エルちゃんのぬいぐるみ1
「しっ、のっ、みっ、やっ、さん!」
「なに、御子柴さん」
「そろそろ観念して、ミーコって呼んでくれない?」
「呼ばない」
「え〜」
にこにこ。
椅子の背もたれを抱くようにして、御子柴さんが微笑む。
ドッペルゲンガー事件が終わって以降、御子柴さんのアプローチが、はげしくなっているような……。
「仲良くなりたいなあ」オーラが全身から出ていて、なんというか──犬? うん。尻尾を振っている大型犬みたいな感じだ。
どう対応すればいいのか、よく分からない。
人間の友だちはいらない。水凪を裏切って見捨てたわたしに、だれかの友だちになる資格はない。その気持ちは変わらないけど。
でも、ナイフ男に刺されそうになったところを、御子柴さんに助けてもらったことも事実だ。
「じゃあ逆に、あたしがあだ名で呼ぶよ! 四ノ宮さんて、小学校時代はなんて呼ばれてたの?」
「四ノ宮さん」
「え〜」
「……友だちからは、ふつうに、下の名前で、とか」
「ああ。きれいな名前だもんねぇ。それじゃあ、しおんちゃん、って呼んでもいい?」
しおんちゃん。
その呼び方は──水凪と同じ。
「やめてっ!」
「えっ?」
びっくりした御子柴さんの顔。近くにいたクラスメイトが、何人かこちらを見ている。
「あ……ご、ごめん」
「ううん。あたしも、ぐいぐい行き過ぎちゃった。ごめんね」
こほん、と御子柴さんがセキばらいをした。
「……あ、ねえ。四ノ宮さんって、土日とか何してる? ちなみにあたしは、公園でバスケの練習したり、お姉ちゃんの漫画読んだりしてるよ」
「……わたしは、その。小説、書いたり、とか」
書き始めたのは、今年の四月からだけど。思い返せば、ついこの間みたいだ。
御子柴さんが、おおきな目をいっぱいに見開いた。
「小説⁉︎ すごいね!」
「す、すごくないよ」
スマホのメモ帳に書き溜めているわたしの小説は、まだまだ下手くそだし、本当はノンフィクションなのだ。
書いているのは、中学生になって体験した、不思議な出来事について。七不思議や、新図書室の地縛霊、そしてドッペルゲンガー騒動のこと……。
「今度、あたしにも読ませてほしいな」
ダメ? とたずねてくる御子柴さんは、チワワみたいな目をしていた。
「(うるうる)」
「……そのうちね」
ああ。本当は、「ダメ」って答えるつもりだったのに。
「やった、約束だからね!」
御子柴さんが、細い小指を立てた。とまどいながら、わたしは小指をからめる。
そのとき、教室の引き戸が、がらりと開いた。
「四ノ宮って子、いる?」
名前を呼ばれて振り向くと、そこには、日に焼けたベリーショートの女の子が立っていた。
「くおんちゃんだ」
と、御子柴さんがいった。知り合いかな?
「くおんちゃん。四ノ宮さんは、この子だよ」
「よす、ミーコ」
片手を上げて、物おじせず教室に入ってくる。
背が高くて、日に焼けていて、いかにもスポーツマンって感じの女の子だ。
「あんたが、葛西小の霊感少女?」
なんだいきなり。
「……まあ、そうですけど」
「アタシは久遠寺奏。同じ一年だから、敬語じゃなくていいよ。よろしく」
ニカッと笑うと、白い歯が見えた。
たぶんだけど、後輩にキャーキャー言われるタイプの人だ。わたしは苦手。
「くおんは、陸上部のホープなんだよ。あたしと同小」
御子柴さんが、「ねっ」と久遠寺さんに笑いかける。
「で、くおんが四ノ宮さんに何のよう?」
「なんでミーコが仕切るんだよ」
「四ノ宮さんへの相談は、このあたし、御子柴花奈を通してもらわないと」
「マネージャーかっての。えと、実は、ウワサの霊感少女にちょっと相談があってさ」
いやな予感がした。
御子柴さんが首をかしげる。
「相談って?」
「──あのさ。金縛りって、知ってる?」
ほら、やっぱり。
※※※
陸上クラブの後輩から聞いた話なんだけどな。
そう、小学生の。
あ、その子は女の子な。みんな、あだ名でエル、って呼んでる。ちょっと怖がりだけど、かわいい子だよ。
その子、ぬいぐるみ集めるのが趣味でさ。
ベッドの上とか、ぎっしりぬいぐるみが並んでるんだって。アタシにはちょっと分かんないんだけど。ミーコはどう思う?
