保健室の病弱な幽霊2

 翌日のことだ。

「御子柴さん、ちょっといいかな」

 わたしは、お昼休みに御子柴さんを連れて、教室を出た。

 あとで、御子柴さんのグループににらまれるかもしれないけど──今は、それどころじゃない。

「あの、四ノ宮さん?」

「御子柴さんに取り憑いてるモノの正体がわかったの」

「え?」

「だから、ついてきて」

 下駄箱で靴を履き替えて、校舎裏に回る。

 葛西中の校舎裏は、ビルと隣り合っていて、まったく日の光が差し込まない。

 土も湿って真っ黒だ。

 こんな場所だからこそ、七不思議の舞台に選ばれるのだろう。

「きれい好きな壁」。

 校舎裏に落書きをすると、きれい好きな幽霊に呪われるという七不思議。

 万智は、この七不思議を知っていた。

「ここ、見て」

 わたしは足を止めて、白い外壁の一角を指さした。

 指の先にあるものに気づいて、御子柴さんが「ひっ」と息をのむ。

「こ、これ、って……」

「うん」

 そこには、緑の絵の具で、首のないお化けの落書きが描かれていた。

 そして、地面には──

「ミコシバ ハナ」と書かれた絵の具のチューブが、ぽつんと転がっていた。


  †


 御子柴さんを校門まで見送ったあと、わたしと万智は旧図書室へ戻った。

「ずっと気になってはいたのよ。緑の絵の具について」

「えっと?」

「その、御子柴さんとかいう女の子。緑の絵の具だけをしおんから借りたのよね?」

「そうだけど」

「絵の具を一本だけ失くすなんて、おかしいと思わない?」

 言われてみれば、そうかもしれない。まだ、入学してから二ヶ月しかたっていないし。

「失くしたのでなければ、盗まれたってことになる。じゃあ、犯人は、なんのために絵の具を盗んだのか」

 万智が、目を伏せた。

「そう考えたとき、『きれい好きな壁』のウワサを思い出したの」

 つまり、犯人は──

 御子柴さんを落書きの犯人に仕立て上げ、七不思議の呪いをかけるために、絵の具を盗んだのか。

「まったく。絵の具の持ち主じゃなくて、いたずら書きをした自分自身が呪われるかもって、考えなかったのかしらね」

 万智はあきれたように言うけれど、わたしはぞっとしていた。

 七不思議にではなく、七不思議の呪いを利用してまで、御子柴さんを傷つけようとした犯人に。

「で、でも。そんなこと──ほんとに、する?」

「するひとは、するでしょうね」

 万智が、じっとわたしの顔を見つめた。

「信じられない?」

「……うん」

 というより、信じたくない。そんなにも強く、他人の不幸をのぞむ人がいるなんて。

 やわらかな声で、万智が言った。

「しおんは、やさしいわね」

「……ばかにしてる?」

「まさか。『善良である』ということは、この世でもっとも美しい特性のひとつだわ」

 でもね、と万智が顔をそむける。

「私は意地が悪いから、暗い悪意ばかりを想像してしまうの」

 たとえば、と万智が言った。

「可愛くてスポーツもできるクラスの人気者は、きっと、影でねたまれたり、恨まれたりしているんだろうな、とか」

「……御子柴さんは、いいひとだよ」

 まだよく知らないけど。

 でも、たいして仲良くないクラスメイトに、笑顔で「また明日」と言えるひとは、きっと、いいひとだ。

「いいひとだからって、他人から恨まれないわけじゃないわ」

「……うん」

 それくらいのことは、わたしにだって、わかるけど。

 万智の手が、わたしの頭をなでる真似をした。

 真似だけだ。万智は、幽霊だから。

「そうやって、ほかのひとのために泣いてしまうあなたが好きよ、しおん」

 わたしは、そっと自分の目元に触れる。

 指先に、透明な涙がついていた。


  †


「なに読んでるの?」

 次の日の放課後。

 キリのいいところまで読んでしまおうと文庫本を取り出したわたしの前に、御子柴さんが座った。

「本、だけど……」

 わたしの答えに、御子柴さんがずっこける真似をする。

「そりゃ、みればわかるよ。どんな話なの?」

 わたしは本を閉じて、裏表紙のあらすじを読み上げた。

 御子柴さんは、「ふうん」と、興味があるのか無いのかわからない返事をした。

 わたしは、たずねてみることにした。

「……犯人、わかったの?」

