第19話 獣化

 女性の悲鳴は甲高く、広場だけではなく祭の会場にも響き渡った。その声につられた子どもが泣き叫び、雰囲気に呑まれた人々が混乱を引き起こす。

 その周辺一帯がパニックを起こし、レーヴェを驚かせた。


「一体、何が……」

「これは好都合」

「我らが手を下さずとも、祭は壊れ崩れ去っていく」

「はは。どうする、王子よ」

「……」


 悪者たちの言葉に耳を貸さず、レーヴェはじっと考え込む。シエルは眠らされたのかピクリとも動かず、彼の不安を煽る。

 しかし、ここで取り乱しては本当に祭が壊れてしまう。だからレーヴェは、一芝居うつことを思い付いた。


(普段ならば絶対にしないが……やむを得ない)


 レーヴェが剣を引くと、相手はわずかな余裕を見せた。一対複数とはいえ、一国の王子を相手取るのは気が引けていたのだろう。それは好都合、とレーヴェは内心笑った。

 そして、大きく息を吸い込む。自分がレーヴェであることは皆にバレている。それを利用しない手はない。


「――皆、落ち着け!」


 大音声が響き渡り、パニックを起こしかけていた人々の視線がレーヴェに集まる。それをひしひしと感じつつ、レーヴェは羞恥心に蓋をしてもう一度叫んだ。


「俺が絶対に祭を壊させはしない!」

「……殿下」

「レーヴェ殿下」

「レーヴェ様……」


 レーヴェの誓いに対し、幾つもの呟きに似た感嘆が寄せられる。騒動が止まったことを確認し、レーヴェは観客の注意を引き付けたまま刺客たちに向き合った。


「シエルは返してもらう。その人は、俺の大切な人だ!」


 そう言い切った途端、レーヴェの体が変化する。人の耳が獅子のそれへ、手足に漆黒の毛が生え、姿を変える。

 町の人々からはため息と声援が聞こえ、刺客たちは目を見張りその場に縫い留められたように動けない。何なんだ、と顔に書かれている。

 彼らの目の前に現れたのは、見事なたてがみを持つ漆黒の獅子。レーヴェが獣化した姿だった。


『消えろ!』


 人の言葉ではなく、獣の言葉で吼える。すると草食動物に縁を持つ獣人たちが一斉に後退りした。本能的に逃げたいという衝動に駆られたのだろう。それを背後に感じつつ、レーヴェはただ曲者たちにのみ眼光を向けた。


『……早急に消えろ、さもなければ』


 太く鋭い前足の爪を見せつけるように一歩前へ出たレーヴェにおののき、ある者は座り込みある者はいつでも逃げられるような体勢を取っている。もう一息かと思い、レーヴェは前足に力を入れて一気に駆け出した。


「……う、わああぁぁぁぁっ」

「た、助けてくれぇぇっ」

「ひぃぃぃっ」


 てんでばらばらに逃げる刺客たちの中、一人が腰を抜かして動けずにいた。何とか腕の力だけで後退を試みるが、腕も力が抜けてしまっているのか、うまく下がることが出来ない。


『……』


 レーヴェは獅子の姿のまま、黙ってその男の前へ立つ。見下ろし、何も言わずに睨み付ける。

 刺客の男は青ざめ震えていたが、仲間に呼ばれて逃げる力を振り絞った。脱兎の如く逃げる男を見送り、レーヴェはため息を付いて人の姿へと戻る。 


「……シエル」


 レーヴェは放置されたシエルの傍に膝を付くと、彼女を抱き上げた。お姫様抱っこの要領で自分に体重をかけさせると、くるりと振り返る。

 するとそこには、レーヴェを尊敬の眼差しで見詰める人々の姿があった。草食動物の獣人は逃げてしまったかと思ったが、隠れていただけですぐにわらわらと姿を見せる。


「……祭の邪魔をしたな。明日は開城日でもある。良ければ、遊びに来てくれ」

「勿論ですよ、殿下。皆、この日を楽しみにしているのですから」

「ありがとう」


 ふっと目元を緩ませ、レーヴェは声をかけてくれた屋台の主人に礼を言った。その姿が儚げで、野次馬をしていた女性が数人倒れたとか倒れていないとか。

 レーヴェはその後、脇目も振らずかといって走ることもなく、まっすぐに城へ向かった。腕に抱えたシエルを気遣い、丁寧に歩く。


(すまない、シエル。俺が傍にいながら、怖い思いさせた。……早く、医師に診てもらわなければ)


 いつになく緊迫した雰囲気をまとったレーヴェが門に近付くと、門番の青年たちが目を丸くした。レーヴェは彼らに指示して医師を呼び、自分はシエルの部屋に彼女を送り届けた。


「お帰りなさいませ、お二人と……姫様っ!?」


 部屋の掃除をしていたマオは、レーヴェの表情と彼に抱かれたシエルを目にして息を呑んだ。彼女に対し、レーヴェは簡潔に情報を伝える。


「何者かに薬を嗅がされ、気を失った。今医師を呼んでいるが……ベッドに運んで良いか?」

「勿論です! こちらへ」


 マオの案内でシエルをベッドに寝かせた時、丁度医師が到着した。レーヴェは当時の状況を説明しつつ、医師の処置を見守る。


「……で、シエル姫の様子はどうだい?」

「医師の処置が功を奏し、今は穏やかな顔をして眠っています。医師によれば、一晩眠って起きればもう大丈夫だと」

「そう。なら様子見ということだけれど……お前も早く休んだ方が良さそうだが?」

「俺は……」

「言いたいことがあるなら、ためていることがあるなら言いなさい。ここには……僕しかいないから」

「兄上」


 ジーノの一人称が幼い頃のものへと変化し、レーヴェは肩の力を抜いた。少しだけ、弟として甘えても良いだろうか。


「シエルが攫われそうになって、久し振りに獣化じゅうかしました。相手はただ人でしたから、運良く逃げてくれましたが」

「町の人々が怯えてしまわないか、それが一番の不安だったんだろう?」

「……それと、万が一シエルが目にしたらと思うと」

「……レーヴェ」


 獣化は、決して恥ずべきものではない。むしろ、先祖代々の姿になる獣化を成せるものは獣人の中でもごくわずかの先祖返りの能力だと言われて神聖視されることすらある。

 レーヴェとジーノは獣化出来るが、彼らの両親は出来なかった。統計上の記録があるわけではないが、数十万人に一人いるかいなかという計算になるとか。

 獣人にとっては良いものであっても、ただ人には恐ろしい能力だと思われる。だからこそ、レーヴェはシエルには見られたくないのだ。折角近付いていると思っているのに、離れてしまうのは怖い。

 自分の手のひらを見詰めて顔をしかめるレーヴェを見て、ジーノは弟の心境の変化を察した。しかしそれを口にすることはなく、別の話題を出す。


「何にせよ、明日の収穫祭最終日は無事に開催出来そうだ。警備は強化するが、シエル姫の周囲はお前に任せる」

「――はっ」

「……獣化は、著しく心身を疲れさせる。今日は早く寝なさい、レーヴェ」

「ありがとう、兄上。おやすみなさい」

「おやすみ」


 ジーノのもとを辞し、レーヴェは自室に帰る前にシエルの部屋の前まで行った。しかしノックをする訳でもなく、部屋の前で見張りをしていた兵士に様子を聞いて立ち去る。どうやら、シエルはまだ目覚めてはいないらしい。マオがかいがいしく世話をしているという。


「……早く目覚めてくれよ、シエル」


 レーヴェの呟きは夜闇に消え、やがて王城は静かになった。

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