第29話 本当の願望
梅雨の合間の晴れた空に運動部の掛け声が響いていた。
もう少しすれば夕陽が空を染め上げて綺麗な写真を撮れるだろうな、と考えながら僕は本校舎の裏にある非常階段を見上げる。
「ほんの少し前までは、この非常階段の所にも人が集まって写真を撮っていたんだよね」
後ろでそう呟いたのは虹村だ。昇降口から出てきてローファーのつま先でトントンと地面を鳴らしている。
「そうだな。皆あんなに騒いでいたのに、もう何もなかったみたいだ。『学校にあんな人がいたなんて凄い』って喜んで盛り上がっていたのに」
「口では行いを称えるようなことを言っていたけれど。みんなが本当に求めていたのは、二枚目のスポーツマンが正しいことをして感謝されたという理想的なストーリーだったということよ。言ったでしょう? リアルよりもリアリティ」
隣に佇む星原が僕に続けるように解説した。
千駄木くんに頼まれた一件を解決してから、一週間ほどが過ぎた日の放課後である。定例の勉強会を終えた僕と星原は、虹村と偶然出会ったので一緒に下校しようと校門へ足を向けていたところだ。
あれから駒込くんは自分のSNSアカウントで「僕のことを都内の高校野球部のエースと誤解している方がいるようですが、彼とこのアカウントは無関係です」「誤解させるような態度を取ってしまって申し訳ありませんでした」と投稿した。
その後、校内で千駄木くんの件を話題にしていた生徒たちも「なんだそうか」と急に熱が冷めたようで、駒込くんが写真を撮影していた場所も以前のように人の寄り付かないひっそりとした雰囲気に戻っていた。
「それにしても、あの時の駒込くんは本当に申し訳なさそうにしていたな。千駄木くんに何度も謝ろうとして。別に悪意があったわけじゃないし、千駄木くん自身は許していたんだから僕はあんなに気に病まなくてもと思ったんだけど」
疑問気な僕の言葉に星原が遠くを見やりながら答える。
「きっと、比べてしまったのよ。エースとして活躍する千駄木くんと二軍に甘んじている自分。人の手柄で褒められるのを潔しとしなかった千駄木くんと仮初めの人気で注目されて浮かれていた自分。道を誤った先輩二人を正そうとした千駄木くんと言い返せずに流された自分。せめて迷惑をかけた千駄木くんにきちんと謝罪したうえで許してもらわないと、友人でいる資格がないと思ったんじゃないかしら」
「千駄木くんの方は昔から変わらずに接してくれる駒込くんを、いい友達だと思っていたみたいだけどね。駒込くんの方は複雑だったのかもしれないね」
虹村も横を歩きながら、小さく頷いた。
一見すると気さくにふるまっていた駒込くんだが、心の中では何らかの葛藤があったのだろうか。
そんな風に思考を巡らせていると、校舎の前で覚えのある顔が並んでいるのが目に入る。
一人はメタルフレームの眼鏡をかけた新聞部の少女、清瀬だ。そして、彼女が話しかけている相手はちょうど話題にしていた色黒で素朴な雰囲気の野球部員、駒込くんではないか。
「……という話なんだが」
「いやあ、折角ですが」
「そうか。仕方がないな」
何やら清瀬が残念そうに眉をひそめているようだ。
気になった僕は通りすがりに「やあ、清瀬。……駒込くんも。どうかしたのか?」と立ち止まって声をかける。後ろの星原たちも何事かと様子を窺っていた。
「なに。駒込くんの写真には見るべきものがあるように思えたから、新聞部にカメラマンとして来てくれないかと思ったんだが断られてしまってね」
「そうだったのか」
清瀬の言葉に駒込くんを見ると、彼は頭を掻きながら苦笑いした。
「野球部と写真部の掛け持ちをしていますから。流石に新聞部で活動するのは難しいかと」
「へえ、そういえばSNSの写真投稿はまだ続けているの?」
僕の何気ない質問に駒込くんは「あ、はい。それなんですけど……」と唐突に携帯電話を取り出してSNSの画面を表示する。そこには例のアカウントで、野球のボールと戯れる小型犬の姿を撮影した写真が掲載されていた。
「ほら、見てください。このコメント、千ちゃんのやつなんです。俺が撮影した写真を褒めてくれたんですよ」
確かにそこには「SENRI」というアカウントが「良い写真だな。優しい雰囲気でお前らしいよ」とコメントを投稿している。
「どうですか、凄いでしょう」
そういいながら、携帯電話を見せる駒込くんのジャージは埃まみれだった。
