君の好みになるために

左下の地球儀

君の好みになるために

 彼女は真顔で「頭のおかしな人が好き」と言って、人気のない廊下で僕を振った。


 彼女の冷めた声と僕から遠ざかっていく足音が、今でも頭の中で反響している。


 逆説的に言えば僕がマトモな一般人であることを、彼女は肯定してくれている。その事実は僕以外の人にとってはささやかな賛辞で完結する事象でしかないけれど、それは僕にとって涙が溢れてしまう程の酷評だった。


 彼女の言葉を意訳するとしたら、どうしても「あなたは好みじゃない」となる。


 だったら、僕は一体どうすれば彼女の好みな人物になれるのだろうか。


 「頭がおかしい」だなんて抽象的過ぎる表現に、僕はここ数日頭を悩まされている。


 ネットに書かれていた頭がおかしい人の特徴という馬鹿げた記事も、「常人の考える狂人の人物像」といった贋作の域を出ないものだった。


 ただ、それも仕方の無いことなのかもしれない。常人は狂人が考えていることを形容できないはずなのだから。


 僕を悩ませる彼女の言葉は無限に続く螺旋階段のようで、とうとう僕一人ではその問いに解を出すことができないのだと悟ってしまった。


 それでも諦めきれない僕は、往生際が悪く惨めな自分をどうにかして飲み込んで、彼女に答え合わせをして貰うことにした。


 彼女は酷く落胆したような様子で、ため息を吐きながら答えてくれた。


 「...一言で表すなら....想定外とか?」


 以前より少しだけ具体性を帯びた彼女の言葉を頼りに、僕は自分磨きを始めた。




 翌日、僕はすぐに行動を起こした。


 とりあえず授業中に教科書を破り捨ててそのまま帰ってみることにした。


 担当教師とクラスメイトはみんな目を点にして口をぽかんと開けていた。不安と羞恥心で押しつぶされそうだったが、窓越しに見た彼女はこちらに目を向けることもなく、淡々と綺麗なノートに板書を写していた。


 次は昼食の時に弁当をそのままゴミ箱に捨ててみることにした。


 案の定、僕を見ているのはどうでもいいクラスメイトだけで、彼女は一人で弁当に入っていた卵焼きを美味しそうに味わっていた。午後は弁当を作ってくれた母親への罪悪感と空腹感が僕を襲った。


 その次は放課後に校門の前で路上ライブをやってみることにした。


 下手なギターと下手な歌声で必要のない観客たちにはウケていたが、彼女は自転車でその後ろを颯爽と過ぎ去って行った。


 それから考えつく限りの行動を起こしたが、彼女の意識が僕に向くことは無かった。




 自分磨きを始めて一ヶ月が経った。


 学校では無事「僕は頭のおかしな奴」というレッテルを貼られた。担任には呆れた顔で生徒指導をされ、親には精神科にまで連れて行かれた。


 それでも彼女は僕に見向きもしない。あの日から何一つ変化を見せることのない停滞したままの現状に、僕は焦燥感を抑えられずにいた。


 ある日、僕は初めて他人を巻き込んだ自分磨きを決行した。


 突拍子もなく、隣の席の奴を殴ったのだ。


 思えば、その日初めて僕は正常な思考回路を捨てることに成功したのかもしれない。


 あれだけやって、自分の生活環境を大きく捻じ曲げてもダメだった。もう、どうすればいいのかが、僕には分からなかった。僕は涙を流しながら、必死に名前も知らない奴の顔を馬乗りになって殴り続けた。気がつくと周りの男子生徒に抑えられて教師を呼ばれていた。


 右手は血で赤く染まっていた。以前とは別種の焦りや不安に包まれていた僕の目に、こちらを見て笑みを溢す彼女が映った。彼女は、ただひたすらに僕に微笑み続けてくれていた。


 僕は、やっと救われたのだ。


 それから数日間、彼女の顔を見れない時間が続いた。でも、不思議とその数日間は退屈にはならなかった。


 次は何をしようか。


 考えることは同じでも、心持ちが全く違う。


 あの日、僕はやっとあの目障りな白線を飛び越えることができた。今思えば、何を恐れ、怯んでいたのだろう。馬鹿馬鹿しいな、我ながら笑いが込み上げてくる。


 これで僕は一歩、彼女の好みに近づくことができた。それに、明日からまた彼女に会うことができる。あぁ、この喜びをどう表現しようか、とても楽しみだ。

 



