第2章 近付きたい
試行錯誤
第6話 レーヴェ殿下の好物は
顔合わせの意味を籠めた食事会の翌日、シエルは朝餉の後キッチンを訪れていた。キッチンは既に片付けを終え、そこに残っている者は少ない。
「おはようございます、サナエラさん」
「あら、本当に来たのかい?」
シエルにサナエラと呼ばれたのは、昨日も食堂で出会った料理長だ。料理に入ってはいけないということで、猫の耳としっぽを仕舞っている。
サナエラの他に、人影はない。皆仕事が一段落したことで、休憩に入ったのだ。
「サナエラさんも休憩時間なのに、ごめんなさい」
「そんなことは気にしなくて良いんですよ〜。ワタシが好きで引き受けたんですから」
申し訳ないと頭を下げるシエルに、サナエラはあっけらかんとしたものだ。
「それで、妃殿下はここで何をなさろうというのです? お姫様自らキッチンに立つなど、なかなかあるものではありませんが」
「ふふっ。普通はそうでしょうね。ですがわたしは、ある意味それを許される立場にありましたから……」
少し言いづらそうにするシエルに、サナエラは軽く首を横に振った。
「……ざっくりとはマナさんから聞いています。言いたくないことを、ここで無理に言う必要はありません。ほら、これから楽しいことをするのでしょう? 笑顔で、顔を上げて」
「ありがとう、サナエラさん」
サナエラの明るさにほっとして、シエルは長袖ワンピースで腕まくりした。今日は昨日から決めていた今のために、藍色のワンピースに袖を通している。隣ではマナも同じようにして、エプロンを手にしていた。それを受け取り、身につける。
「実は、レーヴェ殿下のお好きな料理が知りたいんです」
「レーヴェ殿下の? それはまた、どうして?」
「……昨夜夕食の時にお会い出来ず、今朝、夜遅くに帰って来られたと聞いたんです。わたしは婚約者……なのに、あの方に何も出来ていません。挨拶すらままならず。ですから、少しでもお力になりたくて!」
「姫様……」
「シエル殿下……」
必死に訴えるシエルに対し、マオはそっと目元を拭った。サナエラは軽く目を見張り、それからふっと肩の力を抜く。そっと小さな声で「リシューノアの言った通りね」と呟いた。
昨夜の食事の後、サナエラはリシューノアと二人だけで話す機会があった。城に仕える者の中でも古参の二人は、入った時期も近くて仲が良い。
その時、サナエラはリシューノアからシエルの印象について聞いていた。どんな性悪姫が来るかと思っていたサナエラは、己の想像とじかに見たシエルの印象の違いに驚いたと伝えたのだ。するとリシューノアは、そうでしょうと微笑んでいた。
昨夜のことを思い出しながら呟くサナエラに、シエルは首を傾げる。
「何か、おっしゃいましたか?」
「いいえ。……では、とっておきの秘密をお教えしましょう」
「とっておきの秘密?」
目を瞬かせるシエルを手招き、サナエラは彼女の耳に囁き声でこう言った。
「レーヴェ殿下は、幼い頃より甘いものが大好きなのです。成長なさってからは自ら望んで召し上がることはなくなりましたが、デザートがあると嬉しそうになさいますよ」
「スイーツ、ということでしょうか」
「はい」
サナエラが頷くと、シエルの瞳がキラリと光った。シエルにとって、お菓子作りは大好きで得意なことだ。好きなことが活かせると知り、キッチンに来た選択は間違っていなかったと安堵する。
シエルの反応に、サナエラも「おや」という顔をした。
シエルのお菓子作りの腕前を知っているマオは、静かにニコニコと微笑むのみ。
「――よし」
ぐっと手を握り締め、シエルはサナエラに一つお願いごとをした。
「サナエラさん、わたしにこのキッチンを使わせてもらえませんか? 殿下に、クッキーを作ってお持ちしたいんです」
「勿論。ただし、ワタシにも味見させて下さいね」
「はい。ありがとうございます!」
キッチンにある材料はどれを使っても構わない。サナエラの厚意に礼を伝え、シエルは早速必要なものを台の上に並べる。
小麦粉、卵、ミルク。それからバターに砂糖。更にココアやチョコチップ、チョコペンもあったために持って来た。
シエルが材料を集めている間に、マオはボウルや鉄板、シート等必要な器具を用意してくれる。サナエラはといえば、興味深そうにお菓子作りの邪魔にならない食堂の椅子に座って見守っていた。
必要な分量を正確に測り、シエルはハンドミキサーを手に取る。
「おいしく出来ますように」
手際良く生地を作り、それを三つに分ける。プレーン、ココア、チョコチップという三つの味に仕上げるためだ。
プレーンとココアは、サナエラが出してきてくれたクッキーの型を使って兎の形にくり抜いていく。余ったチョコチップで目を作り、可愛く仕上げる。チョコチップは丸い型を使い、シンプルな形で並べた。
丁度オーブンの予熱が完了し、シートを敷いた鉄板の上に並べたクッキーを焼く。
焼いている間に片付けを済ませ、サナエラにキッチンの中を案内してもらう。サナエラは手際よく楽しそうにクッキーを作るシエルの様子を見て、忙しくない時間ならばキッチンを自由に使っても良いと許可をくれたのだ。
そうこうしているうちにクッキーが焼き上がり、少し冷ましてから全員で味見をする。
「――!」
「流石、姫様です」
「……おお、おいしいわ。これならきっと、レーヴェ殿下も喜んで下さるわよ」
「本当ですか? ありがとうございます」
「念のため、ワタシの許可証を持って行くと良いわ。殿下は真面目な方だから……こう言ってはいけないのだろうけれど、新参者であるシエル様をまだ受け入れられていないと思うの。だから、これを見せてワタシのお墨付きだと言って頂ければ」
「何から何まで、ありがとうございます……」
恐縮しきりのシエルがマオとサナエラのアドバイスを受けながらラッピングを終えてキッチンからいなくなると、サナエラは楽しそうに「ふふ」と笑った。
「本当だったわ、リシューノア。あの子ならば、きっと殿下の氷を溶かしてくれる」
頑張れ。口の動きでエールを送り、サナエラは戻って来た部下に後を託して休憩に入った。
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