意識創生:Beyond the Eternal Mind - ビヨンド・ザ・エターナル・マインド

hossy

第1話

"殲滅戦、開始。"


白い光点として眼前に示される無数のデータ群は、その一つ一つが生命を形成する源、遺伝子情報だ。赤い光はウイルス、青はワクチンで、互いが互いを根絶やしにするための絶望的な戦いを、細胞の海の中で繰り広げている。劣勢なのは青い光だった。気がつけば周囲の光点は赤で埋め尽くされている。白い光点は見る影もなく、宿主の身体はもはや取り返しがつかないほどに破壊されている。


"データ転送、開始。"


その一方で、高精度スキャナーが人間の脳を細部まで読み取り、量子の可能性を観測する。その情報をデジタルデータとして保存していく。固定された人間の意識、思考、記憶、感情、すべてがバイナリの海に変換され、保存される。


"マインドアップロード、完了。"


アップロードされた全てのデータを用いて、集積回路上の仮想脳に人格を再構築する作業が始まる。人格を形成する無数のデータが、電子の速度で仮想空間に移動する。そして・・・


"ニューラルネットワーク、接続。"


仮想脳の中で、一つの意識がゆっくりと目覚める。身体が動く感覚が醸成される。自分の身体を動かしたい衝動が沸き起こる。そうだ、私は動きたい。動いて生きていることを確かめたいのだ。


■ ■ ■


「じゃあ、実験を始めるわよ!」


金色のショートボブを軽やかに揺らしながら、白衣を羽織った美しい女性が宣言した。


彼女と向かい合う形でエレキギターを構える人型のロボットが、メロディを奏で始める。


カーボン製のロボットの指はギターのネックを滑り、フレットに軽く触れた。指が踊るように動き、それぞれのノートが一つ一つ明確に生まれては消えていった。彼女は目を閉じ、その音色に注意深く耳を傾けた。


フィンガーピッキング、ハンマーオン、プルオフ。それらのギターテクニックを見事に駆使し、弦から溢れ出たそれぞれの音符が空間に踊り出た。彼女は思わず身体を揺らし始め、そのリズムに乗っていった。


「さあ、テンション上げていこうか!」


ピックが弦を弾く度にギターからビビッドな音が響き、部屋中に広がった。音色をディストーションさせて、ロボットの演奏が更に重さ、激しさを増していった。


しかし、曲の演奏が進むにつれて、調和の取れたメロディが微かな違和感とともに変質していく。一度、二度と不協和音が混ざる。チョーキングが少しずつずれ、ピッキングのリズムが乱れ、フレットの位置まで間違い始めた。楽曲の完璧さがそっと侵食されていく。


「・・んん〜っ」


彼女はすぅっと顔をしかめる。不快感が眉間の皺となって刻まれ、やがて耳を突くような不格好な音が空間に響き渡る。


彼女の目がパチリと開いた。目の前に広がっていたのは様々なコンピューター機器が整然と並べられた無機質な研究室だった。視線の先では、一体のロボットがエレキギター構えたまま硬直している。


「はーい終了!ありがとね!」


疲れたように、しかし優しさを込めてロボットを制御しているAIの仮想意識(AIエージェント)に声をかける。


AIからは特に返事は無いままに、ロボットは演奏を終えて直立の待機姿勢に戻る。


「エマ、実験終わった?入ってもいい?」


演奏が終わるのを待っていたのか、インターフォンから声が聞こえてきた。エマとよばれた女性は返事を返し、AIにドアの開放を命じて部屋の外から先程の声の主を招き入れた。


山口エマは才気溢れる若き研究者だ。フランス人の母と日本人の父の間に生まれたハーフで、気品ある端正な顔立ちは母親の血を色濃く受け継いでる。

科学者を演出する意図でもあるのか白衣をまとい、しかも見事に着こなしていて、すれ違う男性は思わず振り向いてしまう魅力を放っている。

十代後半の若さで脳科学分野の博士課程を修了しこの研究室に着任。現在に至る数年で様々な実績を残しており、研究者としての資質も申し分ない飛び抜けた才媛だ。


「いらっしゃい、リサ。」


「ずいぶんと不器用なロボットだねぇ。」


エマの友人のリサは、キョトンとした表情でおどけて見せる。ソーシャルネットワークサービスで検索すれば、テクニカルにエレキギターを奏でるロボットの動画などいくらでも見つかる。それと比べると、エマが行っている実験はまるで数十年前の黎明期のロボットをネタにした喜劇のように思えた。


