第18話 視察後編

 祭を視察するシエルとレーヴェ。彼らの後ろ姿を、非好意的な目で見詰める者たちがいた。


「あれか」

「ああ。そうだ」

「消せという命令だが……どうする?」


 視線だけで会話する男たちは、その服装だけを見れば善良な市民。視線の光は殺意を持っていたが、何も知らない人々が見れば祭を見に来た観光客。それくらい、溶け込んでいた。

 彼らは自然な動きでシエルたちの位置を把握すると、雑踏の中に消えてしまう。


 一方、シエルはレーヴェに手を引かれながら祭に湧く町を巡っている。

 レーヴェは幼い頃よく内緒で訪れたという言葉通り、色んな場所を知っていた。賑やかな繁華街、子どもたちが集う公園、町全体を見渡せる高台。その全てがシエルには新鮮で、鮮やかな光景だ。


「……良いところですね、この国は」


 シエルがそう呟いたのは、町中に戻って来てすぐのこと。雑踏がよく見える広場の端に置かれたベンチに腰掛けていたシエルの前に、ジュースを買ってきたレーヴェが立つ。


「どうした、突然?」

「いえ。あ、ありがとうございます」


 差し出されたジュースを受け取り、シエルはストローで中身を飲む。柑橘系の爽やかな味が口の中に広がり、頬が緩んだ。

 レーヴェもシエルの隣に腰掛け、同じジュースを飲む。城ではあまり飲めない味のため、物珍しくて注文してしまった。屋台の店主はレーヴェを王弟だと気付いていたが、何も言わずに商品を手渡してくれた。

 そんなことを思い出しながら、レーヴェはシエルに「で?」と続きを促す。


「えっと……。わたしは、持って生まれた魔力の属性が王族にそぐわないということもあって、幼い頃からしいたげられてきました。勿論故郷にもお祭りや祭祀はありましたが、わたしがそれに参加することは許されず、いつもマオと二人で部屋に籠もる日々を過ごしてきたんです」

「……」


 続けて、とレーヴェは目で言う。シエルは頷き、ゆっくりと口を開いた。


「そんな毎日だったので、町に出て人々と話すだなんて夢のまた夢でした。だけど今、わたしは町の中にいて、人々の楽しそうな様子を眺められている……なんて幸せなんだろうって。そう思ったら、それはきっと、この国が温かいからなんだろうなって思いあたったんです」

「シエル……」

「追放同然で国を出ました。だけど……今はそれに感謝しています。どんな形であれここに来られたから、わたしは毎日を楽しく過ごせているんですから」

「……大変なことも多いと思う。それでも、貴女は楽しいのか?」

「楽しいです。お菓子を作って、歴史やまつりごとを学んで、人々と挨拶をして、眠る。わたしには勿体ないくらい、楽しいです」


 丁度、遊んでいた子どものボールが転がって来た。シエルは立ち上がってそれを広い、下から上に放り投げてやる。すると子どもは犬の耳をぴくぴくと動かして手を振ってくれた。

 シエルが手を振り返していると、後ろから息を吐き出すような呟きが聞こえて振り返る。すると、レーヴェが自分の隣を叩いて彼女に座る様促した。頷いたシエルがちょこんと座ると、レーヴェは晴れ渡った空を仰いだ。


「……俺は、最初貴女を怪しんでいた」

「……そりゃあそうでしょう。だって、この国を野蛮だと蔑み続けて来た国から来た女なんですから。何か裏があると考えて当然です」

「ああ。獣人である俺たちを下に見て来た奴らが、一体何を考えているのかという不信感があった。だけど、姉姫の代わりだという貴女は、俺たちの予想を上回って驚かせ続けている。兄上も驚いていた。貴女が最初からずっと真っ直ぐなままで、ボロが出るかと思っていたがそのままだから」


 最初、城にいた誰もがリシューノア王国からの間者ではないかと疑った。手のひらを返して友好の証とうそぶいて娘を寄越して来る王のことなど、誰も信じてはいなかったから。

 勿論、今もシャイドゥ国の者たちはリシューノア王国の王を誰も良い王だと言わない。しかし、彼が末娘をこの国に寄越したことに関してのみ、皆喜んでいた。何故ならば、シエルは自ら異種族である獣人を知ろうとし、真っ直ぐに人々と関わるから。


「誰に対しても笑顔で、辛いこともあるだろうに弱音を吐くこともない。……たまには弱音くらい吐け。マオでも、ミシェーレさん相手でも良い。彼女たちならば、必ず貴女に寄り添ってくれる」

「……その相手は、殿下ではいけませんか?」

「俺、は……」


 シエルにじっと見詰められ、レーヴェは言葉に詰まる。深紅の瞳が彼の戸惑う姿を映し、捕らえた。瞳は何度か瞬きを繰り返し、やがて細められる。


「いつか、殿下に妻として認めて頂けるよう精一杯これからも努めてまいります。まずは、この収穫祭を成功させましょうね」

「……ああ」


 無邪気に微笑むシエルに、レーヴェはわずかに切ない視線を向けた。その色は瞬きの間程の短い時間のものでしかなく、シエルが違和感を覚えた時には既にレーヴェは立ち上がっている。

 レーヴェは「ほら」と手を差し出した。きょとんとするシエルに手を伸ばしつつ、レーヴェは微苦笑を浮かべる。


「そろそろ王城に戻るぞ。日が暮れてしまう前に戻らないと」

「本当です。ああ、ランプに明かりが灯って……綺麗」

「祭の風物詩の一つだな。城から見ると、また幻想的だ」

「そうなのですね。それはたの……っ」


 レーヴェに手を伸ばしたシエルだったが、突然背後から羽交い絞めにされて言葉を失う。叫ぼうにも、口を塞がれ何か薬をかがされたのか、一気に意識が遠退くのを感じる。


「シエル!」


 誰かに名を呼ばれた気がしたが、シエルの意識は既に混濁状態に陥って反応出来ない。瞳に映った青年の名を口に出来ないまま、シエルの体は自分を支えることを放棄した。


(気配が一切なかった)


 目の前にいる刺客らしき三人の男たちを見て、レーヴェは冷や汗が背中を伝うのを自覚した。鍛錬を積んで戦闘経験もあるレーヴェだが、全く彼らに気付かなかったのだ。

 しかし、そんな焦燥を一切見せないのがレーヴェだ。努めて冷静を装い、鋭い眼光で睨みつけながら腰の剣に手を添える。


「その人を離せ。お前たちのような下衆げすが触れても良い人ではない」

「我らは、リシューノアの尊い方より許しを得ている」

「この姫を殺せという命令だが……それだけでは面白くない」


 三人の刺客のうち、一人が覆面の下でクックと笑った。そして面白いおもちゃを見付けた子どものような調子で言う。


「この祭りを滅茶苦茶にしてやろうか。それから、この姫を皆の前で殺してやろう。そうすれば、気持ちが良いだろうからな」

「させるかよ」


 レーヴェがドスの聞いた声で唸った直後、彼らの緊迫した空気に気付いた通行人が悲鳴を上げた。


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