第4話

コウセイがエマたちの研究室にやってきて三ヶ月が過ぎていた。研究室ではいつも通り、メンバーがそれぞれの研究に打ち込んでいる。


コウセイは横目でチラリとエマに視線を向ける。そして思い出す。


・・・うん。では、まず私を頼って下さい。


あのときのエマの真っ直ぐなメッセージ。


あの言葉に、助けられた。あの言葉が迷いかけた自分を引き戻してくれた。若くても立派なリーダーだな、と思う。


しかし、この冷静さやリーダーシップは一体どのようにして身についたのだろう。

こうでなくては、世界の第一線で活躍するサイエンティストにはなれないものなのだろうか。


エマとは、時に周囲がギクリとするくらいの歯に衣着せぬ議論を交わせるようになっていた。


— エマさん、それは悪くないアイデアですけど、アクション・シンクロナイザとは相性悪いですよ。

— だめだめ。それはどちらかというとサイボーグ技術の発想でしょ?コウセイさんらしくない。

— エマさんのコード、きれいとは言いましたけど、冗長なところもあります。ほら、ここでオーバーヘッドが発生してるじゃないですか。

— いやいや、コウセイさん、それはない、ぜったい無い!


それは決して後ろ向きな対立ではない。目的に向かって成すべきことを見つけ、正しい進路に舵を切る。忌憚のない対等な議論ができるようになったのだ。


落とし所が見つからないこともあるが、だとしても話せばわずかでも前進できる。意見を交わした方が、禍根が残ることはかえって少ない。


エマのペースにまんまと乗せられている、という気もするが、それならそれでありがたく乗せられるのがよさそうだ。


今日も議論を重ねる2人。しかし、周りからはそうは見えないこともある。

2人から離れたところで、リノが心配してエレナに耳打ちする。


「最近あの二人、言葉に遠慮が無くなってきてませんか?」

「そう?あの感じなら大丈夫だと思うけど。」

そうですかね、と訝しげに首を傾げるリノ。


「思い出すわ、エマの両親も最初はあんな風にここで言い争っていたのよ。」

エレナは懐かしさに目を細める。


「エマのご両親ってこの研究室に在籍していたんですか?」

「そうよ。リノは知らなかったのね。」


「初耳です。詳しく聞いても?」

「いいわよ。古参はみんな知ってることだからね。」エレナが昔話を始める。


「20年くらい前になるかしら。二人がこの研究室を立ち上げて、マインドアップロードの研究を始めたのよ。私も彼らから誘われてここにきたの。」


「エレナさんも初期メンバーだったんですね。それも知らなかった。」


「そう、わたしもずいぶん長くここに居るのよ。だから彼らとエマのこと、よく知ってるわ。」

「興味深いですね。」


「最初は噛み合わない二人だったけどね、今のエマとキリヤマくんのように意見をぶつけ合っているうちに、いつの間にか恋人関係になっていて、私は呆れちゃったわ。」

その情景が重なるんだな、とエレナの話の続きを待つ。


「エレナさんがエマの後見人だったというのは私も知っていましたが、エマの両親は・・・」

「エマが14歳のとき亡くなったのよ。・・事故でね。」

「そうだったんですか・・・」リノが複雑な表情を浮かべる。その詳細まで尋ねるのは避けた。立ち入るべきではないだろう。


「大学を卒業して、そのままこの研究室に入ってくるとは思わなかったけどね。父と母の理念を継ぐんだ、とすごい勢いだったのよ。」悲しい話題を振り切るようにエレナが続けた。


失った両親の代わりにマインドアップロードの研究を継ぐ。そんな強い想いがエマを成長させたのだろう。若さに不釣り合いな大人びた振る舞いはこれが要因なのか。だが。


「両親の理念を継ぐ、か。しかし、傍からみているとエマの頑張ろうとする気持ちはちょっと尋常じゃないように思えます。ご両親を愛していたんだろうとは思います。でも、囚われすぎているようにも思えます。」


