【第2話 4】

「ちょいちょいちょいちょーい、ちょいと待ったっ!」


 その男はハートのバッジが付いたテンガロンハット、名もなきブランドの柄シャツとジーンズ、下り藤の家紋が目立つ大きめな茶色のマントをする角張った顔だ。


「あ、あんたはたしか!?」

 夫はこのカウボーイを見たことがあるが、すぐには思い出せなかった。


「よくぞ聞いてくれました。俺の名は――」

 意気揚々と男は答えようとしたが、包丁を下げた妻が冷たくあしらう。


「赤羽神社の心霊保安官、近藤愛之助さんでしょ?」

「ご存知でしたか。光栄ですね!」

 妻から狼狽した気配が消えていた。夫が再び異変に気づく。


「ただ、口上が言いたいんで、自己紹介をさせてください」

 出鼻をくじかれて、そのカウボーイは恥ずかしそうにお願いした。

「いえ、迷惑です。勝手に家に上がり込んできて、警察呼びますよ?」

 妻はぴしゃりと拒否し、テーブルのスマートフォンを取る。


 近藤は両手のひらを広げて制する。「すみません、警察はご勘弁を! 赤羽署の女刑事が来ちゃうんで。勝手に侵入したのは謝ります。すみません!」


「なら、帰ってくださいよ。今、主人と大事な話をしているんで」

「早苗……様子が変だぞ?」

「別に……普通だけど?」


 妻の口調がやけに冷静だ。平手で頬が赤く腫れているが、平然としている。

 怒りがどこへいったのかと違和感を抱く夫と近藤が目を合わせた。


「外までお二人の声が聞こえて、小学生が怯えていまして、家に突入したんです」

「それはすみません。でも、もう終わりましたから」

「終わった……とは?」

「私たち、離婚します」


 オーバーなリアクションでカウボーイはその発言に待ったをかける。


「いやいやいやいや、離婚しないでくださいよ!」

「これは私たちの問題です。他人は首を突っ込まず、帰ってください」

「誰だよ、お前は!? 早苗じゃねーだろ!」


 夫は妻から何やら邪気を感じ取ったようだ。

 近藤は目を細め、二人に右手中指の、ハート型の指輪を向ける。


「お二人とも、この慈愛の指輪を見てください」

「何を言っているの? 私、ブサイクなアイドルが大嫌いだから」

 と、妻は目線を背けた。


「この四角顔は近藤家の遺伝です。小童じゃあるまいし、そんな攻撃的な言葉を使わないでくださいよ、おばさん」

「はアンッ!?」


 本性を露にした悪霊の言葉に、指輪の魔宝石がピンク色に輝いた。

 夫は眩しがったが、すぐ真顔に戻る。対して、妻はしゃがみ込み、ずっと顔を手で覆っている。指輪の光を浴びせながら、近藤はうずくまる女に語り掛ける。


「奥さん、思い出してください。旦那さんと初めてデートしたときのことを。そして、愛を誓いあった日のことを。子供が生まれ、明るい未来を描き、この赤羽で過ごす幸せな時間を――」


 突然、妻は頭を何度も床に打ち付けた。


「うるさいうるさいうるさいうるさい、うるさアアアアイイイイッッッッ!!!!」


 長い髪を振り乱し、白い歯をむき出し、目玉が飛び出る勢いでそのカウボーイを睨みつけた。どういうわけか、身体がどんどん半透明になっていく。


「ど、どうしたんだよ、早苗……」

「奥さん、悪霊憑依中です。マモノレベル1ってところですね」

「あ、悪霊!? そんな……いつの間に……」

「もう少しで、もう少しでこいつを殺せたのによ……邪魔しやがって、死ねやエラナマズがッ!」


 妻を操る悪霊が包丁を構えて、カウボーイに襲いかかった。

 ひゅるり、と華麗によけた近藤は腰のホルスターから黄金の愛銃を抜く。


「悪霊退散!」バン!

「さ、早苗……キサマアッ!」


 妻を撃った男の胸倉を掴む夫だが、男が銃先で倒れた妻を示す。

「血、血が出ていないでしょ? 霊弾で眠っているだけですよ」

 夫は震える腕で優しく妻を抱きかかえる。スヤスヤと眠っていた。


 夫は妻の赤い頬を優しく撫でた。申し訳なさからか、不甲斐なさからか、涙が零れ落ちる。


「奥さんが撃たれてあなたは怒った。まだ愛がある証拠です。だから、僕を推してください。後悔はさせません。このまま幸せで愛情いっぱいな家庭を築く手助けをします。そう、この国家カウボーイアイドル、ラブヘルパーこと、近藤愛之助がね!」


 きらりん、とピースポーズで渾身のアイドルスマイルだ。

 イケメンとは言い難いルックスなので、夫は何も響いていないようで、目をキョトンとさせる。「すみません……僕はアイドルに興味なくて……」


「大丈夫! だったら、今日から推してください! 夫婦の愛が深まりますよ」

 と、帽子のハート型缶バッジを夫のシャツに付ける。

「愛はどんな問題でも解決できる、お天道様からの魔法……んん!?」


 周囲をキョロキョロと何かを探す近藤は両手を合わせた。

《霊道開眼》

 眼が金色に輝く宝石眼に変化する。彼には家内の霊気が見えている。

 リビングにあるものから邪悪で真っ黒な霊気が漏れている。


「あのウサギちゃんか……」

 

 テレビ台に飾られた、可愛らしい頭巾を被ったウサギのぬいぐるみを見つけた。

 夫の目には子供が好きそうなキャラクターにしか見えないが、近藤の眼にはドス黒い霊気を発する現代社会の汚物にしか見えなかった。


 ホルスターから小さな筒を取り出し、中の霊符を妻とウサギにペタッと貼り付ける。すると、家中の邪悪な霊気が吸い込まれ、悪霊が消えたのか、妻とウサギの表情が柔らかくなる。


「……久しぶり」

「えぇ!?」

 背筋を凍らせた近藤は夫を見る。「あの……何か言いました?」

「い、いえ……何も」

「そうですか……空耳か?」


 悪霊を封じた霊符を筒に納め、念のため清水きよみずスプレーで夫の心霊を慰霊し、赤羽住宅街で起きた悪霊事件は一件落着した。

 ただ、神社へと持ち帰るウサギから微かに聞こえた声が近藤の耳にヘドロのようへばりついたままだが――。


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