14 友人が訪ねてきて



 卒業式が終わると電話がかかってくることは無くなり、家に押しかけてくる人もいなくなった。


 今は三月下旬。

 両親がいなくなった日から何も状況は相変わらない。

 僕が家庭教師のバイトをしていた時に稼いだお金と、親がいれてくれていた自分たちの貯蓄を切り崩しての暮らし。


 佳奈の高校の入学金などは、僕が頭を下げ親戚からお金を借りて集めることが出来た。

 僕の進学の方は……もう手続きの期間が過ぎた。そのことを佳奈は薄々気が付いていると思う。


「兄さん、高校の勉強でわからない所があるんだけど教えてくれない……かな?」


 そういって佳奈は僕の部屋をノックして、いつも僕を居間に連れ出してくれる。

 入学前で出される課題なんかは中学三年生と高校一年生の内容だ。進学校と言ってもさすがにこの時期に出す課題は入学試験よりも内容は簡単……佳奈であれば解ける問題ばかりだ。

 この気遣いが、今の僕には有難くもあり……自分のことを惨めに感じさせる。


「どこが分からないの?」


「この部分なんだけど……」


「ここのグラフの問題に使うのは微分って言うんだけど、とりあえずは置いといていいと思う。佳奈は文系だし、習ってないんだからサッと見とくだけでいいよ」


「見とくだけって……解かなくてもいいの?」


「この入学の宿題で全力出してもしょうがないでしょ。大丈夫だよ。この入学までの期間で勉強内容が飛ばないようにするだけのモノだから、分かるところだけやっておけば全然いい。やってこない人もいるし」


 高校一年生の頃を思い出しながら、ほとんど全教科分出てる課題の要点を教えながら進めていく。

 こうやって教えてる間だけはあれこれ考えなくてもいいから楽だ。

 部屋にこもってると、色々と考えてしまう。けど、居間にも居づらい。


 ……生きる上での希望が見いだせない。


 体重は減り、食事もあまり取らなくなり、鏡で見る僕の顔は元気がなく生気があまり感じられなくなった。

 こうやって佳奈に必要とされるのが生き甲斐のようなものだ。

 今の僕の前には高い壁がそびえ立って、先に進ませてくれない状況だ。


 どうやって登ればいいのか。

 何をしたらいいのか。

 全くわからないけど、登れと誰かに言われ続けている。

 そして登った先に何があるのかすら教えられてない。

 そもそも"登った先"というのがあるのかすら分からない。


 将来の不安を並べると心臓が苦しくなり、胃の中が空っぽなのに吐きそうになってくる。

 ただ、ぼくには考える時間がたっぷりと用意されている。時間は誰しもに平等に与えられているのだ。

 だが、膨大にあるだけだ。有効に使える気力も精神もない。

 だからこそ、ぼくは将来の不安が心をじくじくと蝕む間隔を味わいながら、今日を過ごしている。

 

「――さん、兄さん」


 佳奈の声で意識が戻った。こちらを心配そうに見上げている。


「あ、あぁ、どうしたの?」


「お客さんだって、兄さんに」


「……僕に?」


 机の上で考え出していたら、僕へのお客さんが来てたみたいだ。

 どうせ、先生とかだろう。

 そう思いながら覗き穴から見てみると、身を綺麗にしている悠人の姿があった。


「明人、今玄関の前にいるだろ」


 どうやら足音でバレていたようだ。


「どうしたの」


「どうしたもこうしたもないだろ、ただ友達に会いに来ただけだ」


「そっか、でも僕……今忙しいからさ。ちょっと無理、かな」


「なんだ明人、俺と会わねぇっていうつもりか?」


「……そういうのじゃないよ。だけど、会えない」


 久しく聞いてなかった悠人の声は耳に馴染みはするが、心を少し揺さぶってくる。

 悠人と会うのが怖く感じている僕がいる。

 この扉を隔ててではないと、まともに会話することすら出来ないだろう。それほどまでに、会うのが怖く感じている。


「悠人もしってるだろ? 僕は――」


「俺、今日引越しするんだあ。だから最後にお前に会いに来た」


「引っ越し……」


「あぁ。本当は俊助も連れてくる予定だったんだけど、アイツはアイツでバタバタしてるみたいだし、お前に声を上げたのが気まずいらしい。そんなの気にしなくてもいいのにな」


 明るい声色に引っ張られる体と、置いていかれる精神。

 つめたい玄関先で、ぼくは馬鹿みたいに立ったまま扉の向こうにいる友人の話を聞いている。


「せっかく最後だってのに。明人は祝ってくれるよな?」


「結局、本命に受かったのか?」


「あぁ。ばっちしな。家探しに苦労したよ」


「大変だったんだな」


「家賃が安い部屋にしろって母さんが怒ってさ、俺的にはネット環境とか、コンビニとかスーパーが近い方がいいだろ? でもさせてくれなかったんだよ」


「どっちが折れたんだ?」


「俺に決まってるだろ? 金を払ってくれるのは母さんだし、ワガママいうな! で一撃よ」


「違いないな」


 あぁ、そうか、悠人の本命大学は県外の大学だった。

 悠人は、こう見えて頑張り屋さんだからな。

 確か最初は判定が酷いって言って見せてくれなかったんじゃなかったか? 


 それが見事合格か……本当に、頑張ったんだな。


 今となっては懐かしい思い出だ。


 同じ塾。同じ学校。同じ部活。よく『勉強会』って言って悠人と俊助の家とか僕の家でお菓子を食べながら遊んだっけ。

 佳奈ともよく仲良くしてくれて「可愛い妹」だなって話をしてくれた。

 でも途中から僕の家に来なくなったよな……? 

 あ、そうだそうだ、ずっと鼻の下を伸ばして佳奈のことを見るもんだから僕が出禁にしたんだった。


 なつかしい。……とても、なつかしいよ。


 …………最後にあんな別れ方をした僕に、わざわざ挨拶をしてくるなんてどんなお人好しなんだよ。


「……もう、進学はできないんだろ?」


「あぁ、もう遅いよ。全部、無くなった」


「そう……か」


 扉の向こう側の悠人はどんな顔をしているのだろうか。

 この扉を開けたら何かが変わるのかな。


「……」


 悠人に一発殴ってもらった方が元気が出るのかもしれないな。

 開けるだけだ。何も難しいことじゃない。


 僕は、ゆっくりとドアノブに手をかけた。

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