第16話 祭前夜

 それから一週間程かけ、シエルは収穫祭で来城者へ配るお土産を完成させた。レーヴェのアイデアをもとに作ったクルミのパウンドケーキ、チョコチップをたくさん入れたクッキー、そして獅子の形で型抜きしたクッキーだ。

 獅子は、シャイドゥ国の王族が獅子の獣人であることに起因する。怖い印象の強い獅子だが、クッキーにすれば怖くない。チョコチップを目と鼻にして、可愛らしく仕上げた。


「シエル姫、こんな時間まで作ってくれていたのかい?」

「ジーノ陛下。収穫祭まで日がありませんから、ラッピングに使うものくらいは準備しておこうと思ったんです。お菓子は前日にしか仕込むことが出来ませんからね」


 深夜のキッチンで、シエルは一人収穫祭の準備をしていた。ラッピングに使う袋やリボン、シート等の数を揃え、当日の手順を確認していたのだ。マオには早く寝るようせっつかれたが、気持ちが高揚していて全く眠くない。

 楽しそうに手を動かすシエルを見て、ジーノも微笑む。


「収穫祭まで、後二日といったところか。明日が最も忙しいだろから、早めに休むんだよ。貴女は倒れては、レーヴェも心配するからね」

「は、はい」


 ジーノは「おやすみ」と微笑み、キッチンを出て行った。彼を見送ったシエルは、

 ドキドキと激しく鼓動する胸の奥に戸惑う。


(最近、わたしおかしい気がする。殿下のこと思い浮かべるだけで、胸が痛くなる)


 勿論、結婚するからには好きな相手としたい。嫌いな相手とずっと、何十年も一緒にいるなんて気が狂ってしまうだろう。だからこそ、レーヴェを好きになりたいと言ったのはシエルだ。

 しかし、最近は戸惑いが大きいのもまた事実。病気かと疑う程に心臓が痛み、大きな音をたてる。顔が赤くなり、のぼせたような感覚に陥ってしまう。更には、この気持ちを言葉にしようとすると出来ない。


(たった一言、二文字言うだけなのに……)


