第4章 幸せへと歩んで行く

収穫祭

第17話 視察前編

 来城者へのお土産作りは大きな失敗をせずに終わり、後は冷めてラッピングをすれば完成というところまで出来た。可愛らしい表情の獅子を見て、シエルは小さく笑う。


「うん、良い感じ」

「流石、おいしそうに焼けましたね」


 マオに手伝ってもらいながら大量のお土産を作ったシエルは、バットで埋まりそうな机の上を整理してクッキーやバウンドケーキを乗せるためのスぺースを確保した。

 袋やリボンを出してきて、シエルとマオ、それにサナエラとリリスも手伝ってラッピングをしていく。赤や青、緑や黄色のリボンをかけられた袋の中には、パウンドケーキと二種類のクッキーが収められた。


「とってもかわいいです!」

「私たちでは、ここまでのものは出来なかったかもしれませんね……。こういう言い方はおかしいですが、収穫祭前に姫様たちがいらして下さってよかったです」

「わたしたちとしても、お役に立てたなら光栄です」

「ええ。さあ、全て済ませてしまいましょうか」


 マオの言葉に三人も頷き、ラッピングした袋を箱に入れていく。明日の昼間、開城時間内に来たお客様に手渡すのだ。その大役を務めるのもまた、シエルなのである。


「明日は今日以上に忙しいでしょうから、頑張りましょうね。シエル様」

「マオが隣にいてくれるから、きっと大丈夫」


 そう。お土産を手渡す役目を担うのは、シエルだけではない。マオ、そしてミシェーレである。

 ミシェーレは早朝から、城内部の支度を整えるために指示を出し、己も奔走している。しかしその忙しい中でも、シエルたちを見かけると必ず声をかけてくれた。


(皆さん、気にかけて下さるもの。わたしも頑張らなきゃ)