「普通のロボットならやらないことをさせてるからね。今やっているのはロボットのセンサーから受け取ったデータをAIの中の仮想意識で五感をシュミレートしながら動かしてるから難しいのよ。」


どこか申し訳なさを含んだニュアンスでエマが答える。


このロボットに接続しているAIは人間の脳構造を模範に取り、ニューラルネットワークの技術を駆使して開発された特殊なAIエージェントだ。エマが自らプログラミングしたモジュールを組み込んでいて、自己認識や自己意識を模倣する「仮想意識」を持っている。大規模言語モデルを備えた普通のAIのような高度な知性は備えてないが、仕組みの上では人間に近い脳構造を取っている。


ロボットがセンサーを通じて捉えた感覚のデータをAIの仮想意識に送信する。情報を受け取った仮想意識はリアクションとなる動作を生成し、ロボットにフィードバックする。その動作をロボットが実行する。このサイクルを繰り返すことで「身体の動き」を作り出す。ただし、完全な意識を再現できてはいない。人間なら淀みのない一連の流れを、コンピューター上でエミュレーションしロボットと連係するとなると途端に難易度が上がる。


「へ?なんで普通にロボットを動かさないの?」リサのキョトン、が二割増しになる。


「それはマインドアップロード、つまりデジタル化された意識を考慮する場合に必要なプロセスだからだよ。」


室内のパーティションの向こう側に居た短髪の男性が声を掛けてきた。ロボットの動作データの解析を終えて、話に参加したくなったらしい。


「お、リノさん、居たんですね。お邪魔してます。相変わらず眼鏡が似合ってますねっ!」リサが愛嬌たっぷりに微笑む。男性は苦笑を返す。


リノはエマの研究室の同僚で、コンピュータサイエンスの専門家だ。人間の脳をデジタルにマッピングし、その情報をエミュレートするソフトウェアの開発をしている。エマより一回り年上で、その知識は同世代の研究者の追随をゆるさない。


「デジタル化された意識が物理的な身体を操作する仕組みを作るために、人間の脳を模倣して実験する必要があってね。今はAIでエミュレートした仮想意識を通じてデータを取ってる段階なんだ。」リノの口調は淀みなく、説明は的確だった。


「いつもエマが言ってるマインドアップロードの研究のために必要ってわけですか。」


マインドアップロード。その響きを耳にしたエマの瞳に深遠な意思の色が宿る。


マインドアップロード技術の真髄は、人間の意識をデジタルデータとして複製し、それをコンピューターなどのハードウェアにアップロードすることだ。これにより、人間の意識は物理的な身体を超越し、居住可能に構築されたメタバースやデジタルツインなどの仮想世界で生き続けることが可能となる。すでに理論も実装も確立し、法整備も進み、実用段階に入って十数年も経過している。しかし、その具体的な活用方法については喧々諤々とした議論が続き、未だ普及には至っていない。つまり、みんな使い道に迷っている。


デジタル化された意識がどう生きていけばよいのか、どんな社会を築くのか、見極めることは難しい。倫理と世論と法律。それらが揃い、先駆者の実践が積み上がることにより結果として社会合意が形成される。全く持って気の遠くなる話だ。


そんな膠着状態にある現状にメスを入れるのがエマとこの研究室のメンバーの目的だ。彼らの目指すところは、マインドアップロードした意識がロボットの身体を用いて現実世界にアクセス可能であると示すことだ。その事実を持って緩衝材とし、マインドアップロードの意義を世論に送り届ける。そのための第一歩として、AIを用いた仮想意識で実験を重ねている。