 シエルはラッピングに使うリボンを確認しながら、軽く息をついた。そして慌てて吸い込む。ため息をついては、幸せが逃げてしまう。


「……よし、寝よう」


 時計を見れば、もう翌日になっている。先程から見回りの兵がちらちらとキッチンを覗いて行くから気になっていたが、どう考えてもこちらが心配をかけている。

 シエルは肩を竦め、照明代わりにしていた蝋燭を吹き消した。炎属性の魔力を持つ彼女は戦闘は不得意だが、こういった日常に扱うことには長けているのだ。


「もう深夜ですよ、姫様?」

「ご、ごめんなさい。夢中になってしまって……」

「昔から、夢中になると時間を忘れますからね。ほら、朝も早いのでしょう?」


 部屋に戻ると、案の定マオが起きていて心配したと眉を寄せた。彼女に急かされ、シエルは急いで寝る支度を整える。それから、布団をかぶって照明を消した。


 翌日は朝から気持ち良く晴れ、明日へも天気が持ちそうな陽気だ。

 シエルは伸びをして、マオが来る前に支度を済ませた。やって来たマオが驚き、笑い出す。 


「全く……。遠足を楽しみにする子どものようですね」

「今日と明日は絶対に起きなければって思っていたからよ。朝から忙しいんだから、マオも手伝ってね!」

「勿論、お手伝いしますよ」


 頬を膨らませていたシエルは、すぐににこりと笑って今日のやるべきことを考え始める。明日の収穫祭へ向け、町は何日も前からお祝いムードだ。


「昨日城下町へ行きましたが、飾り付けがとても美しかったですよ」

「きっと、たくさんの笑顔が輝いているのね。わたしも見に行きたい!」

「その笑顔は来城される方々から受け取って下さいな。飾り付けについては……見て下さい」

「何? ……わあっ!」


 部屋の窓を開け放ったマオに促され、シエルは窓枠に手をかける。すると、小高い丘の上に立つ城から、城下町の様子を見ることが出来た。

 見えたのは、家々の軒先に吊るされた赤いランプだ。赤い布でふわりと覆われたそれは、夜になるとオレンジ色に輝くという。


「きっと、とっても素敵な景色ね」


 想像するだけで、心が温かくなる。そこにいる人々の笑顔が見られることを願って、シエルはいそいそと部屋を出た。

 シエルが向かったのは食堂だ。何を始めるにも、朝食は不可欠。今朝はその席で、祭のスケジュール等を最終確認することになっていた。

 食堂へ足を運ぶと、既にジーノとレーヴェが顔をそろえている。彼らの他にも、普段は仕事でしか出会わない大臣たちの一部も顔を見せていた。


「おはよう、シエル姫」

「おはようございます、ジーノ陛下」

「……おはよう」

「おはようございます、レーヴェ殿下」


 シエルはまずジーノとレーヴェに挨拶した後、役人たちにも笑顔で挨拶する。犬や猫、兎等、様々な種族の獣人が揃っていた。

 朝食のパンにジャムを塗りながら、シエルはレーヴェをちらりと見る。するとレーヴェもシエルの方へ目を向け、目が合って同時に逸らしてしまった。

 ドキドキと胸がいっぱいになる感覚になりながら、シエルはジーノたちの話に身を傾ける。内容は、明日の城で行われる行事についてが主だ。


「……で、昼には大道芸人を招いてのショーが開かれます。屋台の支度も整いまして、今朝から店主たちの支度も始まります」

「では、この後広場を見に行こう。兵たちの模擬戦も同じ時間かな」

「そちらは俺が行きますよ、兄上。兄上はそれと、夕刻からの儀式の準備があるでしょう?」

「そうだね。各国の大使とも挨拶しなければいけないし、そちらはレーヴェに任せるよ。……あ、そうだ」


 良いことを思い付いたとばかりに、ジーノはシエルの方を見た。


「シエル姫、今日の予定は?」

「え……っと、お土産を作るのが主な予定です。それが終わったら、特には」

「だったら、終わってからでもレーヴェに収穫祭を案内してもらえば良い。城の中を開放するのは明日だけれど、町はもうお祭りを始めているからね」

「「え!?」」


 驚き声を上げるレーヴェとシエルを見比べつつ、ジーノはにこにことした表情を崩さない。


「シエル姫は、今後国の人々との交流も重要な仕事になって来る。顔を知ってもらうという意味でも、良い機会だと思うけど?」

「……兄上、思い付きが急過ぎる。それに、案内ならば兄上でも問題は」

「私は祭祀や公務でゆっくりすることは出来ないからね。……今後のこともあるし、是非頼みたいのだが」

「う……」


 レーヴェは軽く頭を抱えた後、小さく「仕方ない」と呟いた。その時耳がわずかに赤くなっていたのには、ジーノだけが気付いていたが。

 シエルは兄弟の会話を聞きながら、レーヴェが祭を案内してくれるということで密かに心を躍らせていた。マオが見たという祭の雰囲気を感じられるかもしれない。そう考えるだけでもドキドキとするのに、案内人がレーヴェとなれば緊張は倍増だ。


「い、良いのですか。レーヴェ殿下」

「兄上の命だ。それに……貴女にこの国の良い所を見せたいからな」

「――ありがとうございます」


 嬉しくて、シエルはふわりと微笑んだ。彼女の表情に、その場にいた男たちは皆息を呑んだ。ほぼ同時に、レーヴェの眼光にジーノとシエル以外が押し黙ったが。


「シエル姫、土産の支度が全て終わってからで良い。声をかけてくれ。祭は夜も昼も関係なく行われているから、慌てるな」

「わかりました。楽しみにしていますね」


 こうして、シエルとレーヴェの祭見学という名の初デートが約束された。

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