【第4話 4】
「龍神様、お願いです。どうか愛月を助けてください……ッ!」
東京都にある国立江戸総合病院心霊病棟集中治療室の天井には、万華鏡のよう変幻自在に移ろう銀河の天文図が描かれている。そして、床には大きな円の中に五芒星の魔法陣が描かれ、その中心に配置されたベッドの上で意識不明の少女が横たわる。
護神庁心霊医療部が編成した特別医療チームは、ソウリョ系国家霊道士や回復型魔道士が集結し、24時間体制で
患者の様子が臨める窓ガラスを挟んだ待合室のベンチで、兄の
三日前、東京都北区赤羽で起きた霊災事件にて妹は負傷した。
病院に担ぎ込まれた彼女の容姿は
己の無力感を嘆きながら、涙が枯れて真っ赤な目を瞑りながら、著名な祈禱師から頂いた破魔矢を握りしめて祈りを捧げ続ける。
そんな兄のそばで主の容態を見守る女執事、
二人の脳裏には、幼少期の愛らしくておてんばな少女が微笑んでいる。
勇月が締め付けられる気持ちに耐えられず、犬養に思い出を語り始めた。
「寧々、覚えているか? 10年前のクリスマスパーティーで、何を思ったか、愛月が巨大ケーキに顔面を突っ込んで食べ始めたことを。ばあ様がご存命のときだ」
涙をこぼし、鼻水をすすりながら、女執事は思い出す。
「ああ、ありましたね!」と微笑んだ。
「ばあ様が驚きすぎて入れ歯を飛ばして、ケーキにはまって、みんな大笑いした」
「愛月様らしい、今では愉快な思い出です。クリスマスのために新調したドレスがクリームだらけになって、
「そうだった。母さんは止めなかった僕を怒ったんだ。なんて理不尽な母親なんだって、逆ギレしたな。だめだ、思い出すと笑いが止まらない」
今は亡き母と父との思い出は彼の心を穏やかにしつつも、忘れていた哀しみに浸らせる。乾ききった川底から水があふれ出す。その水はひどく冷たい。
再び両手を結んで祈りを捧げる。
「龍神様、頼む……愛月を助けてくれ」
祈る兄が喜怒哀楽の思い出を辿りながら、妹との絆と生きる尊さを再確認していると、幼い頃から二人を知る兄妹が見舞いに訪れた。
「聞いたぞ、シスコン王子。風呂も入らず、メシも食わず、ずっと泣いているって」
「勇月さん、私たちが代わるので仮眠を取ってきてください」
「ラブ助……それに千尋さん……」
現れたのは彼の幼馴染でソウルメイトの近藤愛之助で、現在は霊道学院京都校に在籍する妹の千尋だ。本来は面会謝絶だが、憔悴する勇月を心配した祖父が彼らを呼んだのだ。
「ありがとう。愛月のために……」と、勇月と犬養は感謝の気持ちを伝える。
近藤兄妹はガラス越しから患者の様子をまじまじと見つめる。包帯で隠れているとはいえ、陥没した親友の顔を見た千尋は絶句して涙を床に落とす。
「病態はどうなんです?」愛之助の問いに、女執事が答える。
「命は別条ありません。ただ、金鎧の獅子との戦闘で受けた霊体へのダメージからか、いまだ意識不明の重体です」
涙をハンカチで拭く千尋が尋ねる。「目は? 再生医療で治りますか?」
「医師からは取り除いた眼球の生体組織を用いて、細胞培養で再生可能だと聞いております。あと、幸いにも、顔面の傷は魔力で十分に修復可能だと」
「そうなんだ、よかった……」
ホッと胸を撫でおろす千尋だが、愛之助は苦々しい表情だ。
「問題は記憶のほうか……脳の損傷は?」
勇月は奥歯を噛み締めた。「緊急手術は無事に成功したんだが、霊害症状などは目覚めないとわからない……」
それを聞いたカウボーイは帽子を脱ぎ、頭を下げた。
「……ごめん、勇月。俺が守る赤羽で大事な妹をこんな目に遭わせて」
「謝るな。お前らしくない」
「だけど、もしも千尋が同じ目に遭ったら」
「謝るなって!」
勇月が不本意ながら声を荒げてしまった。女執事が罪悪感を抱き、タキシードジャケットの中、背中に隠し持つ短刀を抜いて跪く。
「勇月様、今回の失態は全て、桜ノ宮家に仕える犬養家、愛月様から離れた私自身の責任であり、近藤様の責任ではありません。桜ノ宮の姫様にして日本朝廷の継承候補者を負傷させたその罪、万死に値すると自覚しておりますゆえ――」
「オレらはサムライじゃない! くだらない真似はするな!」
勇月が犬養の腕を握り、短刀を取り上げる。両拳を床につき、うな垂れた女執事を、千尋が抱きしめた。
