の思いを口に出した。
「いえ、もう決意は決まっています。」
「新美さん……どうしますか、これ」
都内のオフィスビルでメガネ姿の秘書さんが僕についてくる。
「うーん、後で見とくね」
「新美さん……いや、社長……あなたは後で見とくと言って本当に深夜になるまで仕事をやってこの前危うく倒れるところだったじゃないですか!」
僕なんかよりも社長という役職が似合いそうな秘書さんだな、なんて呑気なことを思いつつ、軽くあしらう。
「大丈夫だって、実際倒れたわけじゃないし、それに、間宮さんも休んでないでしょ?おあいこだよ。今は企画がうまく行っている時だからこういうときに事業を軌道に乗せたいんだよ」
僕の言葉にちょっと納得できなさそうな顔をする間宮さんだったが、最後は頷いてくれた。さすが、僕が選んだ秘書さんだ。我ながら見る目がある。
「でっでも、さすがにもうちょっと休んでくれないと私だっていつ倒れるかわからなくて常に心配していないといけないのは嫌ですから!」
「うん……考えとくよ」
「だから、考えとく暇があるなら休んでくださいって言ってるんです!」
ビルの外では桜が風に吹かれて踊っているようだった。何度目かの春を迎えた。
先代の紺野さんは僕が経営を引き継いでわずか一年で帰らぬ人となってしまった。だが、その一年の中で経営の一つ一つを何一つ知らない僕に優しく、ときに厳しく教えてくださった。今思えば、百合華さんのことがあったからやるべきことは早くやっておくべきだとわかっていたのかもしれない。あのとき、病院で紺野さんが話してくれた百合華さんの父親じゃない方の息子さんは脅迫をするためにかなり汚い手段を使っていたようで、警察に逮捕され、今までのちょっとした補導を含め、当分会社に来ることはないだろう、と言われた。と同時に僕はこの会社をなんとしても守らなければならない、という偉大なる使命感を感じた。それはプレッシャーになり得ることもあったけど、高校二年生で百合華さんに出会っていなかった僕だったらまず経験できていないことをさせてくれた紺野さんには感謝しかない。
百合華さんはただの友達の僕に多くのものを残してくれた。ありがとう、ちゃんと守ります。私はあなたが好きだったものを好きだから。
僕の黄金の姫君 @mizukiuka
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