第2話 別れのあれこれ

 ガタゴトガタゴト……。

 街道を進む馬車は、王族が使うそれではない。町の中で捉まえた辻馬車に無理を言い、国境まで連れて行ってもらうのだ。

 刻々と変わり続ける景色を眺め、シエルはぼんやりと今朝の出来事を思い出していた。


「起きなさい、シエル殿下。もう、ここを出なければなりませんよ」


 夜明け前、鶏すらも起きていない時間帯、シエルは侍女長の怒声で目を覚ました。目をこすりぼんやりと上半身を起こした彼女に対し、侍女長は腰に手を当て胸を張ってみせる。


「目を覚ましなさい、シエル殿下。身支度を終えたら、早々にこの城を出なくてはなりませんよ?」

「……そう」


 ため息を噛み殺し、シエルは素直に侍女長に従った。

 普段からマオ以外の侍女を使っていなかったシエルは、身支度を基本的に一人で行っている。勿論人の手を借りなければ着られない豪奢なドレスを身にまとう時は侍女たちの手を借りたが、それは王族の沽券を保つための場でのことに過ぎない。

 シエルの服装は、いつも姉妹の中で最も簡素だ。

 今日急かされながら袖を通すのは、持っている中で最も気に入っている薄桃色と若草色のドレス。フリルの少ない王族らしくないそれを、シエルは好んで着ていた。勿論、父や姉たちの前に出る時は相応の服装をするのだが。

 普段ならば目くじらを立てる侍女長は、しかし今日ばかりは見逃してくれた。一瞬眉を潜めた気がしたが、気にしない。

 そんなことよりも、シエルは彼女に言わなければならないことがある。


「……侍女長」

「何でございますか、殿下?」

「……今まで、ありがとう。貴女のように、真正面から厳しく適切に叱ってくれる人はいなかったわ」

「――っ」


 侍女長が目を見開き、言葉を失っている。シエルにとって本心からの言葉だったが、彼女にとっては思いがけないものだったらしい。

 反対の様子を見せる二人を眺め、マオはポーカーフェイスの下で大笑いを噛み殺していた。侍女長も他の貴族たちも、シエル姫を見誤っている。本来の彼女は、感謝の気持ちを忘れぬ心のきれいな姫君なのだと知っている者は、下級の者たちばかりだ。


「マオ」

「はい、姫様」 


 ふと考えに沈んでいたマオに、シエルは声をかけた。勢い良く顔を上げたマオに、彼女は柔らかな声で問う。


「……貴女も来てくれるの?」

「ええ、勿論ですわ。お供させて頂きます。例え、姫様に拒絶されようと」

「拒絶なんて、するはずがない。こちらから頼みたい程だわ。お願いね、マオ」

「はい」


 首肯するマオに、シエルは「ありがとう」と柔らかく微笑んだ。それだけで、姫様第一主義のマオにとってダメージがキャパオーバーする。幸せ過ぎて。

 しかし、シエルはそんなことは知らない。表面上は冷静なマオに手伝ってもらい、荷物をまとめ終えると国王へ最後の挨拶をするために執務室へと向かう。

 国王の執務室は、王城の奥まった場所にある。顔見知りの見張りの兵と挨拶を交わし、シエルは戸を叩いた。


「国王陛下、シエルです」

「入れ」

「失礼致します」


 許可され入室すると、落ち着いた色目の家具が並ぶ国王の部屋が眼前に広がる。華美を好まない主の趣味を汲み揃えられた、一目で良い品だとわかるものばかりだ。

 国王は動かしていた手を止め、三白眼で末娘を見上げた。白髪の目立ち始めた髪は、しかし金髪と混じり美しい。

 シエルはそっとスカートの端をつまみ、膝を折る。


「父上、今まで育てて頂きありがとうございました。お達者で」

「……お前もな」


 ぶっきらぼうな返答だが、何も言われないより何倍も良い。シエルはそう結論付け、早々に立ち去った。

 それからシエルはマオと二人、城下へと向かった。馬車等用意されるはずもなく、二人で辻馬車を拾うためだ。

 城を出るまでに、何人もの下級役人や侍女たちからの挨拶を受けた。彼らは王族の確執とは距離のある人々で、シエルは時折趣味のお菓子作りで出来たものを手渡していたのだ。そんな理由もあり、彼らはシエルとの別れを惜しんでくれた。


