第8話 お菓子教室
レーヴェにクッキーを振る舞った翌日から、シエルは食堂のキッチンに通うようになった。目的は、料理長であるサナエラからシャイドゥ国のお菓子の作り方を教わることだ。
「交換条件として、ワタシにリシューノアのお菓子のレシピを教えて下さい」
「勿論です。喜んで」
そんな会話があり、お互いに料理を教え合うことになった。その初日にシエルがキッチンへ向かうと、サナエラの他にもう一人兎の獣人の女性が待っている。彼女と初対面のシエルは、戸惑いつつもサナエラに尋ねた。
「あの、サナエラさん。彼女は……?」
「驚かせてしまいましたね。ほら、リリス」
「あ、はいっ」
ぴょこんっと白兎の耳を生やした女性は、シエルに向かって勢いよく頭を下げる。それにつられて同様に頭を下げたシエルに、リリスと呼ばれた彼女は口を開いた。
「わたし、リリスと言います。サナエラ料理長のもとで、去年から料理を学んでいるのですが、この
「ごめんなさい、シエル妃殿下。貴女に許可を取ることなく、独断したことをお詫び致します」
「そんな……。謝って頂く必要などありません。わたしの方がお邪魔しているのですから、どうか頭をお上げください」
おろおろとするシエルに、リリスの方が目を丸くした。
「……本当に、聞いていた通りの方なのですね」
「フフッ。だから言ったでしょう? 自分の目で確かめなさいと」
「はい」
笑い出すサナエラに、リリスは神妙に頷く。
二人の様子を見て戸惑ったシエルだが、自分がどのような人物か判断がつかなかったリリスが偵察もかねてここにきたのだと理解した。だからこそ、出来る限りいつも通りにと気持ちを切り替える。
「えっと。では今日はサナエラさんに教わる日でしたよね」
「ええ、そうですよ。始めましょうか」
「宜しくお願い致します」
「お願い致します」
弟子を二人抱え、サナエラはホワイトボードを使いながらお菓子教室を開催した。今回作るのは、生クリームを乗せてデコレーションするカップケーキだ。
それから数時間後。シエルとリリスの二人の前に、各五個のカップケーキが出来上がっていた。生クリームを絞り、チョコスプレーやドライフルーツで飾り付けていく。
「――出来ました」
「わたしも、出来ました」
デコレーションを始めて三十分後、シエルとリリスはそれぞれのカップケーキを完成させた。
シエルのはソフトクリームのように生クリームを絞った左右に、ドライオレンジを刺して動物の耳を模した。他にも生クリームにチョコスプレーをまく等、手の込んだデコカップケーキを作り上げた。
リリスはと言えば、シエルのようにドライフルーツを動物の耳に見立て、チョコチップやペンでかわいらしいうさぎの顔を描いて作り上げていた。ウインクしているものやニコニコ笑っているもの等、かわいらしい作品に仕上がる。
「成程、こういう風にすると可愛くなるんですね」
リリスのカップケーキを色々な角度から眺め、シエルは彼女から何処に力を入れたのかなど聞き取った。更に、サナエラからはカップケーキを作るコツを聞く。
勉強熱心なシエルに感化されたのか、リリスも身を乗り出して彼女からリシューノアの食文化について質問した。
そんな時間が続き、サナエラは頃合いかと手を軽く数度叩く。
「さあ、そろそろ解散しましょう。リリスはそのまま仕事に入ってね」
「はい」
「シエル様は、レーヴェ殿下のもとへ行かれますか?」
「――えっ」
リリスを手伝って後片付けをしようとしていたシエルは声を上げ、持っていたボウルを落としそうになって慌てた。何とかキャッチし、息をつく間もなくサナエラを振り返る。
「さ、サナエラさん、何をおっしゃっているんですか……?」
「昨日のことは、陛下からお聞きましたよ。レーヴェ殿下のもとへ、クッキーを持って行かれて。しばらく戸の前で固まっていたと」
「そ、そんなことを……。忘れて下さいませ」
顔から火が出そうな程恥ずかしがるシエルを可愛らしいと愛でつつ、サナエラは昔のレーヴェのことを思い出していた。
幼い頃は今よりも素直で、お菓子を好んで食べていたレーヴェ。しかし王子としての自覚は早くからあり、勉学も武術の稽古も怠らなかった。
そんな彼が大きく性格を変えたのは、あの出来事があってからのこと。
「……いつか、貴女様が殿下の心の氷を溶かすことを願っていますよ」
「サナエラさん?」
ぼそりと呟かれた声は水道の音でうまく聞こえず、シエルは首を傾げる。
しかしサナエラは繰り返すことをせず、ラッピングフィルム等をシエルに手渡す。バットから白い皿に変え、コースター型の紙をカップケーキの下に敷き、トレイの上に乗せてカバーをすれば出来上がり。
「さあ、これで行ってらっしゃい。この時間なら、レーヴェ殿下はまだお部屋におられましょう」
「ありがとうございます、サナエラさん。殿下のところへ行く前に、陛下にも差し入れしに行きます」
実は昨日、レーヴェからシエルの料理の腕を聞き出したジーノが依頼してきたのだ。自分のところにもお菓子の差し入れをして欲しい、と。
シエルは好きなお菓子作りが誰かに喜んでもらえるなら、と二つ返事で受け入れた。だから、お菓子を作った日には二人のところに行くと決めている。
「――陛下、シエルです」
「ああ、どうぞ。遠慮せず入って」
内側からの許しを得、シエルはジーノの執務室に入る。するとジーノが昨日と同じように机に向かって書類を片付けていた。その手を止め、彼はシエルを見てにこりと笑う。
「おはよう、シエル姫。よく眠れたかい?」
「はい、お蔭様で。お邪魔して申し訳ありません」
「邪魔だなんて。私の頼みを叶えに来てくれたんだろう? そのトレイの上のものかな?」
「はい。……お口に合うかはわからないのですが」
そう言って、シエルはトレイのカバーを取り、カップケーキを一つコースター型のラッピングペーパーに乗せた。それをジーノの執務用机の上に置く。
ジーノ用に作ったのは、シャイドゥ国で作られた柑橘、オランジを使ったものだ。酸味と甘みのバランスが絶妙なそれのジャムがキッチンにあり、ジーノが好きだと聞いたから。
「おお、オランジピールもジャムも入っている。私はこの果物が好きなんだ……って、サナエラさんから聞いたかな?」
「はい。お喜びになると伺ったので、陛下のケーキに使おうと決めました」
「ふふ、嬉しいなぁ」
ジーノは早速、シエルの用意したフォークを用いてカップケーキを一口口に入れた。そして、大きく目を見開く。ごくん、と喉が鳴った。
「……おいしい」
「本当ですか? よかった」
シエルがほっと胸を撫で下ろしている間に、ジーノはカップケーキを寒色してしまう。そして満足げに微笑むと、シエルに思いがけないことを尋ねた。
「シエル姫、きみはもしかして……炎の魔力の使い手なのかい?」
「何故、それを……?」
まだ、この国の人々には言っていないシエルの追放理由の一つ。それが、リシューノアの王族としてあり得ないとされる炎属性の魔力だ。水属性を持たないシエルは、物心つく前から魔力を使うことを禁じられて来た。
それなのに何故、とシエルは動揺を隠せない。するとジーノは、優しい目をして「ごめんね」と目を伏せた。
「きっと今から話すことは、貴女自身が気付いていないことだと思うけれど」
そう前置きし、ジーノはゆっくりと言い含めるように語り出した。
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