「気遣ってくれてありがとう。そうね、そうかも知れない。私も思う所はあるわ。と同意する。


リノはそれ以上会話を続けなかった。エレナの心の内を気遣った。


■ ■ ■ 


コウセイはロボットの前に立ち、この四ヶ月間の取り組みを思い返していた。


アクション・シンクロナイザを更にチューニングし、データ処理能力を改善した。

アクチュエーターを動かすモーターの制御プログラムを見直した。

各種センサーのデータを解析し、劣化して精度が落ちているセンサーを交換した。


目の前で動作テストを繰り返しているロボットの動きが、飛躍的に向上していることが目に見えてわかる。


料理や掃除などの家事全般、自転車の走行、ダンス、絵の具を用いたアナログな絵画、果ては1on1のデュエルサッカーまでさまざななユースケースを設定し、そのどれも問題なくこなすようになった。


仮想意識データをロボットの動作アルゴリズムに変換する部分とハードウェアはほぼ完成と言っていい。アクション・シンクロナイザの動作もほぼ完璧と言っていい仕上がりだ。


その成果が評価指数のスコアとなって現れた。


「みなさん、HPRのスコアが95を超えました!」


エマの明るい声が研究室に響く。メンバーからおおーと感嘆の声があがる。


HPR(ハーモニック・パフォーマンス・レート/Harmonic Performance Rate)は、仮想意識とロボットの身体の連動性、効率性、処理速度を総合的に判断するためにエマが定義した数値指標である。


「HPRの目標値である100を超えたら、いよいよアップロード意識被験者の募集を出します!」エマが金色のショートボブをふわりと揺らして振り返り、宣言した。


「ついにここまできたな。コウセイが研究に加わったのは大きかった。」リノがコウセイに視線を向ける。


「みんなの協力あってこそですよ。」

「うんうん、良い心がけだね。日本語で言うなら”慎ましい”、と言うやつだな。」

「よくそんな言葉知ってますね、ベンさん。」ソフィアがからかう。

これでも心理学者だからね。と関連性があるのか無いのかよく分からない理由をつけるベン。中途半端な冗談が滑らない程度に研究室の雰囲気は良い。


「スペックダウンしていた仮想意識の出力を上げましょう。今のロボットの性能なら十分に処理できるはずだから、それで100を超えると思いますよ!」エマも声が軽い。


「わかった、ちょっと設定を変更するから10分ほど待ってくれ。」

「おねがいします、リノさん。」


コウセイが来る前は、仮想意識が要求するデータ処理能力をロボットが賄うことができず、データ量を間引いて実験を続けていた。それを元に戻す時が来たのだ。


「準備できたぞ。HPR計測開始OKだ。エマ。」

「はい、では始めるので、みなさん少し下がって下さい。」


これが上手く行けば、AIの仮想意識による実験が終了し、いよいよ実際のマインドアップロード意識被験者による実験に移れる。


エマが空間ディスプレイのコンソールで試験開始のコマンドを入力する。

ロボットが動き出す。


しかし。

思惑とは裏腹に、HPRの数値が100に達することは無かった。


■ ■ ■ 


「あーエマ、落ち込むなよ。」いつもは無口なマックスが励ます。

「あーはい、大丈夫です。ありがとうございます。マックスさん・・・。」

魂が抜けたような様相のエマが答える。


コウセイはログを見ていた。アクション・シンクロナイザの処理能力には余裕がある。ボトルネックにはなっていない。問題は仮想意識側にあるように思えるが・・・


「ロボット側の処理性能は十分すぎる程によくなってます。仮想意識の方に何か手を打つ必要ありますね。」

見るからにがっかりしているエマが、負のオーラを飛ばしながら感想を述べた。


仮想意識の正体。それは「ニューラルネットワーク上に構築された仮想脳をエミュレートするリアルタイム・エミュレーターAI」である。


量子コンピューターで構成されたクラウドサーバー。そのクラスタ上に展開された、スパイキングニューラルネットワーク。それがこのロボットの頭脳だ。神経細胞を精密にエミュレートし、人間の自然な反応や行動を再現することができる。


