新図書室の地縛霊1

 ──あー、やっと終わった。プールあると疲れるー。

 ──数学のヤマセン、どうしたんだろ。

 ──夏風邪だって。鬼のカクランってやつ?

 ──部活いこーぜ。

 ──ねー、ちょっと聞いてよ……。

 チャイムと同時に、教室がざわめき始める。

 部活に所属せず、友だちもいないわたしは、ひっそりと教室を出た。むかう先は、いつもと同じ。たったひとりの友だちが住む、旧図書室だ。

 二階へ続く階段をのぼって、角を曲がって──

「おい」

「わあっ」

 と思ったら、廊下で突然、スクールバッグの肩ヒモをつかまれた。

 な、なにごと⁉︎

 びっくりし過ぎて、心臓がバクバクと鳴っている。

 だって──強引にわたしを引き留めたのは、知らない男の子だったからだ。

 男の子が、低い声で言った。

「お前、つかれてるぞ」

 無愛想なひとだった。あちこちに跳ねたくせのある髪と、鋭い目つき。眉間にシワが寄っていて、ちょっと、いや、かなり怖い。

「え、あ、え?」

 わたし、混乱中。

「…………。」

 彼は、じーっとわたしの顔を見つめた後、ふいっと背中を向けて立ち去った。

 な、なんだったんだ……。

(──あれ?)

 そのとき。

 男の子の、制服のズボンに突っ込んだ手首で、なにかが光った。なんだろう。きれいな石、みたいな。

 まさか、腕輪? いやいや、さすがに校則違反だよね。

 ……まあ、どうでもいいか。

 つかれてるぞ、って。そりゃ、疲れもするよ。

 今日は二回も抜き打ちテストがあったうえに、体育の授業はプールだったんだから。

 はやく旧図書室にいかないと。


「プールは楽しかった?」

 旧図書室に入ったとたん、万智が言った。

 どうしてわかったの? とは言わない。

 なにしろ今日のわたしは、スクールバッグとは別に、水着やタオルが入ったプールバッグをかかえている。

 万智じゃなくても、わたしがプールに入ったことは一目瞭然だ。

 でも──

「ただ、六時間目の数学が自習になったからといって、居眠りするのは感心しないわね」

「えっ、なんで⁉︎」

 どうしてバレたの?

 万智は、「ふふん」と言いたげな顔で、くるりと空中で宙返りした。

「右のほっぺたに、コの字型の赤いアトがついてるわ。ついさっきまで、居眠りをしていた証拠ね」

 わたしはあわてて、右のほほにふれた。本当だ。アトになってる。これは、さすがに、ちょっと恥ずかしい……。

「……じゃあ、科目が数学で、しかも自習になったっていうのは、どうしてわかったの?」

「どうしてだと思う?」

「…………。」

 万智のいじわる……。

 うらみがましい目でにらみつけると、万智がくすりと笑った。

「ほほのアトはコの字。ノートや教科書のうえに寝ても、そんな形のアトはつかない。コの字型のアトがつくものはなにか──そう、長方形の定規ね。つまりしおんは、定規のうえに顔をのせて居眠りしていたということ」

