第19話 名前と本質、そしておまじないの効果

 その後、帰り道も雑草研究部と片倉先生が先導する形で丘を降りることになった。山林の合間を走る階段道を進みながら、僕は念のため大森さんに声をかける。


「大森さん。ええと。結局、おまじないはどうしようか? 場所は確認できたことだし、もしまた入りたいのなら片倉先生に相談すれば同行してくれると思うよ」


 だが彼女はしばらく考えてからゆっくり首を振った。


「いえ。きっと池上さんは、自分で部活を立ち上げる行動力もあって、気持ちも伝える勇気もあったからおまじないも効果があったんです。……私もまず池上さんみたいになれるように、自分の気持ちを見つめなおさないとダメなんだと思います。具体的にどうすればいいのかはまだわかりませんが」

「そうか」


 結局おまじないを実行しないことになったが、大森さんがそう思うようになっただけでも今回のことに意味はあったのだろうか。


 僕がそんな風に考えていると、今度は隣を歩いていた星原が「大森さん」と切り出す。


「ギリシャ神話に『太陽の花』と言われている植物が登場するのだけれど知っている?」


 唐突な話に大森さんは戸惑いながら「いいえ」と首を振った。


「神話の一つに水の精の乙女が太陽神に恋をしたために花に姿を変えてしまったというものがあってね。その花は太陽に焦がれて陽光を見上げるようになったことから『太陽の花』と呼ばれたの。『太陽の花』をギリシャ語にするとHelianthus、ヒマワリの学名ね」


 星原の説明に大森さんはふうんと鼻を鳴らして聞き入る。


「つまり、『太陽の花』というのはヒマワリというわけですか」

「いいえ。ヒマワリはアメリカ原産で大航海時代になってからヨーロッパに伝わった。だから本当は同じ向光性のマリーゴールドの事だったんじゃないかと言われているの。でもヒマワリがヨーロッパに広まって、『太陽の花と言えばヒマワリ』というイメージが定着した。そして、そのまま学名になってしまったんですって」

「じゃ、じゃあマリーゴールドが『太陽の花』だったのに、みんなヒマワリを『太陽の花』と呼ぶようになったのですね」


 少し考えこむ大森さんに星原は優しく微笑んだ。


「でもね。世の中にはマリーゴールドの方が綺麗だと思う人だっているし、どんな呼ばれ方をしても花はうつむかないで咲いているでしょう」

「……」

「だから周りの評価を気にしないで、大森さんがこうしたいと思うことをすればいいんじゃない?」


 大森さんは星原の言葉に「はい」と頷いてから生田さんたちの方に近づいて「あのう」と話しかける。


「何ですか?」

「も、もし良かったら、今度雑草研究部に遊びに行っても良いですか。いえ入部すると決めたわけではないですが、雰囲気だけでも知りたくて」


 彼女の言葉に生田さんは「ええ。歓迎します」と笑って頷き返したのだった。




 