「これは寧々さんのせいじゃないですって! 愛月が目覚めて、家族同然の寧々さんが死んだと知ったらどう思いますか? 悲しむに決まっているじゃないですか! 犬養先生だって、寧々さんが死んだら泣くに決まっているじゃないですか!」
愛之助は刮目した。妹の眼が力強かったからだ。京都に引っ越す前とは違う少女がそこにいる。成長した千尋に涙腺が崩壊する。愛之助も勇月に負けず劣らずの妹愛を持つ。本人曰く、シスコンではないらしい。
「――犬養先生とは、
「あ、いえ、なんでもありません」
待合室の声が外に漏れていたようだ。自動ドアが開くと、心霊護衛官の
「勇月、風呂ぐらい入ってこいと言っただろう」
灰色制服からの異臭に鼻をつまんだ清太朗は勇月の祖父だ。
「すみません。愛月のそばにいたくて」
「まったく、無駄な恥をかかせるな」
「なーに、妹思いの兄でえーやないですか」
「あ、あなたは西郷大統領!?」
護神庁長官とは何度も面識があるため、驚きはしない近藤兄妹だが、和服の老人がする八の字に毛先が伸びた髭を見るや否や、直立不動に敬礼した。
頭頂部が薄く、恰幅のある老人の名は
「おお、あんちゃんか。ワシを暗殺するときは遠慮せんと、来てえーからな」
「いえ……絶対に致しませんので」
「えーから、えーから。その銃でこのハゲ頭を撃ってちょ!」
ペンペン、と頭皮をふざけて叩く大統領は日本国民に愛されている。
一方、父親の件がある手前、愛之助は凛々しい眉を下げて背中を丸くする。
「大統領、意地悪な冗談を言わんでください。彼らは父親と違い、我が国を思う素敵な兄妹です。兄は国家カウボーイアイドルかつ心霊保安官として、日本を支えているのですから」
「アイドルとして、国民を元気づけるとは素晴らしいやん! ありがと!」
「あ、ありがとうございます!」
「だが、誰にでも好かれようと思っとるだけやったら、いつでもなんでも妥協するもんやな。何も達成できへんし、笑いにもならん。まぁ、お主もわかるやろ?」
萎縮する幼馴染の代わりに、心霊公安官が長官に尋ねた。
「長官、どうして大統領が愛月のお見舞いに?」
「なに、ランチ会合の合間に孫の顔を見に来ただけだよ」
大統領は意識不明の患者を眺めながら自慢の髭を滑らかに撫でる。
「天守様候補がこんな風になるなんて怖い国やな……しかも、長官のお孫さんときたもんや。そのライオンはどっから脱走したんや? 上野からか?」
「返す言葉がございません、大統領」
「ワシは非霊能者やから、そちらにお任せするしかない。治安と予算を守ってくれれば不満はない。東京大災害以降、国は金欠でしんどいしんどい。しかも、4年後には建国百周年やし、ISCもあるし、優先順位を考えれば、東郷大統領のよう護神庁にたくさんつぎ込むことはできへん」
西郷が人差し指と親指で円を作る。意味は金だ。
日本連邦政府は8年前に起きた東京大災害の復興予算を補うために、6年前と3年前に増税が行われた。しかし、経済評論家は財政状況が依然悪いと指摘している。
日本合衆国は4年後に建国百周年を迎えることとなり、その際には国際スポーツ大会(International Sports Classic)が開催される。
この大会の誘致も復興事業の一環として行われ、1年前に開催が決定した。そのときは日本中が喜んだが、いざ予算規模を知ると、賛否両論が飛び交った。
日本大会の経済効果はおよそ10兆円だ。国内観光業を含めた商業活動への波及効果や、インフラ投資による最新科学技術の促進などが期待され、連日大会関連ニュースが報じられる。なお、今年の8月にISCがガイア共和国で開催される。
「財政状況は百も承知でございますよ、大統領殿」
「未来ある若者の前でする話じゃなかったな、長官殿」
「ISCに誰を派遣するかは、病院を出てから話しましょう」
「せやな。ほな若者衆、ごきげんよう!」
と、長官と大統領は若者たちに手を振って去っていく。
嵐が通り過ぎた疲労感が彼らを襲うも、千尋がガラス越しから語りかける。
「愛月、絶対にガイア大会、見に行こうね!」
記憶の闇をさまよう眠れる森の姫は小さな光を見つけていた。
それは8年前の明かりだった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます