第2話

「少し早いけど、ログインしておこうか。」


古風なゴーグル型のヘッドマウント・ディスプレイを装着したリサが、手慣れた手付きで手首のスマート端末を操作する。


連絡を取りたい、とエマが発言してからわずか45分後、リサの無邪気なゴリ押しを止める間もなく、彼女の知り合いのロボット開発者とのオンライン・ミーティングの開催が決定してしまった。


リサに続き、エマが点眼式汎用ナノマシンモジュールの液体を目に落とすと、角膜の上に極薄のナノレンズが瞬時に形成され、ネットワークが確立した。何の違和感も無く、仮想空間の視界が確保される。


メタバースにログインするにはいくつかの方法がある。コンピューターのディスプレイはもちろんのこと、リサが好んで使うレトロで懐古趣味なヘッドマウント・ディスプレイや、軽量のスマートグラス(眼鏡)、脳細胞に常駐したナノマシン、いわゆる「電脳」で接続することも可能だ。


エマが使った点眼式は使い捨てコンタクトレンズ型のスマート端末だ。一日経てば自然と溶けて無くなり、価格が安く必要十分な性能がある。没入感はあまり無いが、健康リスクがほぼゼロで愛用者も多い。


ログイン先は、リサが入り浸っているオンラインゲームではなく、(かろうじて却下した。)一般的な汎用メタバースの会議室を選んだ。明るくて程よくデフォルメされたテクスチャの会議室が眼前に広がっている。研究室の室長に頼んで値の張る量子セキュリティのルームを用意し、こちらの真剣さが少しでも伝わるように配慮した。リラックスした雰囲気が出せればと、フレームレートと解像度は控えめに設定してある。


現実と同じ姿のアバターのリサがひらひらと手を振っており、同様に普段の姿を模したエマのアバターもひらひらと手を振り返す。


「ゲームのときの狩人装備を着てもよかったんだけどね!」弓を構えるポーズで冗談めかすリサ。エマの仕事のミーティングなので一応気を使ったようだ。


ログインが完了し、あとは主賓を待つだけだ。エマは、少し緊張しつつも期待に胸を膨らませている。


主賓として迎える彼のフルネームは桐山コウセイだ。以前に閲覧したロボット開発系オンラン・フォーラムの動画リストのプロフィールにその名があったことを思い出していた。日本の工学系の大学で博士課程を修了し企業に就職。現在はフリーに転じて研究を続けているようだ。


メタバース空間上の仮想ディスプレイにそのサイトを表示させる。閲覧数とブックマーク数が飛び抜けて多い動画に目が留まる。そうだ、これを見てすごい、と思ったのだ。


動画の中の彼のロボットは自在に状況を判断し、様々なモジュールをダウンロードし、状況に応じて組み合わせることができた。


その時々で最適な動作制御を生成し、複雑な状況にも対応できと解説している。


そのような自律判断を実現するには、おそらくロボットの精密なセンシング機構と、膨大な量の深層学習で鍛え上げたAIが必要と思われる。だとすれば、ちょっと考えたくないコストと労力が注がれているんだろなと想像した。


どのような学習データをピックするかは開発者の個性が色濃く出る。ちょっとめずらしいアイデアで、もしかしたら意識という複雑な処理系統と相性がいいかも、と脳裏をかすめた。投稿に対するたくさんのコメントがエマの推測を裏付けた。


ただ、その時はまだロボットの問題が顕在化しておらず、そのまま流してしまったのだ。それがリサの知り合いとしてもう一度巡り巡ってくるとは・・・この偶然にエマは感謝するばかりだ。


ぽん、と音を立てて主賓のログインを報せるポップアップ・ウインドウが空中に浮かんだ。

一瞬の間をおいて空間が人間の形に歪み、ノイズが走る演出とともに男性姿のアバターに置換される。清潔に整えられた黒髪。20代後半くらい、やや童顔な顔立ちのスーツ姿の男性がが立っている。


「いらっしゃい、コウセイくん!急に呼び出しちゃってごめんねー」リサが陽気かつ悪気なく声をかけると、


「レイドボス戦なら毎度の事ですけどね。」と気さくに返す。


「あ、今度レベリング付き合ってよねー」立て続けのリサの無遠慮さに、やれやれ、とぼやくコウセイ。


エマにはよくわからない用語が飛んだが、ゲームの話の話だと察しがついたので大人しく見守っていた。しかし、話しかけたくてウズウズした表情が漏れ出ていたのはバレたようだ。


