落ちこぼれとして身代わりに嫁がされましたが、美味しいお菓子と素敵な旦那様がいればわたしは無敵です!

長月そら葉

第1章 新しい世界

落ちこぼれの姫君

第1話 嫁入り前の夜

 それは、青天の霹靂と言うべき出来事だったように思う。

 多くの大臣や貴族たちが見守る中、首を垂れる女の耳に冷徹な声が響く。


「シエル、お前にはシャイドゥ国へ嫁いでもらう」

「え……?」


 シエルが深紅の目を丸くして王座を見上げると、実父である国王が忌々しそうに娘を見下ろしていた。その視線にさらされ、シエルの心が冷える。

 ここは、とある世界にあるリシューノア王国の王城。第二王女であるシエルは、突然父である国王に呼び出されて謁見の間で膝を折っていた。開口一番、父が言い放ったのが先程の「嫁げ」という言葉だ。

 何を言っているのだろうか。シエルは二の句が継げず、ただ俯く。


「……」

「明日の朝、ここを発つのだ。シエル」

「……承知、致しました」


 国王の命令は絶対だ。シエルは甘んじてその命令を受け入れると、振り返ることなく王座の前を去る。その細い背中に突き刺さるのは、国王を中心とした貴族の視線。

 大きな扉が締まり、国王が大きなため息をつく。

 その国王の側にやって来たのは、彼の娘の一人、第一王女のメディだった。


「お父様、お仕事お疲れ様です」

「ああ、メディ。お前の希望通りになったかな?」


 美人で器量良しという評判高いメディは、その人を魅了する美しい目を歪めて微笑む。微毒をはらむそれは、動かない扉に向けられた。


「ええ、流石はお父様ですわ」

「それはよかった」


 幼い頃から美しく甘え上手なメディは、国王の溺愛を一身に受けていた。彼女はそれを利用し、目障りな妹姫であるシエルを国外へ排除しようと考えたのだ。


(まさか、こんな風にうまくいくなんて思いもしなかったけれど)


 思いがけない嫁入り話を聞き、メディはすぐさま拒否した。そして、身代わりとして妹を差し出すことを提案したのはメディだ。

 メディは満足げにくすくすと笑い、父の仕事の邪魔をしないために奥へと下がった。


 一方、シエルは自室に戻るとベッドにダイブした。金髪だらけの家族の誰とも似ていない藍色の癖のない髪がふわりと浮き上がり、すぐに広がる。枕に顔を埋め、溢れそうになるため息を精一杯押し止めた。

 そこへ、主人が帰って来たことを知った専属侍女のマオがやって来る。その手のは主人の大好きな国産の紅茶を乗せたお盆があった。

 マオは茶色い髪を後ろでお団子にまとめ、昔シエルが贈った翡翠色のシュシュを付けている。吊り目がちできつい印象を持たれがちだが、物事に動じず年下の主人を可愛がる姉のような人だ。

 シエルはマオに「シエル様」と呼ばれてゆっくりと上半身を起こし、紅茶の入ったカップを受け取った。それを一口飲み、ようやく口を開く。


「ありがとう、マオ。いつも通りおいしい」

「それはようございました。それで、王様は何とおっしゃったのですか、姫様?」

「……マオ、わたしは嫁ぐそうよ」

「はい?」


 目を瞬かせ、マオが訊き返す。眉間にしわが寄り、主人が何を言ったのか理解出来ないといった表情だ。珍しい顔が見られたなと思いつつ、シエルは「だからね」と今度はゆっくりと言い直す。


「嫁ぐのだそうよ」

「どなたが」

「わたしが」

「何処に」

「シャイドゥ国へ」

「……いつですか?」

「明日」

「明日!?」


 素っ頓狂な声を上げ、マオは眩暈を覚えたのか額を指で押さえた。


「また何故そのようなことに……」

「そんなこと、わたしが聞きたいくらいよ? でも、父の命令は絶対だもの。異論なんて認められるはずもないわ。それに……」

「それに?」


 マオが差し出してくれた焼き菓子を一つ口に入れ、紅茶を一口。シエルは軽く息をつくと、肩を竦めて苦笑した。


「ここでは肩身が狭いだけだもの。もしかしたら、野蛮な国と言われるシャイドゥ国の方が、のびのびと暮らせるかもしれないわ。……厄介者扱いされたとしても、放置して好きなようにやらせてくれるなら歓迎しないとね」

「シエル様……」


 目元を拭う仕草をするマオに、シエルは苦笑して応じるしかない。

 シエルは、この王城において腫れもの扱いを受けていた。もっと言うなれば、邪魔者として扱われ、家族と考える者は王族に誰もいない。

 シエルは王族皆が受け継ぐ水属性の魔力ではなく、火属性の魔力を持って生まれて来た。更に髪は金髪ではなく藍色、瞳は深紅で王族の碧眼とは似ても似つかない。

 見た目も能力も違う両者が交わらないのは、むしろ当然なのだろうとシエルは思う。歩み寄ろうにも、まず拒絶される。


「だからね、マオ。新しい場所に行くのなら、わたし自身も変わる努力をしないといけないと思ってるの」

「姫様……。姫様は、今でも充分に努力しておられます。苦手な水魔法を使えるよう特訓したり、淑女としての礼を身に着けたり。私にとって、姫様は世界一のお姫様ですよ」

「そう言ってくれるのはマオだけね。わたしがいなくなっても、ここのことをお願い」


 マオは頼れる侍女だ。正直、彼女が傍を離れるのは辛い。しかし同行者は許されないだろうと判断し、シエルはマオを置いていこうと思っていた。

 しかし、マオはそれを良しとしない。


「私も行きます。ダメだと言われても、ってでも!」

「……そうなると、わたしも嬉しい」


 シエルが力なく笑うと、マオは拳を握り締めて「必ず」と力強く微笑んだ。それだけで、どれだけ心強いだろうか。


(夜が、ふける。……明日の今頃、わたしはここにはいないのね)


 明日には満月が見えるだろう。その美しく悲しい月を思い浮かべ、シエルはベッドに潜り込んだ。

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