第15話 お客様を迎えて

 翌日、本当にレーヴェはシエルがお菓子を試作する現場に顔を出した。集中していたシエルは気付かなかったが、サナエラが声を上げる。


「あら、レーヴェ殿下。いらっしゃいませ」

「おはようございます、サナエラさん」


 サナエラにぺこりと頭を下げたレーヴェを見て、シエルは大慌てだ。


「えっ……殿下!?」

「よぉ……って、手元見ろ手元! こぼすぞ」

「あ……わわっ」


 昨日の試作の続きをということで、シエルはパウンドケーキを作るために菓子用粉をボウルに入れて抱えていた。しかしレーヴェの訪問に気付き、思わず取り落としそうになる。

 そのボウルをシエルごと支え、レーヴェはほっと息をついた。


「まったく、気をつけ……」

「ご、ごめんなさ……」


 息をついた時に視線を落としたレーヴェと、謝るために顔を上げたシエル。二人の視線が交わり、同時に硬直した。


「あらあら」


 はたから見てもわかり易すぎる二人の反応に、サナエラの頬は緩む。

 しかしレーヴェの方が少し我に返るのが早く、シエルから手を離した。その手が僅かに躊躇したのは無意識だが。


「す、すまない」

「こ、こちらこそ。あ、ありがとうございます。助けて下さって」

「ああ。……こほん」


 調子が狂う。レーヴェは軽く咳払いすると、ニヤニヤとしているサナエラに向き直った。


視察に来ただけです。……他意はありませんから」

「わかっていますよ、殿下」


 くすくすと笑うサナエラは、顔を赤くしたままのシエルの肩をたたいて「始めましょうか」と声をかけた。それにハッとしたシエルは、表情を改めてお菓子作りを始める。


(……こいつ、こんな顔するんだな)


 真剣な顔で材料をかき混ぜるシエルを少し離れた所に座って眺め、レーヴェはふと思う。実は勉学に励む姿や侍女たちと話す姿は遠くから見たことがあるが、ここまで近くで彼女の姿を見詰めたことはなかった。

 シエルはレーヴェがそんなことを考えているとは露知らず、むしろレーヴェがいることを意識しないようにするのに必死だ。いつもよりも手元に力が入ってしまい、慌てて力の入れ具合を調節する。


「ふぅ……」


 ようやくオーブンにケーキの生地を入れ、スイッチを押す。後は待つだけとなり、シエルはようやく肩の力を抜いた。しかし、そこへ人影が射す。


「後は待つだけか?」

「きゃっ」

「わ、悪い。驚かせるつもりはなかったんだが……」

「だ、大丈夫です」


 心臓がドクドクと音をたてている。シエルは胸を押さえながらも苦笑を浮かべ、レーヴェのために一歩横へ動いた。その隙間に立ったレーヴェは、オーブンの中を覗き込む。


「菓子が作られるところをじっくり見たことはなかったんだが……興味深かった。今まで何の気なしに食べていて、勿体ないことをしたな」

「殿下たちが召し上がる時には、当然ですが作る工程は終わっていますからね」

「ええ。私たちも、散らかった調理場をお見せするわけにはまいりませんから」


 シエルに続きサナエラも加わり、レーヴェは二人にお菓子に関する質問を幾つかぶつけることになった。元々知識欲の強いレーヴェだが、本職に作り方やコツなどを聞いているうちに、ふとあることが思い浮かぶ。


(でもこれは、もう少し先で願おう。今はまだその時ではないだろうから)


 今考えるべきは、収穫祭のこと。レーヴェは楽しげにお菓子作りについて語るシエルを眺め、心なしか頬を緩める。

 シエルもまた、レーヴェを相手にお菓子作りについて話すのに夢中になっていた。今まで、マオ以外に話せる者がいなかったからだろう。とめどなく得てきた知識やレシピが口から流れる。

 そうしているうちに、オーブンが焼き上がりを告げた。


「出来た! レーヴェ殿下、見ていてくださいね」

「ああ」


 獣人のように耳があれば、今のシエルは耳をピクピクと動かしていたことだろう。普段から獣の耳を仕舞っているレーヴェは、そんな彼女の姿を想像してしまった。

 シエルはミトンを両手につけ、慎重にオーブンからケーキの乗ったバットを取り出す。熱々のケーキからは湯気が立ち昇り、甘くておいしそうな香りも広がった。


「今回は、殿下のアドバイスを受けて砕いたクルミを入れてみました! 少し冷ましてから、レモンと砂糖を混ぜて作ったアイシングを乗せますね」

「アイシングって……。ああ、さっき混ぜていたあれか」

「そうです。これをかけて、完成です」


 そんな話をしている間に、クルミのパウンドケーキは落ち着いて来た。シエルは慎重にアイシングをかけ、皿の上に置く。


「出来た」

「今回もうまくいきましたね、シエル様」

「……綺麗なものだな」


 感心して目を丸くするレーヴェの前に、シエルが切り分けたパウンドケーキを置く。シエルはマオを呼び、サナエラと自分たちの分も切り分けて、キラキラと照明に反射するアイシングを眩しげに眺めた。


「これがうまくいったら、改良して完成させます。なので、思ったことがあったら遠慮せずに何でもおっしゃって下さいね。では、食べましょうか」


 残りの半分は、ジーノたちに食べてもらう分だ。シエルはフォークで切り分けたケーキを口に運び、食感や味を確かめる。しっとりとした生地の中に、砕いたクルミの硬さが丁度良いインパクトを生み出していた。


「クルミの食感が良いですね」

「ケーキもしっとりとしていて……。前回は少しパサついていましたから、火加減がうまくいってよかったです」

「アイシングはもう少しレモンを抑えても良いかもしれませんね」

「……確かに、少し酸っぱいか? ケーキは甘過ぎなくて食べやすい」


 これならば、甘いものが苦手な人でも食べやすいだろう。そんなレーヴェの感想に頷いたシエルは、嬉しそうに微笑んだ。


「こうやって、レーヴェ殿下とお菓子を食べながらお話し出来て、とっても嬉しいです。来て下さって、ありがとうございます」

「俺も、来てよかったよ。兄上の命がなければ、お菓子が作られるところを見ることもなかっただろうからな」

「ふふっ。お土産の出来上がり、楽しみにしていて下さいね。絶対、皆さまに喜んで頂けるものを作り上げますから」

「楽しみにしているよ、心から」


 ごちそう様。この後公務があるレーヴェは、パウンドケーキを一切れ全部食べてから席を立つ。きちんと皿とフォークをシンクに置いていく。

 レーヴェの後ろ姿を見送ったシエルは、マオにあることを指摘されて目を丸くする。


「シエル様、とても嬉しそうですね」

「え、そう……見える?」

「はい」


 頬に手をあて、シエルはその時初めて頬が熱いことに気が付いた。その理由に心当たりがあり、余計に頬を染める。


「わたし……。お、お皿洗いますね!」


 その場から逃げるようにシンクに立ったシエルの後ろ姿を、マオとサナエラが温かく見守っていた。

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