「……はい。それで?」

「筆箱から定規を出すのは、どんなとき? もちろんそう、数学の図形問題を解くときよね」

 ……なるほど。

 うん、たしかに。

「でも、数学担当の山科先生は、人呼んで『鬼の山科』。彼の授業をサボって居眠りするほど、しおんが命知らずだとは思えないわ」

「な、なるほど」

「よって、今日の数学は自習だった。練習問題を解こうとして、眠ってしまったのね。プールのあとは、どうしたって眠くなるもの」

「……はいはい。ぜんぶぜーんぶ、万智のいうとおりだよ」

 万智が言い当てたとおり、六時間目は数学で、山科先生が急病のため自習だった。

 わたしは、配られたプリントに書いてあった、円の中におうぎ形を作る問題を解こうとして、定規を取り出した。

 でも、プールで疲れていたこともあり、だんだん意識が遠くなっていって──

 気がつけば、終業のチャイムが鳴っていた。

「もし眠り足りないのなら、ここなら居眠りし放題よ。ねぼすけさん」

 万智が、ぱさりと長い髪をはらった。

 幽霊だけど、万智はとても美人だ。

 この学校のだれよりもきれいで賢い、わたしだけの友だち。

 葛西中七不思議のひとつ、「開かずの旧図書室に住む幽霊」の正体こそ、彼女だ。

 その万智が、ふわりと空中に浮き上がって、手にした本を開いた。

 まったく、お行儀がよくない。空を飛びながら本を読むなと、お母さんに言われなかったのだろうか──なんてね。

 空を飛べる娘を持つお母さんは、そうそういないだろう。

 それにしても、あの文庫本はどこから持ってきたのか。

「その本、どうしたの? ここ、本なんて一冊もないよね」

「昨日、資源ゴミの日だったでしょう? だから、近場のゴミ捨て場から読めそうな本を回収してきたの」

 本棚の影をのぞくと、大量の本が散らばっていた。

 文庫本にハードカバー、漫画雑誌にレシピ本まである。

「これだけ電子書籍が普及しても、あるところにはあるものね」

「……勝手に資源ゴミを回収するのって、ダメなんじゃなかった?」

 そういうルールがあったはずだ。『ゴミを持ち去らないでください』ってやつ。

「私だって、ちゃんとルールは守っていたわよ。生きてたときはね」

「せめて、誰にも見られないようにしてよ」

「夜中に回収したから平気。たぶんね」

 どうだか。『夜中、空を飛ぶ本を見た』なんて怪談が生まれていたら、きっと万智のせいだ。

「で、何読んでるの? 面白い?」

「そこそこね。ただ、上下巻のミステリ小説で、上巻しかないのが残念」

「それ、最悪じゃない?」

 わたしは目を細めて、本の背表紙に書かれた文字を読み取った。『ハチドリ殺人事件 上巻(問題編)』。

 ハチドリってなに。鳥? 鳥が人を殺すのかな。なにそれホラー?

「下巻、借りてきてあげようか」

「いいの?」

「あたらしいほうの図書室にあれば、だけど」

「助かるわ」

 そういうわけで、わたしは図書室に向かった。わたしだって、本はキライじゃない。おもしろかったなら、貸してもらおう。


 普通のほうの図書室は、三階にある。旧図書室よりもずっと広いし、清潔だ。

 さて、万智のリクエストは「ハチドリ殺人事件」だったか。

 わたしはついでに、自分で借りていた本を返却することにした。

 カウンターで返却の届出をして、自分で元々あった場所にしまう。

 さて、「ミステリ・ホラー」の本だなは──と。

 お目当ての本だなは、一番窓ぎわだった。日当たりのいいそこには、たて長の机が並べられていて、読書ができるようになっている。

 そこに、さっき会った男のひとがいた。

 というか、二年生の教室がある二階ですれ違ったということは、もしかして先輩なのかも。

 目つきのわるい先輩(?)は、「ギロリ」としか言えない目つきでわたしをにらんでいる。

 いや、怖いんですけど……。

 どうしたものか。

 よし。ここは足音を立てず、本だなのほうを向きながらカニ歩きで──

「おい」

 聞こえない聞こえない。

「おい、そこのあんた。おい、ってば」

「……はい」

 しかたなく、わたしは先輩(?)に向き直った。

「なんでしょうか」

「そのままだと、ぶつかるぞ」

 ふと隣を見ると、すぐ隣に女の子が立っていた。

「わあっ、ごめんなさい」

 びっくりしたわたしは、ぴたっと足を止めた。

 それを見ていた先輩(?)が、眉間にシワをよせる。

「おい、あんた。やっぱり、見えてるんだろ」

「み、見えてる?」

「幽霊だよ」

 ばくんと心臓が跳ねた。

「えっ、と。な、なんの話だか……」

「ごまかさなくていい。一年に『視えるやつ』がいるってウワサを聞いて、ずっと探してたんだ。で、今ので確信した」

 わたしのことを「一年」って呼ぶってことは、このひと、やっぱり先輩だ。

 先輩(確定)が、けわしい顔で言った。

「いいか、よく見てみろ」

 先輩が視線を向けたのは、さっき、わたしがぶつかりそうになった女の子だ。

 肩のあたりで切り揃えたおかっぱ頭に、白い長袖のシャツ。学校指定のプリーツスカートに、ピンクのラインが入った靴下。上履き。

 一見、ふつうの女の子だけど──おかしい。

 さっきから、ぴくりとも動かない。わたしたちが近くで会話していても、まるで聞こえてないみたい。

 この子、まさか。

「──幽霊?」

「ああ」

 ということは。

「……もしかして、先輩も『視える』んですか……?」

「昔から、そういう家系でね」

 先輩が、わしゃわしゃと髪をかく。

 そのとき、さっき手首のあたりで光っていたものの正体が見えた。

 数珠だ。本当は、お葬式とかで使うもの。

 さっきは、あの数珠の玉が、光って見えたんだ……。

 幽霊を視てしまうひとは、実はけっこういる。

 てもそれは、だいたいの場合、幽霊のほうがひとを驚かせようとしたり、悪いことをしようとするときであって。

 ただ立っているだけの霊が視えるひとは、初めて見た……。

「俺は二年の叶だ。叶清人。あんたは?」

「えっと……一年の四ノ宮です。四ノ宮しおん」

「じゃあ四ノ宮。もう一度言うけど、お前、憑かれてるぞ」

「つ、つかれてる?」

「取り憑かれてる。バチバチに幽霊の気配がする。心当たり、あるんじゃないか?」

 わたしに取り憑いている幽霊。

 心当たりなら、もちろん、ある。万智だ。正確には、取り憑いているわけじゃないんだけど……。

 叶先輩が、怖い目をしたまま言った。

「やっぱり、あるみたいだな。お祓いしてやろうか?」

「えっ?」

「だから。あんたに取り憑いてる霊、祓ってやろうかって言ったんだ」

 祓う、って。

「……そんなことできるんですか⁉」

「除霊グッズならいろいろあるぞ」

 叶先輩は、スクールバッグに手を突っ込んで、奇妙なものをいくつも取り出した。

 お経の書かれた紙、漫画に出てくる護符みたいなもの、数珠が三本、ビン入りの食塩、いい匂いがする木のカケラ、ミネラルウォーター。

 食塩とミネラルウォーターは食べ物では……?

