11 崩れていく


 体に猛烈な倦怠感が襲った。

 重たくて、体を起こすのも難しい。口を開こうとしても、ぐちゃぐちゃとした感情が渦巻いて声を出すこともできない。


 でも、僕には聞かないといけないことがあった。


「……大学は、僕の学費はどうなるんですか」


 僕の言葉を聞くと、先生は目を大きく開く。


「それは…………やはり……」


 言いよどむ先生からは、焦りの表情が読み取れた。

 髪の毛のカーテンの向こうで唇を噛む先生を見て、また自分の足元と無機質な机の足に目を落とした。


「先生……っ、僕、受かったんですよ? 第一志望の大学。高校一年生から勉強してたの、先生も見てましたよね? 毎日毎日毎日毎日ずっと……勉強して、テストも模試も好成績を維持して、寝る間も惜しんで…………全部、頑張ってたんですよ……僕、僕は……!!」


「落ち着け。親がいなくとも奨学金という手がある。手続きを踏めばちゃんと受けれるはずだ。それをしたら、今の入学金さえ払えたら――」


「奨学金なんて、ただの借金じゃないですか……。アレを頼って大学生活を送れっていうんですか? 家計を支える両親がいないのに? 支払う義務を果たせずに死んだ人が大勢いるのに。ぼくなんかが払える見込みなんてない……」


「だが、それをしないとお前、進学取りやめになるんだぞ」


 先生の語気が強まるのを感じる。

 真っ直ぐ向けられる目に、僕は視線を逸らすしかない。


「…………そうするしかないでしょう」


「一時の感情に流されるんじゃない」


「一時の感情?……はは……っ、なに言ってるんですか……? これから起こる家庭の継続的な問題を加味した話ですよ」


「俺達教員はお前が頑張ってたのを知ってるんだ。だから、そう悲観するな。まだ何か手があるはずだ」


「無いですよ。社会福祉協議会の『教育支援資金』でも受けろっていうんですか? あれも借金だ。親戚たらい回しにされて、離婚した夫婦の所の憐れな子どもって目で見られながら学費を払ってもらうんですか? そりゃいいや。最高ですね」


「卑屈になるな。諦めるんじゃない」


「もう……どうでもいいんです。結局、僕の頑張りは何も意味が無かったんですよね。僕のこの三年間は無駄だったんですよね」


「いい加減にしろ!! 諦めるなと言ってるだろ!! お前はあれだけ頑張って来ただろ!!」


 向かい側の席から、こっちに回ってきて僕の肩を持って揺らしてくる。


(……そんな熱い言葉をかけて改心すると思ってるのか?)


 グッと力を込めている手を払い、涙で滲んだ目を先生へと向ける。


「………妹がいるんですよ、僕。この高校に入学が決まった大事な僕の家族が。だから、親がいないなら僕が何とかしてあげないと……」


「だからって、今から就職するっていうのか? うちは進学校だ。求人票なんて一つもないぞ、民間企業との繋がりもない。ろくなところに行けないんだぞ」


「えぇ、分かってますよ。進学できない生徒は適当な大学に行かせて進学率を稼ぐんですもんね。そりゃ民間企業との繋がりなんてないですよ」


「お前っ!!」


 僕の冷めた態度に腹が立ったのか、僕の胸ぐらを掴み頬を叩いてきた。

 その衝撃で僕は地面に倒れ、見上げると息が荒い中島先生の顔が見える。


「……教鞭をとる教師あなたがたが手を出していい時代じゃないでしょうに」


「俺の体罰でお前の心が変わるなら、俺は何回でも体罰をする。俺の将来より、お前の将来だ」


 綺麗事を並べるが、息が上がり耳が赤くなるまで感情を昂らせてる人の言う言葉だ。説得力の欠けらも無い。


 ……教師の体裁、学校の仕組み、嫌なところをつつかれて腹が立っただけだろ。


 教師の皮を剥いだ人の本性を見て、話す気も失せた僕は部屋を出ようと荷物を持つと、中島は再び胸ぐらを掴んできた。


「平野……! 大学にいけ。合格したんだろ!! 何がなんでも絶対いけよ!! お前の将来のためだ、選択を間違えるな!!」


 グイッと力を込めて、目の前で熱弁をする。


 でも、もう僕には光が見えないんだ。

 残された家族は佳奈だけ……。親はいない、大学も行けない……。

 貯蓄はあるけどいつまで持つかわからない。

 収入源がない以上……進学という道は考えられない。


「……放っておいてください」


「断る! 大学に行くって言うまでここからは出さんからな」


「僕だって行きたいですよ。でも、残されたのは僕だけじゃない。僕のわがままで妹を苦労させるわけにはいかないんだ」


 高校は必ず出ておいた方がいい。大学は出なかったとしても高卒という肩書きだけは貰える。

 佳奈の高校の学費や毎日かかる費用のことを考えたら僕の進学をやめ、その時間を充てたほうが現実的だ。

 

「いや、そういうことなら別の手がある」


「ないですよ。何言ってるんですか、僕が働かないと佳奈が高校にいけない――」


「お前の代わりに妹さんを働かせたらいい」


 ドアノブにかけた手が止まる。


 ――なんて言った、今。


 僕の言葉に被せてきた言葉が耳に入ってこなかった。

 いや、頭が理解しようとしなかったのかもしれない。


「いま……なんて……?」


「だから、妹さんには悪いが、今はお前の将来の方が大事だから働いてもらえばいいと言ったんだ」


 二回目を聞いても、その言葉が教師という立場の者から発せられる言葉だと信じれなかった。

 そして、それを疑おうと頭を使いだした時には既に────





 僕はその男を目がけて、拳を振りかぶっていた。





 顔面に右手で思いっきり殴りを入れて、齢50過ぎの体は机にぶつかり静止する。


「ぐッ!!? おまえ、自分が何をしたのか分かって――」


「佳奈の将来より僕の将来だって……ッ!?」


 目の前の男に怒りが渦巻く目を向け、拳を強く握った。


「いい加減なこと言うなよ! これ以上……! あなたから何も聞きたくないッ!!」


 ――『事実は小説よりも奇なり』とはよく言ったものだ。

 僕は吉報を聞きに信頼していた男の元に訪れたハズだった。

 それが……どうして、あんなことを聞かされなきゃいけないんだ。


「……平野ォ……!」


 鼻から血を出しながらこちらを見つめる男の視線に気づくと、僕はバツが悪くなってドアノブに手をかけた。


「おいッ!! まだ話は終わってないぞ!」


「これ以上!! 僕に何を言うことがあるんですか!? もう懲り懲りなんですよ……!! 全部!!」


 僕の腕を掴もうと近寄ってきた手を払い、俯いたまま僕は最後に一言呟いた。


「来なきゃよかった……こんなところ……!!」


 僕はそう言うと、その場から逃げるように家に帰った。

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