梅雨どきのドッペルゲンガー2
『わからない』
という短いメッセージが叶先輩から返ってきたのが、その日の夜のこと。
わたしはものすごくドキドキ(というかブルブル)しながら、先輩にメッセージを送信した。二瓶くんが見たという、御子柴さんのドッペルゲンガーについて。
その返事がこれだ。がっくりしすぎて、力が抜けてしまう。
『そもそも、それは幽霊なのか?』
ドッペルゲンガーは幽霊か。
そう聞かれると──どうなんだろう。お化け、怪異、心霊現象。そういうもののようだとは思うけど。
あるいは、「日本むかしばなし」みたいに、狐が御子柴さんに化けてるとか……? でも、それを言ったら、めちゃくちゃばかにされそうだ。
いちおう、聞いてみる?
『もしかしたら、キツネが化けたのかもしれません』
『キツネは化けない』
きっぱりと否定されてしまった。一刀両断、という感じ。
『河童だの、鬼だの、化ける狐だのは、ぜんぶ嘘っぱちだ』
『でも、幽霊はいますよね』
『幽霊はいる。妖怪はいない』
続けてもうひとつ。
『幽霊と妖怪をいっしょにするな』
いっしょにするな、と言われましても。どっちもお化けじゃないですか。まあ確かに、わたしも化け狐や雪女を見たことはないけど……。
スマホを放り投げて、ベッドに仰向けにたおれ込んだ。
ドッペルゲンガーの正体は幽霊? それとも、妖怪? あるいはやっぱり、二瓶くんの見間違いだろうか……。
正直、その可能性がいちばんありそうだけど。
もし見間違いなら、わたしがアレコレ調べる必要なんてない、のかな。
結局その日、わたしはそのまま布団をかぶって眠ってしまった。
けれど、それから三日後。
紫陽花が咲いた雨の日に、ふたたび、御子柴さんのドッペルゲンガーがあらわれたのだ。
今度の目撃者は──御子柴さん本人。
万智は、『自分のドッペルゲンガーを見た人は、遠からず死んでしまう』と言った。
叶先輩は、『ドッペルゲンガーなんて存在しない』と言った。
さて、真実はどこに?
†
朝のホームルームが始まる前のことだ。
思い詰めた様子の御子柴さんが、わたしの席にやってきた。
いつもハキハキ&キラキラしている彼女だけど、なんだか妙に元気がない。
「あのね、四ノ宮さん。この前、二瓶くんが言ってたこと、覚えてる?」
「校門前で、御子柴さんを見たって話?」
「うん……」
いつもの「ミーコでいいよ」攻撃もない。心なしか、顔色もわるいような気がする。
「なにか、あったの?」
「えっと、ね。昨日の放課後なんだけど。あたし、見ちゃったかも……」
「なにを?」
「ドッペルゲンガー」
どきりとした。
「ドッペルゲンガーって、自分の同じ顔をした人のこと──だよね」
「うん。四ノ宮さん、やっぱり知ってるんだ」
う。まさか、こっそり万智や叶先輩に相談していたとはいえない……。
そもそもわたしと万智のことは、秘密なわけだし。
「それでね。放課後、帰り道で──あの、親水公園の前に、四つ辻があるでしょ」
「うん」
「そこに立ってたの。あたしが」
ぞくりと、背すじがふるえた。
親水公園前の四つ辻は、薮がしげっていて、大きな木の枝が伸びている、昼間でもうす暗い場所だ。
そんな場所で向き合う、二人の御子柴さんの姿を想像してしまった。
「……立ってたって、どんなふうに?」
「二瓶くんが言ってたのと、同じ。こう、腕を上げて──」
親水公園の方角を、指差していたのだという。
「その。なにかの勘違いとか……」
「違うよ。あれは絶対、あたしだった」
御子柴さんは、さらさらの前髪を留めている、白い花の髪飾りに触れた。
「だって、あたしと同じヘアピンをつけてたもん。これ、お母さんの手作りなのに」
御子柴さんの顔は、真っ青だった。このおびえかたは、見間違いとか、作り話じゃない。
御子柴さんは、本当にドッペルゲンガーを見たんだ……。
「それで、どうしたの?」
「指さしてるのとは逆の道に曲がって、走って帰ったよ〜。でも、すっっっごく怖かったから……」
御子柴さんが、わたしに顔を近づけて、小声でささやいた。