どうやら地道で懸命な努力は未だに報われることはなく、野球部では二軍で裏方仕事をしているようだ。このままでは正式レギュラーどころか補欠になれる日が来るかもわからない。
また画面を見ると、一時は数千人いたはずのSNSのフォロワー数は今では百人いるかいないかという程度に少なくなっている。
それでも駒込くんは「これは世界で一番尊い勲章なのだ」とでもいうかのように、友人のたった一つの評価を嬉しそうに見せつけていた。
「それは素晴らしいな。……駒込くんは凄い奴だ」
僕が本心からそう答えると、彼は「えへへ。そうでしょう」と照れ笑いをして「それじゃあこれから自主トレをするので」とグラウンドの方へ走っていく。
やがて、彼の背中は校舎の陰で見えなくなった。
僕はため息交じりに呟く。
「なんだ。……彼の『本当の願望』は『野球部のレギュラーになること』や『SNSで注目されること』じゃなくて『尊敬する友達に対等に認めてもらうこと』だったのか」
レギュラーを目指すのも、活躍する友人に釣り合うようになりたいという気持の表れだったのだろうし、SNSで注目されたいというのも彼と自分を比べたときの引け目を埋め合わせる反動だった。
駒込くんは今回の一件を通じて「表面上の欲求」の向こうにある「本当の願望」に自分で気が付いたのかもしれない。
思わず無言で考え込んでいた僕に黒髪の少女が歩み寄って思わせぶりに囁く。
「私には、彼の気持ちが解るわ。……女の子だってろくに知らないたくさんの人からちやほやされるより、たった一人の相手から気持ちを伝えてもらう方が嬉しいもの」
「そ、そうか」
だがその物言いは、僕に何を期待したものなのだろう。
こちらを覗き込む彼女の双眸にはかすかに熱のこもった何かが宿っているようにも思える。
僕らが微妙な空気が漂わせていると、横に立っていた虹村が「あ、そういえば」と声を漏らしてカバンから紙きれを取りだす。
「千駄木くんから、報酬として預かっていたフルーツパーラーのサービス券だよ。渡しておくね」
クラス委員の少女が差し出したそれを、星原は「あら、ありがとう」と受け取った。
「一枚で二名まで使えるみたいね。それじゃあ今度の週末に一緒に行く?」
「ええ? ……もしかして、僕に二人分の会計を持たせるための前振りじゃないだろうな」
彼女は僕が何か借りを作ると、たびたび甘いものを奢らせる前例があるのだ。
だが、ここで虹村が「コホン」と咳払いをする。
「月ノ下くん。あくまで一般論だけど。女の子は気になる男子と一緒の時間を過ごすための口実として、用事に同行してもらうようにお願いするものなんじゃないかな」
「えっ」
そうなのか?
僕は思わず虹村の言葉に顔が熱くなって、心躍ってしまう。
つまりこれは星原から僕をデートに誘ってくれているということなのか。親しい関係にある可愛らしい女子から、デートに誘われたというのは素直に喜ぶべきことだろう。
だが、浮足立ちそうになった僕に新聞部の少女が鋭い声で呟く。
「正気に戻りたまえ。常識的に考えて、単に二人で行った方がいろんな種類のメニューを注文して味見できるというだけの事だろう」
清瀬の言に急に頭が冷えた。
確かに星原の日頃の甘いものに対する執着を思うと、それはそれで正しい気がしてくる。
「……いや。どっちだよ」
どちらが表面的な欲求でどちらが本当の願望なのだろう?
僕は星原に改めて向きなおるが、少し前方に佇む彼女は内心を読ませない静かな横顔で意味ありげに流し目を送ってくる。
「月ノ下くんは私と行くのが嫌なの?」
そう迫られると、この場ではっきり意思を示さないといけない気持ちになる。
今回も星原の見解に助けられたところもあるし、僕は彼女と放課後にとりとめのない会話をしている時間がとても好きなのは確かだ。
そう。彼女の気持ちは判らなくとも、彼女に対する自分の気持ちははっきりわかっているのだから、とりあえずここはそれに従うべきだろう。
「嫌なわけがないよ。星原、一緒に行こうか」
星原はその言葉に「そう」と短く呟いて顔に笑顔を咲かせた。
彼女の本当の願望を見抜くのは難しそうだが、とりあえず嬉しそうにしているのでそれで良しとしておくべきだろう。
肩をすくめる清瀬と微笑んでいる虹村をよそに、僕は彼女と歩き出したのだった。
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