「姫様、お元気で」

「またいつか、お会い出来ると信じておりますよ」

「ありがとう。わたしも、みんなにまた会いたいわ」


 この時ばかりは、シエルの目も潤んでいた。優しく気さくな彼らと過ごす時間が、シエルにとっての癒しでもあったから。


(それもこれも、もう遠くなってしまったわね)


 辻馬車が運んでくれるのは、国境の関所近くのまで。それ以上は進むことが出来ない、と辻馬車を操る男がすまなそうに言った。


「充分よ。こんなところまで、本当にありがとう。マオ、お代を」

「はい」


 マオが進み出ると、男の手に言い値に少し上乗せした金額を置いた。それを見て、男が目を見開く。


「そんなっ。こんなに貰えません!」

「貰っておいて。迷惑代だと思ってくれたら良いわ。それで、ご家族に何か美味しいものでも食べさせてあげて。さっき、小さな子どもがいるのだと言っていたでしょう?」

「はい。……では、受け取ります」


 お気を付けて。馬と男に見送られ、シエルとマオは国境を目指す。

 街道はあるが、急勾配きゅうこうばいで難所と言われる区域だ。二人は息を切らせながら歩き、ようやく関所へとたどり着いた。

 隣国との窓口を務めるという性質上、その堅牢な門構えには圧倒される。シエルたちは門番の兵士に誘われ、関所の長の執務室へと通された。

 書棚がずらりと並んだ室内で、初老の男が紙の束に目を落としている。彼は兵士に声をかけられ、顔を上げるとにこりと微笑んだ。


「お久しゅうございます。あの話は本当だったのですね、シエル殿下」

「お久し振りです、伯父上。お元気そうで何よりです。しかし、あの話とは?」

「ここは、辺境とはいえ国の拠点の一つ。中央にいる人間でも知らないことが、時に流れて来るのですよ」

「成程、流石ですね。伯父上」


 シエルもにこやかに応じ、勧められるがままにソファに腰を下ろす。彼女の伯父、ジルフィードも仕事の合間の休憩だと笑ってシエルの向かい側に座る。

 共に温かい紅茶を飲み、しばし世間話に花を咲かせた。幼い頃から姉よりもシエルを可愛がっていたジルフィードは、数年前に弟である国王に煙たがられて関所長に任命されたのだ。

 しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。もうここを発たなければ、約束の刻限を過ぎてしまうとマオは焦りを口にした。。


「姫様、そろそろ……」

「ええ。では伯父上、お元気でいて下さい」

「あなたも、シエル。シャイドゥ国は、きっとあなたを温かく迎えてくれるよ」

「だと、良いのですが」


 本当は、もっとジルフィードと話していたかった。しかし、シエルはその本心を伏せて関所を出た。ここからは、もう故国の助は得られない。

 春の陽射しが、ゆっくりと傾いでいく。夕刻には、シャイドゥ国の王都へ辿り着かなくてはならない。何となく感傷的な気分になってシエルは青空を見上げた。


「シエル様、急ぎましょう」

「――ええ。道も聞かなくてはね」


 何も知らない者がシエルたちを見れば、きっと姉妹二人の旅人と思うだろう。大きな四角い鞄を手に持ち歩く二人を王族関係者だと思う者など、いるとは思えない。

 それでいい、とシエルは思う。


(この先で何が待っていようと、わたしはきっと挫けない)


 幾人かに道を聞き、辻馬車を使い、夕刻前には王都へと辿り着くことが出来た。シエルとマオは棒のようになった足を懸命に動かし、王城の門番にシエル・リシューノアの名を伝える。

 門番に許可を得て、二人は兵士に付き従ってシャイドゥ国の王に会うために歩き出した。

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