03 普通の家庭の一幕




 鍵で家のドアを開けると靴が見えた。両親は早めに帰ってたようだ。

 玄関で大きな父の靴があると、どうにも狭いと思ってしまう。それこそ反抗期の時であるなら、眉間にしわを寄せながら小さく愚痴を呟くだろう。

 だが、明人の反抗期は少し前に終了をしていることもあって、靴を脱いで玄関を通っていった。

 けれどその後ろにいる妹はそうはいかない。


「――父さんの靴邪魔だなぁ……でかいし」

 

 靴を履いたまま父の靴をズズズと端に押しやった。

 反抗期なのだ。仕方ない。


「……」


 明人はそれに関してはノーコメントで玄関を抜け、明るい居間の扉を開けた。


「ただいま」と言って、明人は居間をぐるりと見回す。


 テレビを見ている父の背中。料理を作ってくれている母の横顔。

 特筆すべきところはない。一般家庭の、普通の光景だ。 


「あ、おかえり〜! 小腹がすいてるでしょう?」


「夕食の時間は過ぎてるけど……」


「これからも勉強するんでしょ? だったら栄養は取っておかないとね。お母さん料理作ったから」


 長袖をまくりガッツポーズしている母親。それに苦笑いで返す。

 仕草がなんとも若々しい。さすが、30代前半――と子どもらに自称をしている実年齢不詳だけある。エプロン姿がよく似合い、子どもらが「食べたい」とリクエストした料理を作るその姿は板についている。


 時間がある時に明人に料理のイロハを教えてはいるが、レシピ通り作ってみてもやはりどこかもの足りない。

 母の言うところによると「愛が足りないのよ!」らしい。つまるところ調味料の分量が若干違うのだろう。

 

「……あぁ、おかえり明人」


「うん。ただいま父さん」


 会話する声に気づいた父がテレビに向けていた目を明人らに向け、声をかけた。

 父は市役所勤めの四十路。子どもとの絡みはそこまで多くはない固い父親である。

 しかし、思い出こそそこまでは多くはないが家族を支える大黒柱であるのは二人とも自覚を――少なくとも明人は――しているつもりだ。

 

「佳奈は……」


 明人の後方を眼鏡をかけたまま覗くようにして見る。

 父親に見つからない様に兄を隠れ蓑にする佳奈の姿を見つけ、ためいきをつく。


「……佳奈、帰ってくるの遅かったんじゃないのか?」


「えぇ〜、兄さんと帰るからって言ったじゃーん!」


 後ろからひょこっと顔を覗かせ、明らかに反抗的な態度で答えた。


「言ってはいたが……まだ中学生だぞ? 日が暮れたらだな――」


「もう高校生になるんだよ!」


 今度はぐるると番犬が警戒する時のような態度で言葉を即座に返す。


「佳奈も父さんに反抗するような年齢なんだねぇ。まぁ、洗濯物と一緒に洗わないでって言わないだけマシか! 手間が増えずに母さんは嬉しいな~」


 そう言いながら母は作った料理を更に盛り付け、食卓へ。


「そう言い出されたら、もう立ち直れない気がする」


 バサッと新聞を再び開いた父は来る気配はなく、夕食を既に済ましている様子。

 服を着替えていた兄妹はすとんと椅子に着席して手を合わした。


「いただきます」


「いただきまーす!」


 時間も時間だ。胃に溜まる料理など無く、消化に良いモノばかりが並ぶ。

 それらを食べていると母が兄妹の後方へ周り、凝り固まった肩のマッサージを始めた。


「最後の追い込みね。明人、応援してるから!」


「母さん……食事中だから、その、食べづらい……」


 と言う明人は決して嫌そうではなく。母もそれを良いことにグイグイと力を込める。

 

「母さん、私の肩も揉んでよォ」


「はいはい。佳奈も頑張ってね~」


「うは~……歳を重ねるごとに肩もみが気持ちよく感じていく」


「おおよそ高校生になる女子から出るセリフじゃないね」


「まったくね」


「なんだとぉ?」


 明人と母が笑うのを頬を膨らませてまたもや少し不機嫌になる佳奈。

 その頬を突かれ、ぷしゅうぅと空気が抜けていく。そんなことをしていたら料理を食べ終えた。

 カタカタと食器を流し場へもっていく母親の姿を見て、明人は椅子にもたれかかった。


 期待されるのは嬉しく感じる、大学に合格するために努力してきたのは事実だ。


 しかしながら努力は受験生の全員がやってることであり「努力する者は報われる」などと謳う人は夢の世界の住人に違いないと思っている。

 それに期待されたらされただけ、追い込まれるような気がする。肩にのしかかる重圧の重さを正確なモノにされるような気がする。

 けれど、されないと寂しいものであるのは知っている。

 期待に応えた時の達成感もとても気分のいいことも知っている。


「はぁ~……」とため息をついた。(僕はめんどくさい性格をしている)

 

 なんて思いながら、明人はお茶を飲んでいる隣の佳奈へ目を向けた。

 たしか、家に帰るときに判定が厳しいとかなんとかと言っていたような。


「……受験科目、どこか分からないところがあるの?」


 と聞くと、なんとも反抗期のような態度で口籠りながら。


「英語……。数学、国語……」


「思ったより大変そうだね」


 三年前に出てきた高校受験の時の問題内容を思い出そうとして腕を組む。そこまで難しくない内容だった気がする。それを言ってしまうと中緩みしてしまうか。


「……時間があるときにおしえよっか」


「ほんと!?」


「うん。あとで勉強したノートを後で渡すから見てみて、多分残ってた気がするし」


「ありがとう、兄さん! やっぱり持つべきは優しい兄! 間違いない!」


 ずいっと顔を近づける佳奈に少し身を引きながら笑う。


「父さんの方はどう? 最近何かあった?」


「何も無いな。佳奈に怒られたくらいだ」


「……」


 父親が珍しく傷心中。年頃の娘の取り扱いはまだ慣れないようだ。

 危なかっかしい佳奈のことを心配すれど、反抗期の娘が父親の話をまともに聞くわけがない。その反抗的な態度に一々泣きそうな顔になっている。

 新聞を読みながら不貞腐れる父親を見て、母親と明人は見つめ合って笑った。


 平凡な両親の元に生まれた平凡な兄妹。

 特筆すべきことのない家族の会話。

 

「……」


 だからこそ、明人は「この両親ふたりの元に生まれて良かった」と思っている。


 完璧ではない父と母。もちろん理不尽に怒られたこともある。

 けれど、ここまで育ててきてくれたのは紛れもなく父と母だ。

 そろそろ親孝行をしていかないとな、と意見を固めて椅子から腰を上げた。


「じゃあ、僕は勉強してくるね」


「無理しないようにね」


 優しい顔で微笑む母親の方を向いて、こくと頷く。


「まぁ、ここで無理せずにいつするって感じだけどね」


 少し生意気に答え、横の妹の頭をぽんぽんと撫でて。


「佳奈も頑張ってね」


「うん……! 任せてよ! あ、でも後でちゃんとノートをちょうだいね!」


「分かった分かった」


 そう言って、明人は父の方を見た。


 大きな背中はこちらに向けられているが、何か労ったほうがいいのだろうか。


 お仕事お疲れ様? 違う。

 明日も頑張って? これも違う。


 やや背中を見つめるだけ見つめ、結局何も声をかけることもなく部屋に入って、扉を閉めた。

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