「うん」

 御子柴さんが、クラスメイトのひとりをチラ見した。

 いつも御子柴さんといっしょにいた、わたしと同小の子だ。わたしが、「視える」ことを言い回っていた子……。

 彼女は、御子柴さんの視線に気づくと、気まずそうにうつむいた。

 あのあとわたしたちは、二人で壁を洗い流した(どこぞの幽霊は、当然のように見ているだけだった。しかたないけど)。

 壁掃除を終えると、御子柴さんの首から、あの白いモヤは消えた。

「あたしね。先週、男バスの先輩に告白されたんだ。断ったけど。それで、つい、だって」

「告白されたから? どうして?」

「……その先輩、イケメンで人気があるんだよー……」

「あー……」

 そういうことか。つまりあの子は、その先輩のことを……。

 あーあ、と御子柴さんがわたしの机に突っぷす。

「あたしはバスケがしたくてバスケ部に入ったんであって、恋愛とか人間関係とか、そういうの、全然興味ないのになあ」

「人気者も大変だね」

「人気者? あたしが?」

「そうだと思うけど」

「そうなのかな……」

 こてん、と御子柴さんが窓のほうを向く。

「これからどうするの?」

「いちおう、仲直りはしたけど。でもさ、やっぱり、ぎくしゃくするよね。でも、同じ部活だし、なんとか上手くやっていかないと……」

 なんだか意外だ。遠くから見る彼女は、いつもハツラツとしていて、格好いいのに。

 今の御子柴さんは、弱々しくて。

 どこにでもいそうな、女の子って感じがした。

「あの子のこと、友だちだって、思ってたんだけどな……」

 その言葉に、じくりと胸が痛む。

 ……友だちなんて、そんなものだ。「友情」とか「親友」なんて言葉を口にしていても、いちばん大切なのは自分自身で、いざってときはカンタンに裏切る。見捨てる。

「……そういうこともあるよ。だれだって、いい面と悪い面があるでしょ」

 御子柴さんが、身体を起こした。

「そうだよね……四ノ宮さんって、なんかいいね。話してて落ち着く感じがする」

「え?」

 そんなこと言われたの、はじめてだけど。

「なんか、こう、ムリしなくていいって感じ」

 御子柴さんが顔を上げて、じっとわたしの顔を見つめた。

「ね、四ノ宮さん。あたしと、友だちになってくれないかな」

「…………。」

 それは──たぶん、とても素敵なお誘いなんだろう。

 だれだって、こんな女の子と仲良くなれたらうれしいに決まってる。

 でも、わたしの返事は決まっていた。

「ごめん」

 と、わたしは答えた。

「あんまり、わたしに関わらないほうがいいよ」

 文庫本をスクールバッグにしまう。

 わたしはあの日、もう友だちは作らないって決めたんだ。例外は、幽霊の万智だけ。人間の友だちはいらない。

 友情ごっこなんて、まっぴらだ。

 スクールバッグを肩にかけて、立ち上がる。

「だから、さよなら。御子柴さん」

 わたしの態度にあきれたのか、御子柴さんは、ぽかんと口を開けていた。

「………ふえ……」

 ん?

「か、かっこいい……」

 んん?

 ガタン!

 椅子を蹴って、御子柴さんが立ち上がった。気のせいだろうか。大きなお目が、キラキラしていらっしゃる。

「あたし、やっぱり、四ノ宮さんのお友だちになりたい!」

 はい?

 わたしの話、聞いてた⁉︎

「ぜったい、お友だちになるからね!」

 わたしの混乱をよそに、御子柴さんが、びしりと指を突き出して、高らかに宣言をした。教室中の視線が、わたしと御子柴さんに集中する。

 え、ええ……?

 かあっと頬が熱くなる。

「……だから、イヤだってば!」

「やだ。なる」

「人間の友だちなんて、いらないから」

「幽霊の友だちはいるの⁉︎」

 いるけども。

 でも、万智のことはだれにも秘密だ。

「とにかく、わたしは、友だちなんていらないの! じゃあね! さよなら!」

 わたしは、逃げるような教室をあとにした。背中に、御子柴さんの声が届く。

「四ノ宮さん、また明日!」

 わたしは振り向かない。

 友だちなんていらない。だって──

 水凪を裏切って逃げたわたしに、そんな資格が、あるわけないから。

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