シャイドゥ国へ

第3話 王と王弟

 兵士が国王の執務室と取次ぎをしている間、シエルはシャイドゥ国に入ってから見たものを思い出していた。

 豊かな森を抜けた先にある、白を基調とした街並み。獣の耳やしっぽを生やした人々が歩き、シエルたちが道に迷っていると親切に声をかけてくれる人もいた。

 そして彼女らが今いる王城は、堅牢な造りのリシューノアと反対で戦いには向かない巨大な邸という言葉の方が似合う平屋の建物だ。最も高い建物でも二階までしかなく、幾つもの建物が渡り廊下で繋がっている。建物の周囲は世話の行き届いた植物に覆われ、青々とした木々が風に揺れて花が咲いていた。


(誰、シャイドゥ国が野蛮な国だなんて言ったのは? 人々の顔を見ても町並みを見ても、リシューノアと違うところなんて何処にもない。……知らなかったのは、恥ずかしいことね)


 思い込みを簡単に覆され、シエルは苦笑を禁じ得ない。斜め後ろに控えるマオも、ここに来るまで目をきらきらさせて町並みに見入っていた。

 今のマオは姫専属侍女らしく、落ち着いた表情で控えている。しかしながら、おそらくはシエルと同様に思い込みを覆されていると考えられた。


「――お待たせ致しました。お二人共、こちらへどうぞ」

「はい」


 五分も経たず、シエルたちは執務室に通された。

 最初に目を奪われたのは、執務の手を止めた国王ではなく、彼の傍で手伝いをしていた青年の深海のような深い青色の瞳だ。


(綺麗……)


 切れ長で涼やかな目元が印象的な青年は、その金色の髪を襟足で整えている。容姿端麗で、おそらく城内外問わず多くの女性が振り向くだろう。

 青年はシエルと視線が合うと、少し目を見張ってから瞬きをした。

 それを見て、シエルはぶしつけだったと思い当たる。慌てて淑女の礼をした。スカートの裾を摘まみ、お辞儀をする。


「ご挨拶もせず、申し訳ございません。わたくしはシエル・リシューノアと申します。そして、彼女はわたくしの侍女、マオでございます」

「お初にお目にかかります、マオでございます」


 シエルとマオが挨拶を終えると、椅子に腰掛けていた青年がにこりと微笑んだ。彼は立っている青年よりも柔らかい印象が強い。浅瀬の海の色をした瞳が、和やかに細められる。


「こちらこそ、迎えも出さずに申し訳ありませんでした。この国で王として執務しております、ジーノ・シャイドと申します。そしてこちらが……」

「……レーヴェ・シャイド。陛下の弟です」


 レーヴェはそれだけ口にすると、軽く会釈をした。あまり喋るたちではないらしい。

 王弟だという彼の名を聞き、シエルは目を瞬かせた。その名に聞き覚えがあったのだ。


「レーヴェ・シャイド殿下……もしかして」

「そう。きみのお姉さんの嫁ぎ先は、我が弟なんだよ。今回は断られて、代わりに君が来てくれたようだけれどね。シエル姫」

「……」


 答え合わせをしてくれたのは、柔らかい物腰のジーノだった。レーヴェはちらりとシエルを眺めると、すぐに視線を外してしまう。

 しかし、シエルにはそんなことは関係ない。少なくとも、礼を欠いたのはこちらの方だ。


「――っ、本当に、申し訳ありませんでした!」

「おい、何を……」


 止めなさい。そんなレーヴェの声が聞こえた気がしたが、シエルは止めない。そのまま、深く深く頭を下げる。


「礼を欠いたのはこちらです。それにもかかわらず、わたくしを迎え入れて下さったこと、感謝の言葉では足りません」

「姫様……」


 シエルの行動に、マオも呆気に取られていた。しかし、主人だけに頭を下げさせるわけにはいかない、と彼女も深々と首を垂れる。

 二人に頭を下げられ、ジーノは困り顔で微笑んだ。


「――だって、レーヴェ。どうする?」

「どうするもこうするも、兄上が決めれば良い。私は……」

「しかし、彼女はお前のもとへ嫁ぐために遠路はるばる来てくれた。だから、どうするか決めるのはお前自身だよ。レーヴェ」

「……」


 兄に全てを任せられ、レーヴェは天を仰いだ。しかしそれも長くは続かず、よしと呟いてシエルの前へと歩いて来る。

 改めて目の前にして、頭を下げたままのシエルは上から突き刺さる視線に心臓を縮こまらせた。上からの視線というものは恐怖を覚えるものだが、全く感情の読めない相手となると更に恐怖感が増す。

 一体何を言われるのか。怯えながらも殴られ外に放り出されても仕方がないと覚悟した時、シエルの頭に何かが触れた。


「……そんなに怯えなくても良い。俺とて、嫌々ながら嫁に来られても気分が良くないだけだ。もしもあんたがここにいても良いと思うなら、ずっといれば良い」

「それは、どういう……?」


 困惑して、シエルは顔を上げた。すると彼と目が合い、思わず息を詰める。頭上に影が出来ており、頭に触れているのはレーヴェの手だとわかって心臓が大きく跳ねた。

 見詰め合ったのは、たった数秒間。それだけのはずだが、シエルには永遠に近い時間にも思えた。


「――っ、兎に角」


 レーヴェはわずかに染まった顔を背け、シエルに向かって言葉を紡ぐ。


「ここの奴らは、あんたをしいたげない。国のことに関して多くを学んでもらう必要はあるが、それ以外は好きなことをしてくれれば良い」

「そうだね。幸い、私と后には二人の子がいる。そこは安心してくれて良いよ、シエル姫」

「は、はい……」


 拍子抜けをして、シエルは返事をすることしか出来ない。

 謁見はそれで一先ず終わりとなり、ジーノは城の侍女を一人呼んだ。


「彼女に部屋まで案内してもらって。城の者は後で、夕食時にでも紹介しよう。きみが特に関わることになるであろう人たちをね。それまでは、体を休めると良い」


 後は頼むよ。ジーノにそう頼まれ、侍女は「はい」と頷く。

 彼女に導かれ、シエルとマオは執務室を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る