例えば、暗闇に突然強い光が射し込むと人間の瞳孔は反射的に狭まる。この反射反応をロボットに置き換えるなら、光学レンズを通してAIに伝達され、神経作用としてのニューロンの発火がエミュレートされる事になる。


暗闇で走り回る子供の笑い声を聴くと、その声がどこから来ているのか、喜びの声なのか恐怖の声なのかを、集音マイクの情報から解析し、分類する。

さらに、これらの情報はメモリ上に保存された記憶データと結びつき、AIの行動を決定する。これらがすべてが組み合わさり、豊かな仮想意識を生み出す。


そのような構造を取っているため、ロボットから送られてくるセンサーの情報を人間の感覚のように捉えることができるし、身体をスムーズに動かすこともできる。


ただし、「仮想」と名前についている以上、本物の人間の脳や意識を全て再現できているわけではない。未だロボットのセンサーは数も質も人間の五感には遠く及ばないためだ。

マインドアップロードのように、すでに存在する脳や意識を観測してデータ化する技術は確立していても、無から意識を産み出すメカニズムは未知の領域が数多く残っている。あくまで人間の意識として振る舞っているように見える、それが仮想意識の位置付けだ。


実用面から考えると、機能特化型の生成AIの方が人の役に立つ。だが、この研究は、人間の意識のメカニズムを解き明かし、マインドアップロード意識をより深く理解するための重要なピースなのである。


エマが目を瞑って眉間に皺を寄せてうーむと唸っている。


「とは言うものの、具体的にどう対応すればいいんだろうな。」とリノ。

「学習アルゴリズムの見直し・・・かな。あとは仮想意識の生成プロセスにボトルネックになるコードが無いか、つぶさに調べていくしか無いかも。」


「今からやるにはキツい作業ですね・・。」コウセイの声が暗い。

「でも、やっぱり基準値は満たしておきたいです。自分で設定した値ですし。」


「私達の目的は、仮想意識の開発じゃなくて、マインドアップロード意識とつなげるロボットを作ることでしょ?スコアとしてはもう十分なレベルに達してるんじゃない?」ソフィアの言う事には一理あるが、エマの反応は違った。


「それはそうなんですが・・・」


実際問題、次のステップに移ったとして、次はマインドアップロード意識体の被験者との実験になる。どのみち課題はまた発生するはずなので、細かな数字に拘る必要はないのかもしれない。


「・・・わがまま言ってすみません、もう少しだけ、エミュレーターAIのチューニングをさせて下さい!」頭を下げるエマ。そうお願いされると、リノもソフィアも無下にできない。


「エレナさんはどう思います?」脇で聞いていたエレナが参加する。


「わかったわ。納得行くまでやりなさい。ただし、無理はしないこと。」

そして何かソフィアに目配せしているのにコウセイは気づいた。


本日のロボットのHPRテストは終了。エレナの承諾を得たエマは、準備を整えるため自分のデスクに戻った。他のメンバーもめいめいに自分の持ち場に戻る。コウセイも戻ろうとしたが、ソフィアに声を掛けられた。


「どうしました?」

「コウセイくん、キミがこの研究室に来た最初の日に言ったこと、覚えてる?」


「ん・・なんでしたっけ?」

「頑張りすぎるエマを見張っていてね、って言ったでしょ?」


「ああ、そういえば・・」

「エマのあの感じ、ちょっと危ないわ。私やエレナさんが毎回言って聞かせても、気づいたらいつの間にかコッソリ無理しちゃってるのよ、彼女。だから、今回はコウセイくん、お目付け役を引き受けてほしいのよ。」


