第5話 挨拶の席

 シエルとマオが荷解きをしていた時、シャイドゥ国王の執務室ではジーノとレーヴェが話しながら仕事を進めていた。

 レーヴェは、兄のサインした書類を各所へ渡すために仕分けを行う。彼はどちらかと言えば寡黙で、喋るのは主にジーノだ。


「それで、レーヴェは彼女をどう思った?」

「どう、とは?」

「これから、お前が共に歩む女性だ。何か思うところがあるんじゃないか?」

「……」


 ジーノに問われ、レーヴェは腕を組んで考えに耽る。それから「俺は」と少し冷めた声色で吐き出した。


「兄上がどう言おうと、あいつを愛そうだなんて思いません。獣人の国だからと見下した国書を送って来るような王の娘です。……本当の顔なんてわかりゃしない」

「じゃあ僕は、レーヴェがどうほだされていくのかを観察させてもらおうかな?」

「ほだされることなんて、ありませんよ。兄上」


 失礼します。そう言って、レーヴェは兄の執務室から出た。

 弟を見送り、ジーノはくすっと笑う。他人よりも観察眼の鋭い彼は、既にシエルの本質を見抜いていた。そして近々、必ず弟が考えを改めざるを得なくなることも。


「あの子は、きっとお前に必要な人だよ。きみが幼い頃のように、また笑ってくれると良いな」


 書類の山を片付け終わった時、戸がノックされた。どうやら、シエルたちを部屋に案内したミシェーレが戻って来たらしい。


「どうぞ」

「失礼致します、陛下」

「おかえり、ミシェーレ。単刀直入に聞くけれど、ミシェーレから見て、シエル姫はどう映った?」

「私は……」


 黒猫の耳としっぽを表に出した格好のミシェーレは、この部屋を出た時とは比べ物にならない程穏やかな表情で口を開いた。


 一方、一人廊下を歩くレーヴェは兄の言葉の意味を図りかねていた。


(俺がほだされる? ……あんな思いは、二度と御免だ。俺はもう、ただ人を信じはしない)


 きゅっと硬く結ばれた唇に、意志の強さが覗く。

 幼い頃に一度、レーヴェは悲しい思いをした。それが彼の心を頑なにし、シエルを遠ざけようとしている。しかしそのことをシエルが知るのは、もう少しさきのこと。


「レーヴェ殿下、ここにおられましたか」

「どうかしたのか?」


 ふと立ち止まって窓の外を見ていたレーヴェを呼び止めたのは、城で軍部の長官を務める壮年の男だった。狼の獣人である彼の唇から、鋭い犬歯が覗く。


「一つ、お耳に入れておきたいことが」

「わかった。聞かせてくれ。必要とあらば、兄上に指示を仰ごう」

「助かります」


 長官と連れ立ち、レーヴェはしばし仕事に戻った。


 そして、夕餉ゆうげ時となる。

 食堂とされる広間にはシエルとジーノの他、主だった城の役人等が集まっていた。しかし、急な仕事が入ったというレーヴェの姿はない。


「申し訳ない、シエル姫。レーヴェこそが来ないといけないはずなのだけれど」

「ご心配ありがとうございます、陛下。お仕事ですから、仕方ありません。それに……」


 シエルは広間に集まった者たちの顔を見て、にこりと微笑んだ。


「皆さまのことを少しでも知ることが出来れば、わたしのことを知って頂ければと思っております。何もわからない若輩者ですが、宜しくお願い申し上げます」


 一国の姫、そしてシャイドゥ国の第二王子妃となる娘の腰の低い挨拶に、城の者たちはどよめいた。そしてこの状況を予想していたミシェーレは、一歩前に出て頭を下げる。


「こちらこそ、ですわ。シエル妃殿下。末永く宜しくお願い致します」

「ミシェーレ、ありがとう」


 ミシェーレが口火を切ったお蔭か、他の役人たちも口々に自己紹介を始める。彼らと言葉を交わし、シエルはようやくシャイドゥ国の一員になる入口に立てた気がした。

 そして、一つシエルが気付いたことがある。城の人々は全員獣人だろうが、その誰もが変化へんげを解いているのだ。


(ミシェーレが伝えてくれたんだ)


 ちらりと目をやると、女性と話していたミシェーレも気付いた。そして、目を細めて頷く。それだけどで、シエルは嬉しくなった。

 犬の耳を生やした兵士長、猫のしっぽを揺らす料理長、狐の尾は文官長だ。様々な獣人がおり、皆城で誇りを持って仕事をしている。

 食卓にいながらきょろきょろと視線を彷徨わせるシエルを眺めていたジーノは、ふっと微笑んだ。


「ミシェーレがね、皆に言ったんだ。獣人であることを隠す必要はない、とね」

「やはり、そうだったんですね」

「ああ。『妃殿下は、この国を知りたいとおっしゃっています。知って頂くためには、私たちも隠していてはいけませんよね』……そう言って。だから、わたしも」


 そう言うと、ジーノはそっと己の頭に触れた。シエルの視線も自然と引き付けられ、そこに現れた一対の耳に目を見張る。それは薄茶色の獅子のものだ。


「獅子の、獣人なんですか?」

「そう。シャイドゥ国の王族は、獅子の獣人なんだ。百獣の王とも呼ばれる獅子の名に恥じないよう、この国を導くようにと教わって育つ。だから……レーヴェのように少し堅物に育つこともあるんだけどね」


 くすっと笑うジーノのそれは、弟を嘲笑うものではない。大事なものについて話す時、人は優しい目をする。


「どうか、愛想を尽かすことなく、弟のことを支えてやって欲しい。きみだから……本来来るはずだったきみの姉ではなく、シエル姫だから頼みたい」

「はい。こちらこそ、宜しくお願い致します」


 自分の父親よりも若いが、一国の王に頭を下げられて、シエルは驚いた。そして、そのように大事に思われているレーヴェが一体どんな人なのかと一艘興味が湧く。

 料理は猫の獣人の料理長が腕を振るった胸を張っていたが、まさにその言葉通りだ。野菜や肉、魚が様々な方法で調理され、美しく盛り付けられている。兎の獣人の侍女が新たな皿をテーブルに置き、跳ねるようにキッチンへと消えた。

 そうして和やかな会席の場は終わり、シエルは思うことがあってキッチンを訪ねた。

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