「っと、はじめまして、桐山コウセイです。よろしくお願いします。」


■ ■ ■


軽やかに揺れる金色のショートボブを前にして、コウセイは緊張していた。


初対面の女性と打ち解けるまで時間がかかる、という元来の痛ましい性質が災いしているのだがそれだけじゃない。


目の前の眉目秀麗な女性が世界的に名を知られているマインドアップロード研究の第一人者、山口エマであるからだ。


声のトーンを一段上げたエマが話しかける。


「山口エマです。来てくれてありがとう。リサが無理に呼んでしまったみたいでごめんなさい。」

「まぁ、とりあえず時間は空いてましたので。問題無かったですよ。」

「エマみたいに若くて、可愛くて、賢い女の子に会えるってんだから、そりゃ急いでくるよねー」

「リサさん、そういうイジりはちょっと・・・」やめてほしい、と小声でぼそぼそ続ける。二人の会話はどちらが歳上・歳下なのか分からなくさせる気安さだ。


コウセイにとってエマのような”若くて可愛い女の子”は、むしろ苦手の最たるものだった。自分の若さをロボット研究につぎ込んだ代償として授かった属性だ。まったくありがたくもない。


しかも彼女は、技術革新につながるであろう有力な論文や実績をいくつも発表しており、マインドアップロードの学術ネットワークでは完全に認められた存在で、はっきり言って格上だ。美貌と権威を兼ね備えた才女。本来自分が関われるような相手じゃないし、気が引けて関わりたくないとさえ思えた。


しかし、そんな発想しかできない自分の卑屈さに嫌気も感じていた。


コウセイが大学の博士課程でロボット開発の研究に携わっていた三年前。独自のAIロボットの論文を発表し、実際に稼働するプロトタイプの設計、開発を行っていた時期がある。

それまでのロボットよりも格段にスムーズに動く仕組みの独創性と革新性が高く評価されていた。


NPU(ニューラルネットワーク・プロセッシング・ユニット)での動作を前提としたロボット専用のシステムで、正式名称を「自立学習型動作制御アルゴリズム生成AI」と言う。長すぎて覚えられないので、もう少しキャッチーに「アクション・シンクロナイザ(Action Synchronizer)」という通称を与えた。そしてその名前が彼の研究の代名詞となった。


論文や成果は称賛され、歓迎のうちに企業付きの開発部門へ就職。順風満帆だと思っていた。いつまでも自由で、あらゆることができると思っていた。だがそうではなかった。


企業の制約と、資金と、矛盾で縛られた研究環境に意欲が削がれ、仲間も得られず、わずかな期間で自ら身を引いて職場を去った。以降、自分の技術を活かす身の置所は見つかっていない。


何のことはない。ロボットの技術開発ばかりに目を向けいたせいで、人の中でしたたかに生きるすべが身についていなかったのだ。


幸いにもアクション・シンクロナイザを求める顧客がわずかだが見つかった。それが不労所得に生まれ変わってくれたお陰でどうにか生活は成り立っているが、いつまでも続く保証はない。「こじらせて」いる状況に変わりはないのだ。


技術だけは自信があったはずだが、いつしかそれも幻だったのではと思えるほどに落ち込むようになった。気づいたらオンラインRPGの世界に逃避し、結果として自由奔放なリサに捕獲され今に至る。主体を見失い流される生き方を晒している。


なのにそのリサを通じてあの山口エマと接点を持つことになるとは。量子力学の不確定性原理と同じ程度に想像し得ない状況だ。

つまり、今のこの状況は最後のチャンスだ逃せば死ぬぞ、社会的に。である。


エマがなぜか目をキラキラ輝かせている。よくわからないが、コウセイのロボット開発の技術に大きな期待を寄せているらしい。きっとリサが大ボラを吹き込んだに違いない、余計なプレッシャーだまったく。