エレナが遠目にうなずいている。さっきの目配せはこれか。無言の意思伝達能力が高すぎる。


「ソフィアさんやエレナさんが言ってもダメなら、僕じゃなおさらダメなんじゃ?」

「歳上の私やエレナさん相手だと、一歩引いて上手にかわされちゃうのよ。キミとエマは物事を言い合える対等な関係になってるから、試してみる価値がある!」

「僕だって歳上なんですけどね・・・」


まぁ、言いたいことはわかる。エマはこのような駆け引きが上手い。女性同士だとあまり強く言えないこともあるのだろう。何より、エマにはすごく助けてもらっている。返せる機会があるなら、少しでも返していきたい。


「わかりました。ひとまずいつもより気にかけるようにしますね。」

「ありがと、よろしくお願いね!」


とりあえず、一声掛けておくか。そう思いエマのデスクに出向いた。


そのとき、エマのスマート端末の呼び出し音が鳴る。誰かからコールが入ったようだ。

「あ、リサ、さっきのメッセージの件ね、ごめんね週末に急な出張が入っちゃって。予定は延期って事で。埋め合わせは必ず・・!」


ん?出張?そんな予定などあったか?不審に思うコウセイ。

「エマさん?次の出張ってエレナさんとソフィアさんが行く事になってませんでしたっけ?」コールを終えたエマに話しかける。


「えっ、ああ、あれとは別の出張が入ったの。」

「そんなのカレンダーにリストされてなかったと思いますけど。」


「お、おかしいわね、漏れちゃってるのかしら。まぁ土日で行って帰ってくるし、みんなお休み中だから問題ないと思いますっ!」


あからさまに怪しい。ソフィアさんとエレナさんの警戒は当たりか?と勘ぐるコウセイ。


■ ■ ■ 


土曜日の朝。

週末の誰もいない研究室。リサとの予定をキャンセル。ソフィアとエレナが出張で不在。これらの要素から導き出される結論はひとつ。確認のため、コウセイは研究室に出向いた。


案の定、エマがデスクに張り付いてコンピューターのキーボードを叩いている。


「金曜の夜から居ますよね?服、同じの着てる。」

背後から声をかけた。

「え、なんで?なんでコウセイさんが出勤してるんですか!?・・・てか、同じ服じゃないですよ!着替え持ってきたし、この施設のむこうの区画にシャワールームがあるのでちゃんと清潔に・・・」驚き、動揺するエマ。


「そして、エレナさんやソフィアさんの言いつけ破って、夜な夜な仮想意識のシステムチューニングをやっていたと。」

「え?あ、えーと・・」


「二人から、エマさんを気遣うように頼まれてました。だから様子を見に来たんです。」

「・・・そうでしたか。は、はい、ごめんなさい・・・。」


普段は見せることのない、縮こまった姿、こわばった表情。心なしか目の下に隈ができているように見える。


「疲れた顔してますよ。ひとりで頑張り過ぎたら体、壊しちゃいます。」

しゅんとするエマ。少しの間、沈黙。


「・・・だから、僕も手伝います。手分けしてやりましょう。」

「・・・えっ?」意外な申し出に、驚くエマ。


「やらないと気が済まないんでしょ?」

「でも、だからってコウセイさんに迷惑をかけられないです。」


「・・・今回は、僕を頼って下さい。」

「・・・あっ・・あははっ、返す言葉が無いですね・・・」


以前コウセイに言ったセリフをそのまま返されて、しまったーという顔になる。


「たしか、生成AIのオートタスクメインでチューニングやってましたよね。その作業なら僕でもできますよ。難しいところに当たったら報告しますので。」


「んーでも大丈夫かな?」ちらりと横目で視線を流す。

「あ、ちょっと舐めてますね?こう見えてもニューラルネットワークの深層学習は大学生のころにみっちりやったんですよ!」


「へーそうなんだ。じゃぁ手伝ってもらおうかしら。いや、そうじゃ無いですね、お手伝い、よろしくお願いします!」

「はい!」


気がつくと、エマの表情から強張りが消え、いつもの余裕ある雰囲気に戻っていた。さっきまでの後ろめたさはきれいに無くなったようだ。


エマとコウセイが仕事に取り掛かる。まず、エマがプログラムのソースコードをAIに精査させ、該当箇所をリストアップする。そのリストを元に、更に個別にAIのデバッグを重ねていく。


