【第1話 4】


 綺麗に両脚を揃え、ゆっくりと兄が額を床につけた。

「愛月さま、どうかどうか、国家アイドルになってくださいませぇ!」

「なーらーなーいって!」と、そんな兄をソファーに座りながら見下ろす妹だ。


「何回も何回も何回も何回も言ってるでしょうが!」

「そこをなんとか……愛月さまは伸び伸びした歌声を持ち、身体能力を活かしまくったダンスパフォーマンス、トイプードルに似た愛らしいルックス、セレブなプードルに似た美しいスタイルはスーパーアイドルよりもスター女優になるべきです!」

「だったら、ならなくていいじゃん!」

「だから、いーんじゃん!」

「はあ~?」


 暴走する兄は立ち上がって長官席の向こう、江戸の街並みに向かって吠える。


「いいか、愛月。8年前に起きた『東京大災害』によって、この日本合衆国は大損害を負った。荒川と多摩川が氾濫し、10万人もの都民が亡くなり、国民は心身ともにひどく傷ついた。大規模なソウルハザードも起きた。そんな時、活躍したのは誰だったのか……」


 華麗なる王子ターンで自分を指さす。「そう、イッツミー!」

「いや、天守様でしょ?」

「いーや、天守様ではない」

「問題発言だよ、それ」

「絶望の中でこの日本を救ったのは僕らアイドルだって話さ」


 再び妹の足元で正座する兄だ。


「愛、勇気、希望、自由、平和などなど国民が失いかけた美徳を、官民一体となって全国の老若男女のアイドルたちが伝え続けたからこそ、ガイア共和国の支援もあって、この国の子供たちは明るい未来を描ける。そんな国家アイドルの頂点が、《れいちぇるず》なんだよ。なのに、どうして断るんだよ、我が妹よ!」

「すでにあんたが入っているからでしょうが!」


 兄の勇月はれいちぇるずの現役メンバーだ。

 れいちぇるずとは国家選抜アイドルグループのことで、現役国家アイドルや国家霊道士、霊道学院生がオーディションを経てメンバーに選ばれる。

 

 彼ら彼女は全12名で、これは日本守護隊十二神将をモチーフにしており、その守護神将から分霊した力を、守護の仮面を用いることで発揮できる。


 勇月の守護霊は桜ノ宮家の守護神戌神《いぬがみ》からの分霊で、《黒銀くろがねの人狼》という護神庁長官で祖父と同じ異名を持つ国家霊道士、心霊公安官でもある。階級は中佐だ。

 つまり、国家アイドルである魔道士と国家霊道士の二刀流で、よほどの才能と実力がなければできない。れいちぇるずのメンバーはそれほど特異な存在だ。


「別にいいじゃないか。兄妹仲良く、一緒にれいちぇるずでエンターテインメントを楽しめば」と、兄は説得する。妹は眉間に皺を寄せたままだ。


「イ・ヤ・だ!」

「ホ・ワ・イ?」

 

 不機嫌な妹は立ち上がり、糖分欲しさに祖父が食べる桜餅を奪いに行く。

「兄妹でれいちぇるずなんて恥ずかしい! 兄妹きょうだいセンターでジャケットとか、渋谷の広告にデカデカと載りたくないし! 絶対、他の子のオタクからヘイトが集まるし! 水着とか、絶対にイヤだし!」


 兄が妹に餅をねだる。見事にキャッチする。

「そうか? 渋ビルの広告なんて、目立っていいじゃん」

「よくないわ! ミスターナルシスト、自己愛性人格王子がッ!」

「自己顕示欲は男の生理現象なんだぞ! ミスギャル王女がッ!」

「私、ギャルじゃないし、キャルだし! キャルをバカにすんなし!」


 いがみ合う孫たちを前に、桜餅を奪われて傷心気味の祖父が告げる。


「勇月、どうやら愛月は反抗期だ。我々、男子諸君にはわからない女の子の悩みでもあるんだろう。察してやるのが男の生き様だ」


「なるほど……」と、再び妹の足元で正座をする。

「愛月さま。勝手に応募したことを深く謝罪いたします。ごめんなさい!」

「ここで謝るの、それ!? 人格ちがくない?」


 どうやら火に油を注いだようだ。


「てか、人がお昼寝しているときにさ、なんで勝手に指紋をとって応募しているんですか? それって犯罪じゃないんですか? 自分がおバカな国の王子さまだと自覚していますか?」


「好きだからだよ、愛月のことが」

「妹に告白すんなよ! そもそも、アイドルって恋愛禁止じゃん!」

「家族は違いまーす! いててて……!」


 まるで母犬が悪戯好きな子犬をしかりつけるよう両頬をつねる。

 それでも兄は諦めきれない。国家アイドルにして生粋のアイドル好きでもある。

 それに加え、時にソフトでハードな妹を愛するシスコンでもある。

 妹の愛ある躾を振り払い、思いのたけをぶつけた。


「夢なんだよ。愛月が江戸ドームで、センターで歌って踊っている姿がボクは見たいんだッ!」

「夢で見てろや、バカ兄がッ!」

「夢はかにゃへる、ちゃめにありゅんだよぉ……」

「しかしな、愛月――」


 妹に防戦一方な兄を、勇ましい顔で助けたのが祖父だ。


「知っての通り、元日に殺されたメンバーの後継者は当然ながら死神よりも強くなければならない。戌神が二体となるが、特例処置だ。愛月なら、みな納得するはず」



 今年の1月1日、れいちぇるずのメンバー《亥神いのかみ》が殺された。

 《池袋国家選抜アイドル殺人事件》という。犯人はいまだ逃亡中で、護神庁は国家アイドルや霊道士を殺害する死神の犯行と見ている。


 この衝撃的な事件によって日本合衆国の国民は、とくにれいちぇるずのファンは心霊をひどく傷つけ、日本中で霊魂汚染というソウルハザードが起きた。

 結果、100人を超えるファンが自殺した。



 心霊はその人が誕生から現在までのアイデンティティになるのに対し、霊魂は前世からの記憶が記録されたもので心霊を構成するものと考えられている。

 これを一霊四魂の原則という。


 ソウルハザードは主に心霊が悪霊化したことで、前世の霊魂が顕在化して暴走していく。心霊は霊魂が入る器のようなもので、『人間の器』の語源だ。


 霊魂汚染が起きると、前世から現世までのアイデンティティを拒絶してしまい、その結果、理性で抑えていた野生の本能がむき出しになり、人間であることを放棄する《ケダモノ化現象》が起きる。


 ケダモノ化とは、主に動物や昆虫だったときの霊魂が肉体を乗っ取り、外見がそのものとなり、欲望のままに凶暴化することだ。ケダモノは『霊災認定』として滅霊対象となりえる。滅霊された霊魂は天界に戻れず、そこで完全消滅する。


 現に、元旦の殺人事件が報道された後、日本全国でケダモノ化現象が起こり、日本中の神社に所属する心霊保安官がケダモノと戦った。


 

「――れいちぇるずが担う役割は強さばかりではない。国家選抜アイドルは、他の国家アイドルたちの模範となり、エンターテインメントの中でさまよう彼ら彼女を救う存在でなければならない」

 護神庁長官が味わうよう、湯吞のお茶を飲み干す。


「長官、その通りです。だからこそ、新メンバーは愛月がふさわしいと思い、応募したんです」

「勝手に応募すんな」

「お前たちの母親、望月はそういうアイドルだった。懐かしいよ」


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