第7話 殿下の秘密

「……」


 シエルは今、レーヴェの部屋の前に佇んでいる。

 既にリシューノアからレーヴェが帰って来て部屋にいることは聞いていたが、夫となる青年の部屋に一人で入るなどどうして良いのかわからない。どうしようかと考え、かれこれ十分以上が経過していた。


(何て声をかけたら良いんだろう……? こんにちは? お疲れ様です?)


 おろおろとしつつも、紙袋を大切に抱き締めている。そこにはサナエラとマオから太鼓判を押してもらったクッキーが入っているのだ。


「――っ」


 勇気を出さなければ、日が暮れてしまいかねない。シエルは大きく息を吸い、吐き出してからノックするために手をドアに沿えた。丁度その時のこと。


「シエル姫?」

「……あ、ジーノ陛下」


 驚き振り返ると、ジーノが立っていた。いつの間にとシエルが呟くと、笑って「歩いていたら佇んでいるから気になって」と明かす。


「こんなところでどうしたんだい? レーヴェなら部屋に……ああ、成る程」

「……」


 ジーノはシエルの手元を見て、合点がいったらしい。くすくすと笑うと、ジーノはシエルに何も言わずに目の前の部屋の戸をノックした。


「レーヴェ、いる?」

「へ、陛下!?」


 驚き自分を見上げるシエルに、ジーノは穏やかに微笑んで見せた。表情は優しげながら、やっていることは容赦ない。


「ここでずっと立っていても、レーヴェが出て来るまで続くでしょう? だったら、少し強引に……やあ、レーヴェ」

「……何をしているんですか、兄上?」


 胡乱げな顔で戸を開けたレーヴェに、ジーノはにこにこと返答する。


「お前の部屋の前でシエルさんが困っていたからね。助け舟を出したつもりなんだ」

「まあ、ずっと誰かが部屋の前にいるなとは思っていましたが……」


 ちらりとシエルに目を移したレーヴェは、軽く息をつくと体を少し横にずらした。その動きにジーノは「お」と目を瞬かせ、シエルは目を大きく見開く。


「……え?」

「え、じゃない。用があるんだろ? 入ってくれたらいい」

「え、えと……」


 ちらりとジーノを見上げると、彼は楽しそうに頷く。それを見て、シエルはおずおずと一歩踏み出した。


「お、お邪魔します」

「ああ。……そこに座って」

「あ、はい」


 レーヴェは塩対応ながらも、シエルをソファーに案内した。部屋に置いていた水差しから水をコップに注ぎ、シエルに差し出す。それから彼女の向かいのソファーに腰を下ろし、自分のコップに注いだ水を飲んだ。


「それで、何か俺に用事があるんだろう?」

「……はい。殿下に、お渡ししたいものがありまして」

「渡したいもの?」


 首を傾げるレーヴェに、シエルは意を決して手に持っていたものを差し出した。彼女が大事に持っていたのは、透明な袋に入れたクッキーだ。青いリボンを結んだ袋の中には、花やうさぎの形をしたクッキーが十枚ほど入っている。味もプレーンとココア、チョコチップと三種類だ。

 差し出されたそれを受け取ったレーヴェは、少し驚いた顔で袋を凝視する。

 彼が今ここで食べるのか否かを判断するのを待ちながら、シエルは顔を上げられずにいた。自分の膝を見詰め、ドキドキと鳴り止まない心臓を持て余す。


「……これを、俺に?」

「はい。……わたし、お菓子作りが趣味なんです。だから、お口に合うかはわからないんですけど、よかったら」


 食べてみて下さい。シエルがそう口にする前に、レーヴェはリボンを解いて袋を開けていた。そこからうさぎのプレーンクッキーを取り出し、口に放り込む。一切の躊躇をしないレーヴェに、シエルの方が驚いた。


「え、あの……レーヴェ殿下?」

「……うまい」

「――!」

「うまいよ、このクッキー。全部貰って良いのか?」

「も、勿論です!」


 思いがけない感想を貰い、シエルはコクコクと機械仕掛けのように頷く。

 レーヴェはこの二日間で一度も見せたことのない嬉しそうな顔をして、次から次へとクッキーを口に入れた。ぶつぶつと「こっちはココアか」「かわいいなこれ」と言いながら食べる姿は、クールな王弟の姿とは全く違い、シエルを驚かせる。


(この方、もしかして甘いものとか可愛いものとかが好きなのかしら……?)


 空になった袋を丁寧に折り畳むレーヴェを眺め、シエルは彼が手作りのクッキーを食べてくれたことが嬉しくて目元を緩ませる。

 リボンまでもきれいに巻き取ったレーヴェは、何かに気付いたのか一瞬固まった。そして額を指で押さえてから、低い声で唸る。


「レーヴェ殿下?」

「……お前、今見たものは誰にも言わないでくれるか?」

「え?」


 シエルが目を瞬かせると、レーヴェは大きくため息をついた。


「俺が、お菓子を食ってたことだよ。顔も緩んでいた自覚があるから、そこも伏せてくれると助かる」

「隠さないといけないんですか? わたしはとっても嬉しかったんですが……」

「俺は王弟だ。兄上が緩くて朗らかな人だから、弟の俺が対局の対応をしないと締まらないだろう。その一環で、人前では好きな菓子を食べたり可愛いものを見たりすることは避けてきたのに……」


 失敗した。そう呟いて頭を抱えるレーヴェに、シエルは首を傾げた。


「王弟でも、一人の人じゃないですか。だから、好きなものがあってもいいと思いますよ?」

「……」

「でもそれでも、レーヴェ殿下がご自分の好きを隠されるのなら……わ、わたしには隠さないでいてもらえませんか?」

「何を……」


 戸惑いを見せるレーヴェの顔を、シエルは勇気を振り絞って顔を上げて見た。間近に整った顔立ちの青年を見て、シエルの心臓が跳ね上がる。

 しかし、だからといってここで引いてしまってはダメだ。これを逃せば、レーヴェはまた遠退いてしまう。そんな気がして、シエルは覚悟を決めた。


「わたしは、レーヴェ殿下のことをもっと知りたいです。縁あって嫁ぐことになって、丸一日しか経っていませんが、皆さん良い方ばかりで……。故郷で学んだことは、間違ったこともあると知りました。だからこそ、もっと、もっと知りたい」


 シエルは一呼吸置き、レーヴェの瞳を見つめた。


「あなたのことをもっと知って、わたしのことも知って欲しい。だって……あなたを好きになりたいから」

「――っ、直球過ぎるだろ」


 言葉通り真っ直ぐなシエルの言葉に、流石のレーヴェも赤面を隠し切れない。しかしシエルの握り締めた手が震えているのを見て、軽く息をついた。


「……俺を訪ねる時、さっさと入って来い」

「え?」

「いつでも来れば良い。俺たちは……夫婦になるんだから」

「……はいっ」


 花の咲くように、シエルは微笑んだ。それを見て、レーヴェも困ったように表情を緩める。

 まだ物理的距離は遠い。しかし少しだけ何かが近付いた、とシエルは感じていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る