この段階では手動でコードを書く割合はほとんど無く、基本的にAIに任せられる。人間のやることは、デバッグの結果を確認することだ。自動テストを実行し、カバレッジを確認する。


ここで異常が見られたら、直接人の手でコードを修正するか、AIと対話し修正を試みる。一定程度成果が出たら、実際にロボットを稼働させ、FPRの値を測る。


これらの作業を目標の値に到達するまで繰り返していく。AIのサポートが無ければ終わりが見えない、手間暇のかかる作業だ。だが、二人は真剣だった。彼らのような人種はいざコンピューターに向き合うと、寝食を忘れて取り組んでしまう性質を持っている。昼を過ぎ、すでに夜の八時を越えていた。


「あれ、もうこんな時間。お腹空きましたよね。レトルトのピザで良ければありますよ。あとはパンも少し。」

「・・・家に帰る気、無さそうですね。」


「あ、あはは、もうちょっとだけ、もうちょっとやったら帰ろうかな?」

「・・・ピザ、もらっていいですか。」


エマから受け取ったピザを齧り、一息つく。

「それにしても、エマさんは、何ぜここまでして研究に取り組むんです?エレナさんもソフィアさんも何も言ってなかったな。やっぱり、天才は考えることが違う、ってこと?」

おだてないで下さい、と笑いながら首を横にふる。


「それはね、私の父と母の影響なんです。」

「と言うと?」


「私の両親はね、私が14歳のとき、事故で亡くなっちゃって。」

エマが添え物のポテトを頬張りながら、さらりと述べる。

コウセイが口に入れたピザをごくん、と飲み込み、喉を詰まらせた。大丈夫?とエマが心配する。


「私は悲しくて、なのに涙も出なくて、ご飯も食べずに何日も自分の部屋に閉じこもってたんです。そしたらエレナさんがここに連れてきてくれて。」

デスクに飾られた写真立てを手に取る。この研究室で撮られた集合写真だ。


「父と母は二人ともこの研究室で働いていてね。楽しそうに笑っている写真をもらったの。二人がどんな研究をしてたか、その時ここにいたみんなが教えくれて。」


写真に写っている父と母を懐かしそうに見つめる。両親の他にエレナと当時のメンバーが写っていた。


「父と母は、苦しんでいる人を救う研究をしていたんだって教えてくれた。みんなが二人を尊敬しているよって言われたわ。」

いつのまにか、思い出に浸るような声の響きで話している。


その頃のエマはマインドアップロードについて詳しい知識は無かった。だが、そのとき出会った大人たちが、一様にして父母を褒め称え、エマに優しく接した。涙を流して抱きしめてくれる女性もいた。両親が遺した、あなたに会えて嬉しい、と。


