5-3

「僕は僕で色々と調べてたんだ」

 今度は自分の番だというように、和希は語り始めた。

「最初に違和感を持ったのは、景に僕があの日彼女と会っていたことを看破されたあとだった。その場では気にならなかったけれど、あとになって、僕は一体どこで笹野さんに見られたのかと疑問に思った。部室に向かう途中では誰にも会わなかったし、それに……」

 一呼吸置いて、彼は強調するように言った。

「あのとき部室のドアは閉めていたはずなんだ」

 確かにあの日は蒸し暑く、空気のこもりがちな部室棟ではほとんどの部活が扉を開け放っていた。しかし、彼は部室に入る際、外に聞かれない方がいいようなことを話すかもしれないと考え、咄嗟に扉を閉めたのだと言った。

「もちろん僕が気付かないところで目撃されていた可能性もある。そう思って、僕は笹野さんに話を聞きに行った。すると、どうだろう。彼女は開きっぱなしの扉から、部室の中にいた僕の姿を見たと言うんだ」

「勘違いだった、とか? 他の部室のことと混同してるのかもしれない」

「その可能性は低いでしょ。自分で言うのもなんだけど、バケットハットを被ってる奴なんて僕くらいしかいないよ」

 彼の言う通り、僕も他の人間が校内でハットを被っているのを見たことがなかった。

「それじゃ、考えられる可能性は一つしかない。誰かが僕になりすまそうとした、ってことだ」

「流石に飛躍しすぎじゃない?」

「飛躍はしてるかもね。でも仮説を立てるのは大事だ。何者かが僕になりすまそうとして、わざと扉を開けたまま白坂先輩と話していた。狙いまではわからなかったけれど、ともかく僕はその仮説に立って一度考えてみた」

 すらすらと語られていく推理は、さながらミステリ小説に出てくる探偵のようだった。彼の演じる役を色々見てきたが、こんなにも探偵役が似合うというのは意外だった。僕なんかよりよっぽど様になっている。

「ミステリ小説において、一番怪しむべき人間は誰だと思う?」

「……殺さなそうな人間、とか」

 突然の問いに、僕は自信なげに答える。

「悪くはないかな。でももう少し具体的に言うと、『アリバイのある人間』だよ。正確には、アリバイがあると強調されている人間。そりゃ、アリバイがなくて怪しい人物が犯人だったとしても、謎解きとしては弱くなってしまうからね」

 ゆっくりと木張りの床を踏みしめながら、彼は核心に迫っていく。

「アリバイがあったのは、まず住野さん。ただ、彼女はすでに舞台を降ろされてしまっているから除外だ。流石にここから彼女がやっぱり真犯人でした、なんていうのは、奇を衒いすぎてる」

 彼の芝居がかった語り口は妙にわざとらしく感じられた。それが彼なりの優しさなのか、あるいはせめて外側だけでも誤魔化そうとしているのかはわからなかった。

「僕は白坂先輩と会ったあと、一人図書室で悶々と過ごしてたから、アリバイを証明するのは難しい。友利先輩も空き教室で勉強していたと言っていたから、アリバイはないと考えていいだろう。すると、残るは……」

 ぴたりと足を止め、僕の方を振り返る。


「景、君が白坂先輩を殺した真犯人なんだろう?」


 僕は肯定も否定もしなかった。それを想定していたように、彼は推理の続きを語る。

「君は部室に集合する十七時ギリギリまで、教室でクラスメイトと文化祭についての話し合いをしていた。実際数分遅れてやってきたし、その場にいたクラスメイトにも確認したら、確かに君は十七時まで教室にいたと言っていた。防災無線のチャイムが流れるのを聞いたから、時間についても間違いないだろうということだった。つまり、景だけアリバイが完璧なんだ」

 話の運び方で、彼が何を言いたいのかは明らかだった。

「でもおかしいんだよ。君の教室は校内で唯一防災無線が流れる校庭のスピーカーからは一番離れたところにあって、街路のスピーカーからも微妙に距離がある。あの日は暑かったから、冷房を付けて扉や窓は閉め切っていたはずだ。教室は部室と違ってクーラーが付いているからね。そして近くにスピーカーがない君の教室では、よほど耳を澄まさない限りチャイムは聞こえない。ましてや完全に閉め切られて、文化祭の議論に白熱していたというのに、その音に気付くっていうのはかなり不自然だ」

「そもそも本当なら時計で時間を確認すればいいのに、何故かその日は教室の時計が壊れていたそうだね。だからチャイムの音で時間に気付いた。もしそのチャイムの音が誰かの手で流されたものだとしたら、時間を誤認させることが可能というわけだ」

 これで材料はすべて揃ったというように、彼はそこで深い溜め息を吐いた。

「君はあの日、僕よりもあとに白坂先輩に会っていた。でもそれを隠すために、時計を壊し、事前に用意していたスピーカーからチャイムを流してアリバイを作り、バケットハットを被って僕のふりをして部室に向かった。もしかしたら、あれくらいの時間に笹野さんが通ることも織り込み済だったんじゃないかな。そうして誰も知らない二人の時間を作って、そこで彼女を殺した」

「僕が彼女と会ったことは証明できても、殺したというのは無理矢理すぎるんじゃない?」

 そんな風に申し訳程度の反論をぶつけてみる。

「正直言って、殺したという明確な証拠はないに等しい。でも状況証拠はいくつかあるよ。まず、吹奏楽部の滝川さんが部室棟の裏から本校舎へ入っていく君だと思われる人間の姿を見ていた」

 いつも吹奏楽部はパートごとに空き教室を使って練習を行っていて、その日滝川さんたちは本校舎二階の部室棟の裏手が見える教室にいたらしい。そこでふと窓の外を眺めているときに、部室棟の方から歩いてくる人影を見ていた。

 その道は本校舎の裏口から部室棟の裏へと繋がっているが、行き着く先が行き止まりで、ほとんど使う人がいない。そのため、人がいるのが珍しくて覚えていたそうだ。確実に僕だったと断言はできないものの、背格好や何となくの雰囲気は似ていた気がする、という程度の情報だった。

「あの道を通ってたということは、部室の窓から降りて外に出たということになる。ただ話していただけだとしたら、そんな逃げるような動きはしないでしょ」

「まあ、それはそうだね」

「あとは、彼女の胸に突き刺さっていたナイフだ。思い返してみると不自然だったんだ。あのナイフには柄の部分にもべったりと血がついていた。まるで刺したあとに、血の付いた手で握り直したみたいだった」

 咄嗟のことで現場の状況は一瞬しか見ていなかったはずなのに、そんなにも細かいところまで記憶しているというのは、彼の鋭い観察眼に驚かされる。

「極めつけは、そのスニーカーだよ。服に無頓着な君が、先輩が死んだ次の日から珍しく綺麗な新品のスニーカーを履いていた。もしかして、前のスニーカーを履けなくなった理由があるんじゃないかと思った。例えば、靴底に血がついてしまった、とかね」

 僕は自分の足元に目を落とす。もうだいぶ履き慣れて足に馴染んでいたが、まだつま先の白い部分には真新しさが残っていた。

「ずいぶんお粗末な犯行だよ。まあ別に隠すつもりもなかったのか」

そうしてすべてを語り終えると、彼はひどくつまらなそうな顔で笑った。

「……流石はミステリ好きだね」

 そう言って、ようやく僕は『西村景』の役を降りた。

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