崩れ行く『普通』に刺さるは周囲の目

10 聞かされた話は馬鹿げていて、信じられなくて



「失礼します」


 高校に着くとまっすぐに階段を上り二階にある職員室へ向かった。

 職員室の扉には『テスト期間につき生徒立入禁止』と書かれた紙。

 そんなの扉をノックして開き、中島先生のデスクまで歩いて行った。


「中島先生」


「来たか。ここではなんだ、向こうの部屋で話そう」


 そういって、中島先生と向かった先は防音室。生徒指導の先生が使って生徒を怒鳴り散らす部屋だ。

 一度も入ったことが無い部屋に案内され、先生が座るのを確認して、話を切り出した。


「両親の話って、二人からなにか連絡があったんですか……?」


 気になる点はそこしかない。僕は単刀直入に聞いた。


「いや、2人からじゃない。平野のお父さんの方の職場の人で一人知り合いがいて、その人に聞いてみたんだ」


「父の……。市役所ですか?」


「そうだ。知り合いに聞いた話なんだが、その……なんだ……」


 呼びだしておきながら歯切れの悪い先生を見て、僕の頭に二人がいない間に考えていた【帰ってこれない理由】が渦巻き始めた。


 ──「旅行に行ってるんじゃないのか?」

 ──「長期休暇で、羽を伸ばしているんだ」

 ──「……事故に合って連絡も取れない状況」


 考えれる理由は全て考えた。でも、すべて憶測にすぎない。

 結局考えれば心が不安になっていくだけのモノばかり。

 歯切れの悪い時点で、これが【嬉しい話】じゃないのは馬鹿でも予想がつく。


「とても言いにくいのだが――」


 言いかけた先生の言葉を遮るように、ぼくは、


「父と母は……生きていますよね? 死んで……ないですよね?」


 と、聞いた。その確認だけはしておきたかった。

 質問をしたというのに、僕は顔を伏せたまま。不安が顔を上げさせてくれないのだ。

 膝の上に握り込んだ拳の中にじわと汗が広がるのを感じる。


「あ……あぁ、生きてはいるそうだ」


 ほっ、とした様子で顔を上げた。


「そうですか……、なら──」


 だけど、険しい顔をしていた先生に一瞬体が動かなくなった。

 なんで、そんな顔をしてるんですか。

 そんなぼくの思いが伝わったのか、苦しそうに歪めていた顔のまま先生は理由を口にする。


「しかし、離婚されたそうだ」


「…………え?」


 言い渡されたソレは僕が二人が返って来ない間、一度も考えてもみなかったことだった。


 瞳孔が開き、体が意図せず止まってしまう。

 体の全神経を使って、先生が言った言葉の意味を理解しようと思考を巡らす。


 一点を見つめる僕の目の視覚情報は頭まで届いてこない。


 しかし、無駄な思考や外界刺激を排除して考えてみても、その言葉の含意はそれ以上もそれ以下も無く、事実上の『家庭崩壊』としか捉えることができなかった。

 

「なん、で……?」


 声が震える。

 今にも泣きだしそうな、弱々しい声が僕の口から出てくる。


「離婚原因は、父親の浮気だそうだ」


「浮気……父さんが?」


 髪を掻き上げていた手をゆっくりおろして、先生を見上げた。


 浮気……だって。

 なにが、なんで。

 そんなハズがあるわけがない。


 先生の言葉を聞いて、僕の感情の制御が効かなくなった。


「っ、ふざけないでください……っ!!」


「……平野?」


「冗談言わないでください! だって、そんな訳がないんだ。父さんが浮気……? 信じられるわけないでしょう……! だって……、だって居なくなる前、あれだけ楽しそうに話してたんですよ……!?」


 ――あの日、僕の家で会話した内容を昨日のように思い出す。


 母と父が仲良さそうに会話する。

 その中には不自然さもぎこちなさも感じられない普段通りの会話で、僕と佳奈が毎日聞いている何気ない会話だった。

 

「だから……ありえるはずがない!! 父さんはあの家の大黒柱さ!! 家庭を支えて……っ。そんな人が浮気をするわけないだろ! 何も知らないくせに、いい加減なことを言うな!!!」


「平野、落ち着け」


「あぁ、落ち着いているよ! いつもの僕さ!! でも……でもっ!! 信じられるわけないでしょう!! だって、父さんは――」


「平野!!!」


 机を強く叩いた先生の言葉で僕は一瞬体を強ばらせた。


「…………ッ!」


 しかし、止まりはしなかった。


 そんなもので止まるほどの激情なら、僕はここまで人に感情を吐露することはない。

 感情が溢れた僕は溜め込んでいたものを全て吐き出す勢いで話した。


 理性で止まる訳ないんだ。こんな感情なんて初めてなんだから。


 ――受験期に親がいない不安を。

 ――佳奈がどれだけ不安で、毎日泣いていたかを。

 ――僕がどんな気持ちで勉強時間を削って新聞や報道を見ていたかを。

 ――街で母さんと父さんの影を追いかけて、違うって分かってても声をかけて、その度に泣き出しそうになるあの気持ちを。

 ――玄関の靴の数が少ない時の、心が空っぽに空くようなあの気持ちを。

 ――帰ってきたら「おかえり」と言ってくれる母さんの温かさを。

 ──口答えしたら叱ってくれる父さんの厳しさを。


「何も知らないくせに、立派に怒らないでくださいよ……!!」


 涙が溢れて、息が苦しく感じる。

 嗚咽に似たモノが僕の言葉を邪魔をする。


「だって、父さんは……本当にっ、そんなことをする人じゃないんだ……。僕の自慢できる父さんで、僕の目標だったんだ……」


「しかし、信じるしかないだろ。話によると、もう一月ひとつきほど帰ってきてないそうじゃないか」


 怒ったような口調で言葉を刺してくる先生の方を一瞥する。


「お母さんの方は、大変心を痛めて実家に帰っているようだ。お父さんの方は既に新しい家庭を作って――」


「もういいです……先生。……もう、言わなくていいです……」


 聞いた話を口にする先生にポツリと一言を言った。それを聞いて先生は口を噤む。

 聞きたくなかった。

 そんなこと聞いていたくなかった。


 ……知りたくなかったんだ。


 そんなことを聞きにここに来たわけじゃないんだ。

 いい話をしてくれると思ってて来たんだ。


 父さんと母さんは無事で、どこかで羽目を外して遊んでて。てっきり連絡をするのを忘れちゃって。またすぐに帰ってくるって。

 そう思って過ごしてたのに。そう思えている間は幸せだったのに。

 なのにっ……。


「……ぼくらは、捨てられたんですか…………」


 ぼくの頭は【現実】を理解してしまったんだ。

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