第35話

紺野さんが運ばれた病院で、僕は彼女のおじいさんに再会した。会ったのは随分最近だったはずなのに、ひどくやつれた様子だった。無理もない、一人大切な孫をなくしたのだから。

「……この前は、どうもすみません……」

「なに、謝ることなどないさ。君は大丈夫だったのかね?変な人に襲われたとか、そういうことは」

「……大丈夫です。でも、僕は一番守りたかった人を守れなかった。いつも僕が彼女に助けてばっかりで、何も恩返しができぬまま別れるとか……」

涙が溢れそうで、でも僕になんか泣く資格がなくて、声にならない痛みが体を駆け巡る。おじいさんは小さくかぶりを振って言った。

「彼女が決めたことだったのさ。今更どうこう言う話でもないんだ。」

「……紺野さんが決めたこと……?」

「え……百合華から何も聞いていないのか?」

「いや、特には何も……今日家に来て欲しいって言われてただけだったので……」

「そうか、いやすまない。君ももうすでに知っているのかと思っていた……」

僕の言葉に驚いたようではあったものの、少しずつ納得したように頭を頷かせるおじいさんに僕は頭をかしげるしかなかった。彼女が僕に言おうとしていたであろう秘密は何なのか……


「百合華はな、昔から体が弱い方ではあったんだ。百合華の父親、まあわしからしたら息子だが、まだ経営をしっかり教えてもいない時期にぽっくりと癌で逝っちまったんだよ。百合華が八歳のときだったかな。元々百合華は妹の真里奈とは違ってパパっ子であったこともあるだろうが、それ以来塞ぎ込みがちだったんだ。一年経ってやっと百合華が前みたいに笑顔を見せてきた頃、突然真里奈と二人の母親のさやかさんが……行方不明になったと思ったら一週間後に都内から遠く離れた山奥で遺体が見つかった事件が発生した。警察もたくさん探してくれたし、わしらも自分達のできる範囲で聞き込みをしたりしたんだが、犯人が特定できぬまま、夫に先立たれたショックで自分の娘を道連れにした無理心中ではないかと結論づけられたんだ。もちろん、そんなことはあるはずがないって何度も抗議をしたが、犯人も捕まらぬまま、証拠もないとなるとその判決が覆ることはなかった……。また百合華は父親の時のように、いや今度はもっと長くふさぎ込んでしまった。二人が亡くなってしまったことが一番悲しかったとは思うが、百合華のやつ、言ってたんだよなぁ、ママは真里奈と死ねて幸せだったのかなって。自分がさやかさんにとっては一緒に死にたくない娘ではなかったことも結構辛く思っていたみたいで……胸が苦しかったよ。さやかさんは実家を捨てる覚悟で上京してきたらしいと尚樹、ああ息子だが、が言ってたからわしが百合華を引き取ったんだ。中学生になってもろくに学校には行ってなかったんだが、中3の冬ごろだったか、急に都心から離れた田舎町の公立高校に行きたい、なんて言い始めるからどうしもんかと思ったよ。でも、百合華が自分からしたいことを自分の口で、声で、伝えてくれることはかなり少なかったからな、それにあんな状態から立ち直ってくれたんだから、できることなら全て願いは叶えてあげたいと思って、ここに越してきたんだよ……あ、コーヒーいるかい?」 

おじいさんの言葉はなんとも不思議な形でスッと僕の胸の中に入ってきた。僕の知っている紺野さんと違いすぎて……話に聞き入っていたら、おじいさんがコーヒーをどうするかを急に聞いてくるもんだから、少し反応は遅れてしまったが。

「あ、いや、大丈夫です。」

「そうか……どこまで話したんだっけな、あーそうだ、ここに越してきて、また百合華の笑顔が見られるようになったんだよ。それはもう嬉しくて嬉しくてたまらなかったよ。今わしにとって大切な家族は百合華だけだったからさ。だがここでもだよ、神様はつくづく残酷だと思ったよ。……今度は百合華自身の命が危ないってね。心臓が元々弱くはあったんだけど、今まで苦しいことがあっても耐えてきたっていうのに物理的に心が壊れちまうってどうなんだよ……。でももうその余命宣告を受けても百合華は引きこもったりしなかった。治療法が確立されていない病気だと聞いても、じゃあ残りの人生楽しむしかないねって、笑いながら言うんだよ……わしが泣けるはずないじゃないか……幸い、と言うべきか二年は延命治療を続けていけば二年は生きられるんじゃないかという医者の話のもと、ここで高校に通うことを決意したんだ。百合華はすごく楽しんでいたようだった。今までまともに学校に通っていたことはなかったからな、友達とか作ったりして、帰り道に買い食いして帰ってくるとかな。百合華が、あの子が幸せならよかったのに……わしだってずっと今まで通り会社の経営ができるわけじゃないから、頑張って後継を探さなくてはいけなくなって……頼んでしまったんだよ、会社を任せられる人はいないかって。元々百合華か、もしくはその結婚相手かに譲るつもりだったのに、わしのもう一人の息子、まあ息子とは呼びたくないほどのクズな男なんだが、がやってきて自分に会社を譲れと脅迫まがいのことをされたんだ。とてもじゃないが、そんな奴にわしが今まで頑張って守ってきた財産を譲るわけにはいかなかった。そんなことをするんなら、看板を下ろす方がいい。でもそいつはしつこかった。本当に執念深い男だったよ……わしが今ここで百合華と暮らしているということをどこかで聞きつけてきて早く譲れと圧をかけるんだからな。百合華は急いで君を紹介してくれた。もちろん、適当に決めたわけじゃないってことくらいは長年百合華といるわしはよくわかる。君は実にいい人だ。だから、君に最後のお願いをしたい。わしからの一生のお願いだ。高校を卒業してくれてからでも、大学を卒業してくれてからでもいい。それまでは経営をなんとか持続させるから、だから……わしの後継になってくれないか……?」

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