「家に着いたから、ネットで調べたんだ。もう一人の自分にあったら、どうなるかって」
ああ、それで……。
「ネットの記事に書いてあったの。自分のドッペルゲンガーを見たら、死んじゃうんだって」
「それは──」
ウソだよ、とは言えなかった。だって、ドッペルゲンガーの正体は、まだわからないから。
幽霊なのか、それともまったく別のモノなのか……。
「四ノ宮さん。あたし、ホントに死んじゃうのかな」
御子柴さんの大きな両目には、今にもあふれてしまいそうなくらい、たくさんの涙がうかんでいた。
放課後、わたしは一直線に旧図書室へ飛び込んだ。
「万智!」
「なあに、しおん」
「ドッペルゲンガー! また出た、って」
「ふうん。それで?」
「それで、って。このままじゃ、御子柴さんが死んじゃうかもしれないんだよ」
「だから?」
「だから、って」
わたしは言葉を失う。万智は、平然と言った。
「私は幽霊よ。幽霊の友人が増える分には、歓迎するわ。女の子なら、特にね」
「……万智?」
「しおんこそ、どうなの。その子を助けたいって、本気で思ってる?」
「それは、だって……」
「別に、友だちじゃないんでしょう?」
「それは、そう、だけど」
でも。
耳の奥で、いつかの聞いた声がよみがえる。わたしの、友だちだった女の子の声が。
──待ってよ、しおんちゃん。
──おねがい、タスケテ……。
あんな思いは、二度としたくない。
万智が、くすりと微笑んだ。
「ごめんなさい。冗談よ。それで、ドッペルゲンガーだったわね」
ハッとした。そうだ。今は、昔のことを思い出してる場合じゃない。
「そうだよ。ねえ、どうしよう」
「でも叶くんは、『そんな怪異はない』って言い切ったんでしょう?」
「だけど、実際に御子柴さんが見てるんだよ。ぜったい、間違いないって」
「ふむ」
万智が、長い髪の先を人差し指に巻き付ける。考えごとをするときの、彼女のクセだ。
黒くて長い髪の先が、かすかに蛍光灯の光に透けている。
「……自分とそっくり同じ姿をした幽霊、か……」
びくん、と万智の動きが止まった。
「ねえ、しおん」
「な、なに?」
「御子柴さんの下の名前、前に絵の具に書いてあったけど、『ハナ』だったわよね」
さすが、よく覚えてる。
「漢字でどう書くの?」
「えっと、お花の花に、奈良県の奈……だったと思う」
「やっぱり」
──やっぱり?
「姉の名前が茉奈で、御子柴さんの名前が花奈。つまり、ひとつ足りないのは──……なるほどね、そういうことか」
万智が、パチンと指を鳴らした。
「しおん。あなた、スマホ持ってるわよね。今から言う花の名前を、画像検索してみて」
万智は、わたしでも名前を知っている花の名前をあげた。
言われたとおり検索すると、スマホの画面に、いくつも白い花の写真がならぶ。
名前は知っていたけど、こうして調べてみるのは初めてだ。イメージどおり、可愛らしい白い花だった。
あれ? でもこの花、どこかで見たことがあるような……。
「御子柴さんがいつも付けている髪飾りの花って、こんな形をしているんじゃない?」
「え? えっと……あ、うん! 多分、この花だと思う」
そっか。どおりで、見覚えがあるわけだ。
でも、どうして万智は、この花の名前がわかったんだろう……?
理由をたずねようと思って顔を上げると、万智は、とても真剣な顔をしていた。
「やっぱりね。だとしたら、彼女、危険かもしれない」
「だから、ずっとそう言ってるじゃん。ドッペルゲンガーが、」
「違う。そっちじゃないわ」
真剣な顔をした万智が、ふわりと地面に足をつけた。
「しおん。今日は水曜日だから、部活動はお休みよね?」
「え? う、うん。そうだけど」
水曜日は、どの部活動もお休みする決まりだ。
「すぐ警察に電話して。それから、私たちも行きましょう」
「警察⁉︎ それに、行くってどこに?」
「そうね。多分──四つ辻だわ」
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