 お土産を箱に詰め終わり、所定の場所に置いた。一仕事終え、シエルは改めて気持ちを入れ直す。

 その時、マオがトンッと彼女の背を押した。


「マオ?」

「シエル様、こちらはもう大丈夫です。レーヴェ殿下のもとへ行かれて下さいな」

「で、でも……」


 確かに、シエルに課された仕事は終わった。しかし、心の準備というものがまだ出来ていない。ただの視察だとわかってはいても、心の奥で何かを期待する。

 おろおろとする主人に、マオはクスリと笑った。幼い子に言い聞かせるように、柔らかい声音で話しかける。


「大丈夫、大丈夫ですわ。……さあ、あまり目立たぬお召し物にお着替え下さい。お手伝いしますから」

「……はい」


 観念したシエルを連れ、マオはリリスたちにその場を任せて主人の部屋へと戻った。


 それからしばらくして、王城近くの待ち合わせ場所としてよく使われる噴水公園。水が噴き出すその前で、すらりと背の高い青年が誰かを待っていた。

 何処かの貴族の子弟かと思われる上品な雰囲気で、そわそわとしている。何度か女性に声をかけられたが、全てを丁寧に断ってた。

 そんな青年にこれから声をかけなければならないシエルは、息を整えて精一杯の声を出した。


「……っ。お、お待たせして申し訳ありません!」

「しえ……いや、待ってはいない。急がせて悪かったな」

「いえ、こちらこそ……」


 互いの名は人前で呼ばない。身分も明かさない。それらが、このお忍びの条件だ。

 はたから見れば、立派に初デートらしき男女なのだが、二人にその自覚はない。レーヴェは薄桃色のワンピース姿のシエルに緊張しつつ、手を差し伸べた。


「ここから向かうのは、人通りの多い場所だ。はぐれるといけないだろ」

「は……はい。失礼します」

「ああ」


 おずおずと差し出されたシエルの細い指を、レーヴェの大きな手が包み込む。しっかりと繋ぐと、レーヴェは「よし」と小さく呟いた。


「行くぞ」

「はいっ」


 わずかにいつもよりもレーヴェの表情が明るい。柔らかいと言った方が正しそうなレーヴェの顔を見て、シエルは特別なことのように感じて胸をときめかせた。


「わあっ」


 町の中心部は、祭一色になっている。赤いランプが家々の軒下につるされ、風に揺れている。人々の表情も晴れやかで、子どもたちが出店の前を走って行く。

 シエルは思わずといった顔で声を上げ、目をキラキラと輝かせた。


「凄いだろ。これだけのものを、人々は長い期間準備をして作り上げているんだ」

「本当に、美しい光景です。ずっと見ていられます……」

「――っと、これを被っていろ」

「わっ」


 シエルに被せられたのは、レーヴェの上着だ。フードがついている紺色のもので、シエルは目を瞬かせる。


「ここには、まだ貴女の存在を知らない人も多い。何かあってもいけないから、それを被って俺から離れないでいて」

「わかりました」

「……よし」


 きゅっとフードの端を握って頷くシエルが可愛く見えて、レーヴェは無意識に彼女の頭をフード越しに撫でた。それから照れ隠しに咳払いをすると、前から来る人とぶつからないよう気を付けながら道を進んでいく。


「おや、殿下」

「こんにちは!」

「今年も見回りですかい?」

「良い商品が今年も出来たよ! 食って行きな」


 祭の会場で飛んで来るのは、レーヴェに対する挨拶の声。そのどれもが彼に対する好意的なもので、シエルは温かい気持ちになった。

 勿論、レーヴェはそれらの声に対して律儀に応じる。食って行きなと言った猫の獣人の男性からは、苺を飴でコーティングしたお菓子を貰っていた。苦笑しつつ、レーヴェはそれをシエルに手渡してくれる。


「これ……」

「良いから」


 シエルが遠慮する前にそれを押し付けると、レーヴェは苺をくれた獣人に礼を叫ぶ。


「おっさん、ありがとう! だけど甘いものは……」

「そこのお連れさんにあげてくれよ! 殿下にはこっちだ」


 そう言って投げ寄越したのは、じゃがいもを細く切って上げた揚げ菓子だ。塩が効いていて、すっきりとしている。

 レーヴェは目を瞬かせ、それから軽く笑って男に「悪いな」と礼を言った。


「殿下、皆に好かれておられるのですね」

「意外だったか?」


 少し雑踏から離れたベンチに腰掛け、シエルが問うとレーヴェは肩を竦めた。

 二人の手にはそれぞれ出店の主人たちから貰ったおすそわけがあり、袋や箱に入ったものは城に持ち帰ることにしている。その他、その場で食べるしかないものはここで食べてしまおうという話だ。

 レーヴェからじゃがいものフライを一本貰いながら、シエルは「だって」と微笑む。


「殿下はいつも、お仕事に一生懸命で。城下に下りておられる様子を見受けられなかったので」

「子どもの頃から、よく稽古を抜け出して町に遊びに行っていたんだ。その時からの知り合いもいるから、みんな気安いんだよ」


 行方不明のあいつとも、そんな時に出会った。少し寂しげに呟くレーヴェに、シエルは何も言うことが出来ない。せめて、と自分の思い出の蓋を開けてみることにした。


「実はわたし一度だけ、幼い頃にこの国に来たことがあるんです。その時のことはほとんど覚えていませんが、とても親切にしてくれた同年代の子がいました。凄く短い間でしたが、とても楽しかったという記憶だけが残っています」

「そいつとは、それきりなのか?」

「はい。きちんとお別れを言えたのか、それすらも覚えていません」

「そうか……」


 少し寂しいな。レーヴェがそう呟くのを聞きながら、シエルは思う。もしも、と。


(もしもあの時のが殿下だったら……なんてね)


 それは、奇跡のようなことがなければあり得ない。シエルはそう結論付け、立ち上がったレーヴェの手を取った。

 まさか、自分たちを見詰める複数の目があるとは思いもせずに。

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