「まあ。大森も雑草研究部で気の合う友達ができるんだったら、その方が良いのかもしれねえな」

「そうだね。少なくとも、生田さんたちはあの子の地道に頑張っているところを認めてくれているもの」


 明彦と日野崎が下駄箱から靴を取り出しながらそんなやり取りをした。


 あれから数分後、僕らはガレキ丘の入り口のところで大森さんたちと別れて下校するべく昇降口でたむろしていたところである。


「でも、あの丘が本来の『袖振り広場』だったのに歪んだ意味の方が広がって、他の場所にその呼び名が定着していたなんてね。思いもしなかったよ」


 ため息交じりの日野崎の呟きに、僕も靴を履きながら言葉を返す。


「一時の印象と言葉が結びついて、本来とはかけ離れた名前になっていた。呼ぶ側は勝手に名前に意味を込めるけれど、それが常に本質とは限らないという話だな」

「『名前に何の意義があるというの。私たちがバラと呼ぶあの花はたとえ他の名前で呼ばれても甘く香るはずだわ』……なんてね」


 出入り口の横に佇む星原が片腕を掲げながら「ロミオとジュリエット」のセリフを引用して答えた。その気取った調子に僕らは苦笑いを交わしあう。


 そのまま四人で昇降口を出て歩道を進んでいると、校門の横に何人かの人影が立っていた。


「それでさあ。ツクシを使ってソテーを作ったりもしたんだよ」

「へえ。面白そう」

「誤解しないでくださいね。別に雑草で遊んでいるばかりではなく、真面目に標本を採集して研究もしているんです」


 歩道の脇で集まっていたのは雑草研究部の生田さんたちと大森さんである。部活動の話で何やら盛り上がっていたようだ。


「早速、馴染んでいるみたいで何よりね」


 隣の星原がそう呟いたところで、彼女らはこちらに気が付いた。


「ああ、月ノ下さんに星原さん。……色々ありがとうございました」

「どういたしまして。……ええと、ところで大森さん」

「何ですか?」


 僕は彼女を見て、あることを思い出したのだ。


「DVDなんだけれど、借りたまま返していなかったよね。どうしようか?」


 事の発端になったオカルト研究部の活動記録、あのDVDを僕は今回の調査のために大森さんから借りてそのままだったのである。だが大森さんは微笑んで首を振った。


「私はもう必要ないですから。良かったらさしあげますよ」

「いや、あげると言われても。僕も必要ないし。池上恭子さんにも返せないだろうし」


 僕が判断に迷ってぼやいたそのとき、雑草研究部員の蓮沼さんが「今、池上恭子と言いました?」と驚いた顔でこちらを見た。


「え、どうかしたの?」

「あ、いや浩司兄ちゃ……いえ、うちの兄と今度結婚する人が同じ名前だったので偶然だなと思いまして」


 だが、その言葉に僕もまた驚く。確か例のオカルト研究部記録の中で、池上さんが一緒に恋愛成就のおまじないをした相手が「浩司」という名前ではなかったか。


 星原も僕と同じ疑問を感じたようで、彼女は蓮沼さんに尋ねる。


「もしかして、あなたのお兄さんってうちの学校の卒業生だったりする?」

「はい。そういえば池上さんとも、この学校で知り合ったとか言っていました。あれ? 何でわかったんですか?」

「僕らは、その池上さんと君のお兄さんが一緒にやっていた部活の記録を見つけて調べていたんだ。もし良かったら渡すから、君から池上さんに返してくれないか?」


 僕の申し出に彼女は大きく目を見開いて「わあ、そうだったんですね! きっと喜ぶと思います」と受け入れた。


 その後、雑草研究部員たちはそのまま部室に立ち寄るということだったので、僕らは改めて別れの挨拶をして最寄りのバス停へ向けて歩を進める。


「いやいや、例の記録を残したオカルト研究部に参加していたのが、あの部員の兄貴だったとはな」

「世の中、狭いものだねえ」


 明彦と日野崎が感慨深い表情で呟いた。


 一方、隣を歩く星原は浮足立ったように顔を赤らめて微笑んでいて、妙に機嫌が良さそうだ。不思議に思って見ていると、僕は彼女と目が合ってしまう。


「月ノ下くん。聞いた? 『この学校でいつも放課後を一緒に過ごしていた男子と女子』が結婚したんですって」


 他人の話なのにまるで自分の事のように喜べる星原は良い奴だなあと思いながら僕も感想を述べる。


「そうだな。つまりあのおまじないは結構、効果があるわけだ」

「違う。……そうじゃない」


 その言葉を聞いた途端、彼女は顔を引きつらせて速足で僕から離れていってしまった。

 何かまずいことを言ったのだろうか。


「どうしたんだよ。待ってくれ」

「……私、今度から鈍感な人を見かけたら『月ノ下くんみたい』って形容することにするわ」

「なんで僕の名前の意味がそんな風に拡張されるんだ?」


 星原は「知らない」と不機嫌そうに答えてそっぽを向いてしまう。


 後ろにいた明彦と日野崎が「何やってんだ、あの二人は?」「さあ」と呆れたように呟いた。


 そんな二人の声を背中に聞きながら、僕は彼女の機嫌を直す言葉を頭の中で懸命に探したのだった。

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