「山口さんはマインドアップロードで有名な研究者ですよね、なぜ畑の違うロボット開発者の僕にアポを取ったんです?」


「じつは・・・」


その問いかけをきっかけに、彼女の思いの激流を存分に浴びることとなった。


・・・


たっぷり三十分かけて熱弁を振るったエマのおかげで、彼らの頭上に立ち現れている困り事をコウセイは理解できた。


「つまり、変換された意識データをロボットに渡して処理させると動作が破綻する、ということですね。それを解決する糸口を探していると。」


「そうなんです!」エマの声が弾む。


「ロボットの開発者がうちの研究室にいなくて、原因を特定するのが困難な状況になってしまって。でも桐山さんなら・・」


リサはすぐに飽きてしまい、部屋の隅で寝転がってスマート端末をいじり出した。しっかり打ち合わせするのよ、と上司が如くふるまっている。お構いなしに、研究者ふたりの熱の入った議論が始まった。


「AIの仮想意識データをロボットの動作制御アルゴリズムに変換してるんですね。山口さんがコーディングを?おどろいた、専門外だろうにそんなことをやってるなんて。」


エマでいいよーとなぜかリサが口をはさむ。どうしてそこで出しゃばってくるのか。

戸惑っていると、どうぞ、コウセイさん。とエマがやさしく微笑んで先手を打ってきたので乗ることにした。さすがのしたたかさだ。コウセイが持っていないものを持っている。


「・・では失礼してエマさん。コードを拝見します。AIに精査させてもよいですか?」


はい、こちらです、と了承の意を示すと同時に右手をかざして空中にウィンドウを開く。画面にはエマが書いたプログラミング・コードが並んでいる。


わ、すごく綺麗なコードです。とても読みやすい、とコウセイが開発者らしい感想をナチュラルにつぶやく。エマは褒められておもわず顔を赤くした。

エマの様子に気づくこと無く、AIによる精査の報告を読み耽る。なるほど、エマが自分に声をかけた理由がわかってきた。


「僕が開発したAIの論文か動画を見てくれたんですね。それでこの問題を相談してくれた。」


「そのとおりです。あなたの研究内容がこの問題をうまく解決してくれるんじゃないかと思いまして。」


精査報告を読み終えると、ルームのセキュリティの仕様に従いデータが自動的に削除された。もっと詳しく検証する必要はありますが、恐らく・・・と前置きし、コウセイは説明を始める。


「意識データを変換するときに、アクション・シンクロナイザが適用できるかもしれません。」


エマが求めているであろう、コウセイ自身が開発したシステムを提案する。


アクション・シンクロナイザの主たる機能は、ロボットが身体を動作させるための制御アルゴリズムを生成・最適化することだ。


ロボットに搭載された各種センサーの情報を、内部で構築された仮想空間の中の仮想ロボットに伝送する。仮想ロボットは与えられた命令に基づきどのように動作するのが最適なのか、リアルタイムで深層学習を行う。


既存の学習データとセンサーから得られた情報を複合的に処理し、あたかも人間が無意識に身体を動かしているのと同様な振る舞いをロボットにさせることができる。


ポイントは外部APIだ。ロボットへの命令を外部デバイスから与えるために、データ転送をバイパスするインターフェースも備えている。それを使って仮想意識からの命令を流し込むことができるのだ。


「具体的には、意識データとロボット制御アルゴリズムの間にアクション・シンクロナイザを追加します。意識データをリアルタイムでAIに食べさせるんです。都度深層学習を行うシステムなので、意識データの要求に合わせて最適化された動作アルゴリズムをその都度生成できる可能性があります。」


エマが変換プログラムを組んだ時に苦労したのがまさにそこだった。意識データをロボットに解釈させるためのプログラミング・コードが膨大すぎたのだ。AIによる自動生成も試したが、エマのコーディングでは動作の幅を広げよう、柔軟にしようとすればするほどコードが複雑になり、品質も下がり、逆に処理速度が落ちてしまった。コストを無視してハイパワーなGPUを与えようかとも考えたが思いとどまった。最適解はそれじゃない。この問題が解決できるとしたら。


このコウセイの提案、エマは精査しようと冷静に受け止めた、はずだった。しかし、直感は異なる反応を示した。


「もちろん、事前学習を積み重ねておいたほうがより良い性能が出るし、学習コストや処理速度の問題も無視できないんですが・・・」


そこでエマはコウセイの言葉を遮ぎるように告げた。直感に抗うことができなかった。


「コウセイさん、私達の研究室に参画してください。あなたの力が必要です。」

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