「幽霊は塩を嫌う。清めの塩ってやつだな。きれいな水も同じ。数珠や護符は、まあ、言うまでもないな」

「……効くんですか?」

「半々、ってとこだ」

 除霊グッズ(?)を片付けながら、叶先輩が言った。

「昔から、幽霊が視える体質でね。親父が心配して、いろいろ渡してくるんだよ」

 手首の数珠は、そういうことか。

 塩とか護符が、万智に効くかはわからないけど……。

 万智が、お祓いされてしまうのは困る。

「い、いらないです。間に合ってますから!」

 叶先輩が、「ギロッ」と擬音がしそうな目でわたしを見た。ひぃ。

 は、話をそらさないと!

「あ、ええと──じゃあ先輩って、あの女の子のことも、祓ったりするんですか?」

 わたしは、本だなの前にいるおかっぱの霊を指さした。

 叶先輩が、首を横に振る。

「祓わない。ああいうおとなしい地縛霊は、放っておけばいいんだ。たいした害にならないから」

 たしかに、本を見ているだけなら、何の害もないのかもしれない。

「あの子、何をしてるんでしょう。ずっと本だなを見てますけど」

「さあな」

「もしかして、何か読みたい本があったり、とか……」

「知らん」

 か、会話が続かない……。

 わたしが黙っていると、やがて、「はぁ」と大きなため息をついて、叶先輩は席を立った。

「じゃ、俺は帰るから。ああ、その前に」

 叶先輩は、スクールバッグから筆箱を取り出して、ルーズリーフのノートに何かを書きつけた。書き終わると、ノートをやぶってわたしにつき出す。

「ん」

「あ、はい」

 反射的に受け取ると、そこにはメッセージアプリのアカウントと、スマホの電話番号が書いてあった。

 え?

「俺の家は寺だ。親父なら、ちゃんとしたお祓いもできる。この先、心霊現象がらみで相談があったら、連絡してこい。じゃあな」

 そう言い残して、叶先輩は、今度こそ本当に図書室を出ていった。

 残ったのは、連絡先が書かれたノートの切れ端だけ。

 なにこれ。新手のナンパ……?

 ぼう然と叶先輩の背中を見送ったあと、わたしはスカートのポケットに紙をしまった。

 うん。いったん、あの先輩のことは忘れよう……。

 わたしはあらためて、幽霊の女の子を観察する。

 わたしたちのやり取りを一切気にせず、女の子は、あごを上げてじっと本だなの一角を見つめていた。

 いったい、なんの本を見ているんだろう……。

 幽霊少女の視線を追ってみると、そこには、見覚えのある背表紙があった。

「あっ」

 探していた、「ハチドリ殺人事件」の上巻!

 欲しいのは、下巻なんだけど……隣を見ても、それは無いみたい。貸出中なんだろうか?

 それにしても、あの幽霊の子。

 じっと本を見上げているってことは、もしかして、「ハチドリ殺人事件」を読みたいのかな。

 いったいいつから、あそこに立っているんだろう。

(……まあ、声をかけるくらいなら……)

 わたしは深呼吸をして、そっと彼女に近づいた。

 本だなから「ハチドリ殺人事件」を取り出して、差し出す。

「ええと──ねえ、きみ、この本が読みたいの?」

 女の子は。

 何も言わなかった。

 ただ、悲しげな目で、鳥とイラストが書かれた本の表紙を見つめているだけだ。

「……あれ? もしかして、違ってた?」

 女の子が、首を横に振る。

 どうやら、「ハチドリ殺人事件」で合っているらしい。

 合っているけど、違う……?

「──ああ! もしかして、きみも下巻を探してるの?」

 幽霊の女の子が、ゆっくりとうなずいた。

 そうか。

 つまりこの子は、本を探していたんじゃなくて、待っていたんだ。

 『ハチドリ殺人事件』の下巻が返却されるのを。

「ちょっと待っててね」

 わたしはカウンターに腰掛けている図書委員の女の子に話しかけた。

「あの。この本の下巻って、いつごろ返却されますか? 予約したいんです」

 カウンターに備え付けのタブレットを使えば、本の貸出日と返却予定日を検索できる。

 小学校のころ、図書委員だったから知っている。きっと同じシステムだ。

 待っていると、図書委員の子が「あれ?」と首をかしげた。

 もしかして、予約でいっぱいとか?

 でも、こんな文字だらけの本が……?

「ええと。その本の返却予定日は、とっくに過ぎてるみたいです」

「え?」

「一年前に」

 一年前って──借りパクされてるじゃん!

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