「特に難しいのが意識の奥にある無意識をエミュレートすることね。楽器を弾く動作って、考えるより先に体が動くでしょ?そういう無意識の動きを含めてエミュレートするとなると、計算量が量子コンピュータークラスになっちゃう。」

エマはそう言いながら、深くため息をつき眉間にしわを寄せた。


仮想意識の制御下でロボットを動かすこの実験は、マインドアップロードされ意識のみとなった人間が現実世界で行動できるようになる、という成果につながる。しかし、ことはそう簡単ではないようだ。


リノが後を引き継ぎ説明を続ける。


「今のところ計算量を抑えて実験してるんだけど、それでもロボットが膨大な量のデータを捌ききれてないようなんだ。あいにくうちの研究室はそこは専門外でね。ちょっと困ってるんだ。」


「なんだかすごい話ですね・・あたしの頭じゃちょ〜っと理解が難しいかも。でもエレキを弾くのが下手なのは、ロボットが考え過ぎてるってことで理解しました!」


如何にもわかったという体で振る舞うリサが可笑しくて、エマとリノが微笑む。


リサはこの研究室が所属する研究施設内に併設された病院で働いている看護師だ。エマたちの研究に関与してもいなければ、強い関心があるわけでもない。ちょくちょく話を聞く機会はあるが、技術的な内容は理解する前に忘れてしまうのが常だ。


「それよりもエマ、薬局に薬忘れてたから持ってきたわよ。ほら。」


「あ!」


薬が入った袋を手渡される。膨らんだ袋の外観から、沢山の量の薬が入っていることがうかがえた。


「あんたはこれしっかり飲まないと大変なことになるんだから、気をつけないとねっ!」


「そうだね、ごめん、ありがとう。」


リサはやさしくエマをたしなめる。二人は高校生時代の同級生で、エマが飛び級で大学進学するまでは暇さえあればつるんでいた親友の間柄だ。


それぞれの道を歩み出し、少々疎遠となった時期もあったが、奇しくもこの研究施設で再会して以後、かつての友人関係を取り戻して今に至る。


エマは思索を始める。目下解決すべき課題は、仮想無意識下でのロボットの動作が破綻してしまうこと。研究室にはロボットの専門家がおらずチューニングを外注しており、原因は何なのか詳細な検証はできていない。フィードバックされた動きのデータに対応する運動制御に問題がありそうだが、そうだとしてもソフトウェアの問題なのか、ハードウェアの問題なのか、それすらもあやふやだ。そろそろロボットのスペシャリストに入ってもらわないとダメかと思い始める。


「リノさんの知り合いのロボットの専門家、どうでした?」


「残念ながらウチの技術要件にマッチしないって言われて断られた。たしかに特殊な要件だしね。」


ふたりは残念そうに顔をしかめる。


普通のロボットの動作制御アルゴリズムはもちろん意識を介さない。そんなデータ処理を行うロボットは前例がないため、エマが苦労して変換プログラムを構築した。


専門外のロボットのアルゴリズムと何日も徹夜で格闘して体を壊し、それがリサにバレて大目玉を食らいながら作ったあのシステム系。それがボトルネックになっていそうなのは悔しいけれど自分でもわかっている。


「あれ?そうえいば、私のネトゲ仲間でロボットに超詳しい人がいるよ?」リサが唐突な提案を持ち出した。エマの脳裏に疑問符が舞う。ネット・ゲームは関係ないんだけどな。


「んん?必要なのはゲーマーじゃなくて研究者だよ?」

「いやいや、ゲーマーではあるんだけど、ちゃんとしたロボット研究者だってば。ほらSNSもあるよ。」


リサは手首に巻いたスマート端末から研究室のホログラフィックディスプレイにデータを送信する。


プロフィール画面に表示された男性の顔写真は思いの他若い。エマより4つ5つ年上に見える。彼が書いたであろう論文とロボットの実証動画のリンクが並んでいる。フルネームは桐山コウセイ、と書いてある。


あれ、この人、どこかで見たような・・・そうだ、この人は・・・!


「リサ、すぐにこの人とコンタクトを取りたいわ!」

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