まあ、そうだね。あたしも、かわいいなー、とは思うよ。
でもさ、なんかちょっと、夜中に人形とかぬいぐるみを見つけちゃうとさ。
ぎょっとする。
目が合う、っていうかさ。あの感覚、苦手なんだよね。
毎年、夏休みにお父さんの実家に泊まりにいくんだけど、そこのお座敷に、ガラスケースに入った人形が飾られてんの。
夜中にトイレ行くときとか、その前を通らないといけなくて。それがすげー不気味で。
ごめん、話がそれた。エルの話をしないと。
言ったとおり──エルの部屋には、たくさんぬいぐるみとか人形があるんだ。
で、そのぬいぐるみのうちのひとつがさ。
動くんだって。
夜、寝ているうちに。
違う違う。そんな、漫画みたいに動き回るわけじゃない。ただ──
夜中に、パッで目が覚めると。
そのぬいぐるみが、お腹の上に乗ってるんだとよ。
しかもね。ぬいぐるみなんて、たいして重くないはずなのに。
まるで、誰かにのしかかられているみたいに重くて重くて──
疲れて眠っちゃうまで、指一本、動かせないんだと。
そのぬいぐるみ、捨てないのかって?
迷ってるみたいだよ。でも。
思い出があるから、捨てられないんだってさ。
※※※
「って、話」
語り終えた久遠寺さんは、ふうと息をはいた。
「どう思う?」
「どうって、聞かれても……」
「作り話だと思う?」
わからない。わたしは、その「エル」という後輩のことを知らないのだから。
「あの子、親にも相談できてないみたいでさ。みるからに寝不足だったし、心配なんだ。できれば、一回会って、相談にのってあげてほしい」
かなしばりの相談、か。
「そういう話なら……」
わたしは、しかめっ面の先輩の顔を思い浮かべた。
「専門家に頼んだほうが」
「専門家って?」
「二年生に叶先輩ってひとがいて」
「あっ、あたし知ってる! あの顔が怖い先輩でしょ」
久遠寺さんはひどく微妙な顔をした。
「思い出した。あの先輩か……。あのひとも『視える』って有名だけど、なにせ顔が怖いからなあ。エルが見たら、それだけで泣いちゃうかもしれん」
ひどい言われようだ。たしかに先輩の顔は怖いけど。
「それに、先輩で、男子だし。さすがにムリ!」
「うーん、まあ、それはたしかに……」
エルちゃんとやらもイヤだろう。
「あのさ、四ノ宮」
久遠寺さんが、真剣な目でわたしに言った。
「エル、いい子なんだよ。色々大変だけど、クラブも勉強もがんばってるんだ」
「……そうなんだ」
「だから、力になってあげたい。こんなの、四ノ宮にはぜんぜん関係ない話だって、わかってるけど。でも、頼むよ〜! このとおり!」
久遠寺さんが、ぱちんと両手を合わせた。
放課後。わたしと久遠寺さんと御子柴さんの三人は、近くの公園へ向かった。
「エルちゃん」との待ち合わせのためだ。
公園に入ってすぐ、久遠寺さんのところへ女の子が駆け寄ってきた。
髪を両側でむすんだ、かわいらしい女の子だ。この子が「エルちゃん」だろう。
「くおんせんぱぁーい!」
「よす、エル」
久遠寺さんが、エルちゃんをだきとめる。
「例の件、助っ人つれてきたよ」
「わあっ、ありがとうございます!」
彼女はわたしと御子柴さんのほうを向いて、「鈴原ですっ。エルってよんでください!」とあいさつした。
たしかに、久遠寺さんのいうとおり、元気でかわいい子だ。
御子柴さんが、キラッキラのコミュ強スマイルを浮かべた。
「よろしくね、エルちゃん。あたしのことは、ミーコって呼んでね。で、こっちが四ノ宮さん。我が校いちの霊感少女だよ」
その呼び方はやめてほしい。
「四ノ宮です。よろしく」
わたしがあいさつをすると、エルちゃんは久遠寺さんの背後に隠れた。御子柴さんのときと、リアクションが違いすぎる……。
気をとりなおして。
「とりあえず、お話、聞かせてくれるかな」
わたしの言葉に、エルちゃんが、小さくうなずいた。
エルちゃんから話を聞いてわかったこと。
ひとつ。お腹にのってくるぬいぐるみは、いつも同じ。
ふたつ。かなしばりが始まったのは、一ヶ月前。
みっつ。両親には、まだ相談できていない。
「とりあえず、相談はしたほうがいいと思うけど……」
わたしがそう言うと、エルちゃんはうつむいてしまった。
「お父さんは仕事で別の県にいるの」
「じゃあ、お母さんには?」
「……たぶん、こんな話は聞きたくないと思うから……」
……幽霊とか、オカルトっぽい話を極端にイヤがるひとはいる。わたしのお父さんも、そういうひとだ。
無理じいは、できないよね。
「どう? 四ノ宮さん、なにかわかった?」
御子柴さんが、わたしに問いかけた。
──正直、ぜんぜんわからない。
エルちゃんは、たしかに疲れているようだけど、幽霊の姿は見えないし。
わたしには、万智のような推理はできない。
「……ごめん。話を聞いただけじゃ、わからない……」
エルちゃんが、不安そうな顔になる。
「せめて、かなしばりに合ってるところが見れたらいいんだけど……」
「じゃあ、みんなでお泊まり会しようよ!」
御子柴さんが、ばっと立ち上がった。
お泊まり会?