「すごいって思った。単純よね。でも、自慢の父と母だって嬉しくなった。その時から父と母の願いは私の願いと溶け合って一つになっているわ。」

手のひらを胸に押し当てる仕草は、願いの在り処を確かめているように見える。


「思い出に囚われていると言えばそうかもしれない。でも、そうだとしても、父と母の思いをどうしても私が叶えてあげたいんです。」

いつものように、丁寧な口調に戻っていた。


「コウセイさんにはとても感謝しています。あなたの力が無かったらここまで来れ無かったかもしれないから。」

エマは、いつもの堂々とした彼女とは少し違う、はにかんだ優しい眼差しでコウセイを見つめていた。過去の話に聞き入ってたコウセイは不意をつかれて慌てる。


「・・またそうやって僕を乗せようとする。あなたは僕がいなかったとしても、必ずここまで来てましたよ。きっと。」

見つめられたのが照れくさく、拗ねて誤魔化した。

「そんな事無いですよ、本気でそう思ってますって!」

斜め下からにじり寄るエマ。


交わす言葉が弾む。エマが歌うように喋る。議論ではない、何気ない会話をコウセイは心地よく感じていた。


ひとしきり昔話をしたせいか、エマがふぁ、とあくびをする。


「お腹がふくれたなら、少し休んだらどうです?」


目をこするエマに、横になるようにすすめる。

帰ろう、と言うのが少し惜しくなったのだ。


「ん〜そうですね・・・さすがにちょっと疲れたな・・・」パタリとソファに倒れ込む。う〜ん極楽〜と伸びをする。


「コウセイさんは、ちゃんと家に帰ってくださいね。もちろん私も帰りますから。少し休んだら・・・」それは嘘だろう。その手には乗らない。


エマが研究室の室内制御AIにアラームのセットを命じた。

次の瞬間、微かな寝息を立て始めた。眠りに落ちている。

即落ち・・やっぱり無理してたんじゃないか、と呆れるコウセイ。


眠っているエマをちらりと眺めるコウセイ。自分が着ていた白衣をそっと掛けてやる。若い女の子は苦手だったが、どうやらエマにだけは免疫がついたようだ。


さっきの彼女の両親の話を思い出す。エマの年齢に見合わない落ち着きと度量は、両親を失った悲しみを乗り越えた結果として身についたものなのだろうか。


そんな悲しみ、自分なら耐えられるのだろうか。とてもじゃないが想像すらできないそうにない。


コウセイはぼんやりと考えた。エマの両親が取り組んでいたという、苦しんでいる人をマインドアップロードで救うという研究。どんな構想だったんだろうな。今度エマに聞いてみよう。


彼女の生き方を、その根源を、知りたいと思った。


■ ■ ■ 


エマが目を覚ました。


窓から差し込む朝日が眩しい。夜が明けている。白衣が掛けられていることに気づく。コウセイがデスクに突っ伏して寝ている。


やってしまった、朝まで眠り込んじゃったのね・・・


しかもコウセイさんと二人きりなんて。迂闊な自分が恥ずかしい。顔が赤く火照る。


セットしたはずのタイマーはなぜか鳴らなかった。操作ログを見ると「アラーム解除:コウセイ・キリヤマ」と記録が残っていた。


次の瞬間、エマのスマート端末にメッセージがポップアップする。コウセイからだった。


デバッグ完了、テスト問題なし。HPRの測定準備をよろしく。


なんと素っ気ない。思わずクスクス笑ってしまう。一緒に添付されていたテストのログを見る。ほとんど完璧だ。コウセイさん、すごい。


全部コウセイにしてやられた。ぐうの音も出ない、というやつだ。これはもう、素直に感謝するしかない。


今日は日曜日だし、もう少し寝かせてあげよう。


お腹がすいたな、昨日買っておいたパンと野菜とハムで、サンドイッチを作ってふたりで食べよう。コウセイさんにコーヒーを淹れてあげよう。


あ、でもその前にシャワーに行って着替えてからにしようっと。


少し浮ついた気分を自覚する。やわらかな心地よさと高揚感が、エマの心にじんわりと広がっていた。


そのとき。


エマの身体に異変が訪れた。

心臓のあたりが苦しい。胸を抑え震えだす。呼吸が荒い。冷や汗が首筋をなぞる。


少しの間耐えたが、やがて立っていられなくなり、膝を落としてドサっと倒れ込んだ。


デスクの上の写真立てが手に触れて床に落ちる。

物音に気づいてコウセイが目覚めた。


「・・エマさん・・・!」


給湯室には、飲み忘れた薬が置いてあった。

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