「今週の金曜日に。ねえ、どうかな?」
「なるほどぉ。たしか、エルのうちって一戸建てだよな。おばさん、許してくれそう?」
「えっ、くおんせんぱいが泊まりにくるの⁉︎ うん、大丈夫だと思う!」
「え、ちよっ、」
どんどん話がすすんでいく。
「あ」
はっとしたように、御子柴さんが口を押さえた。
「ご、ごめんね、四ノ宮さん。ヤだった?
あたし、こういうときドンドン突っ走っちゃうから」
それは知ってるけども。
「四ノ宮せんぱい……」
ふと、エルちゃんと目が合った。
彼女の目のしたには、茶色のクマができていた。夜、ちゃんと眠れていない証拠だ。よく見れば、わたしを見つめる顔には、不安や疲れがにじんでいる。
元気そうにみえても、つらいんだろうな……。
あの夏のわたしや水凪と同じ、五年生の女の子。
「──一日だけ、考えさせて」
わたしは悩んだ末、そう答えた。
翌日の放課後。
「反対」
万智は、きっぱりと言い切った。本だなの最上段に腰かけたまま、手にした文庫本をぱたんと閉じる。
「不用意に、ひとに害をなす霊に近づくべきじゃないわ」
「え? でも、図書館の地縛霊とか、ドッペルゲンガーのときはなにも言わなかったよね?」
「それとこれとは、わけが違うの」
「……どういうこと?」
「この学校の周囲は、私のテリトリーよ。だから、危険な本当に霊がいればわかるし、守ってあげられる。でも──外は別」
万智が、真剣な目をした。
「憑いていくことはできる。けれど、相手が本当に力の強い悪霊だったら、守りきれないかもしれない」
「でも……」
もしそうなら、久遠寺さんの後輩があぶないってことだ。
見ていないふりをして、いいんだろうか。
「しおん。悪意を持った霊は、本当におそろしいものよ。あなただって、それはわかっているはずでしょう?」
「…………それは」
わたしは、水凪の両足をうばった霊のことを思い出した。
口にナタをくわえ、爪のない両手で階段を這い上がってきた悪霊の姿は、思い出すだけでおそろしい。
もし、あんな霊が出てきたら……。
「その小学生には、わるいけど。わたしは、見ず知らずの相手より、しおんのほうが大切だもの。だから──反対だわ」
「万智……」
たしかに、万智のいうとおりだ。悪意を持った霊は、本当におそろしい。関わらないのがいちばんだ。
そうすれば、少なくとも、わたしは助かる。
──でも。
本当に、それでいいのだろうか。
今、ここで、なにもしないなら。
わたしがこんな目をしているのは。幽霊が見えるのは、いったい何のためだろう。
幽霊が見えるから、御子柴さんにかけられた、七不思議の呪いを解くことができた。
もしも今、エルちゃんが苦しんでいるなら、同じように、助けてあげたい。
もしかしたら、ナイフ男のときみたいに、ふるえて何もできないかもしれない。
水凪のときのように、こわくて逃げ出してしまうかもしれない。
それでも。
今度こそ、あの日つかめなかった手を、つかみたい。
つかめるような、わたしになりたい。
「……ねえ、万智。おねがい」
「…………。」
万智は、なにも言わない。腕を組んで、横を向いたままだ。
しばらく待ってみたけれど、返事はなかった。
だったらもう、しかたがない。
「わかった」
「……しおん?」
「わたしひとりで行く。ついてきてなんて、頼まないから」
背中を向けて、一歩だけ歩いて、振り返る。
息を吸う。
「万智の、ばかーーーっ!」
そう言い捨てて、わたしは、逃げるように旧図書室を飛び出した。
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