 それから僕は、自分磨きにより一層気合を入れる様になった。僕が何かをするたびに、一歩一歩彼女の好みに近づけていると言う確信が、僕を奮い立たせてくれた。




 しばらくして僕は学校から退学処分を下された。彼女に会える時間が減ってしまうのは惜しいけど、前とは違ったアピールを彼女にできるのだと考えれば、そこまで悪い気はしなかった。


 学校を去る前に、彼女に家はどこかと聞いてみることにした。少し恥ずかしかったが、彼女は嫌がる様子もなくすんなりと教えてくれた。


 「君に会えるの、楽しみにしてる」


 微笑みながら彼女はそう言ってくれた。感動と喜びで、僕の胸は幸せでいっぱいだった。彼女の期待に応えたい、僕は心の底からそう思った。




 ある日、僕はサプライズをすることにした。

 

 彼女が学校から帰ってきたら、家に僕が居る。そんなありふれたサプライズ。彼女、驚いてくれるだろうか。期待を胸に僕は彼女の家に向かった。


 ただ、一つこのサプライズには問題点があった。


 それは僕が家に居るだけでは少々パンチに欠けるという点だ。悩みながら歩いていると、すぐに彼女の家に着いてしまった。


 とりあえず中を覗いてみるも、人気はない。中に入れないか、色々と下見をすることにした。


 庭に入ると、そこには一匹の犬が居た。僕を見ても吠える様子はなく、歓迎してくれているようだ。


 その後も色々見て回ったが、全て鍵が閉まっていて入れそうにもなかった。不審者が入らないよう、防犯対策はきちんとしてることに感心しつつ、庭に戻って先ほど挙げた問題点について小一時間ほど考えた。


 犬を眺めながら考えていると、一つ妙案を思いついた。我ながら天才だと思う。早速行動に移して、僕は彼女の帰りを待った。




 太陽は沈み、時期に夜が訪れる。鼻唄を歌いながら彼女を待っていると門扉の方から物音がした。


 「おかえり」


 僕は少し前に殺しておいた犬を抱えながら、彼女に姿を見せる。


 「驚いてくれたかな?あはは、サプライズってやつなんだけど、どうかな?」


 死んだ犬の前足を振りながら、僕は嬉々として彼女の返答を待った。


 「...うん、驚いた」


 良かった、彼女も喜んでくれているみたいだ。でもぬか喜びはまだ早い。ここからが本番だ。


 今日のメインはサプライズじゃない、これは前座に過ぎない。本命は別にある。


 「喜んでくれたみたいで安心したよ...」

 

 心臓の音が早まる。緊張で胸が潰れてしまいそうだ。


 「そ、それでさ、急なんだけど...」


 「うん、どうかしたの?」

 

 彼女は澄んだ綺麗な瞳で僕を見てくれている。なら、僕がするべきことは決まっている。犬の血で汚れた手をズボンで拭いながら、僕は勇気を振り絞って言った。


 「デート、行かない?」




 静寂に包まれた薄暗い夜の公園を、二本の街灯が必死に照らしている。傷だらけのぼろぼろのベンチに、僕と彼女は腰掛ける。


 デート、と言ってもただ夜の公園で雑談するだけ。たまに沈黙が続くこともあったけど、彼女とならその静けさすらも心地が良い。この世界には僕と彼女しか居ないようにも思えた。

 

 実際には時計の針は一周もしていないのだろうけど、彼女との時間は僕にとって永遠を感じさせるほど幸せな時間だった。


 彼女を家まで送り、今日の余韻に浸りながら自分も帰路に着いた。




 家に帰って玄関を開けると、いきなり怒鳴り声が僕を出迎えた。声の主は父だ。何をいうかと思えば、くだらないことを無駄に大きな声で話してるだけ。折角の良い気分も台無しになってしまった。


 最初のうちはいつものことたがらと聞き流していたけれど、今日に限ってその説教は長く喧しい。


 ...うるさい。耳障りだ。


 僕はついさっき犬を殺すのに使った包丁で、今の気分に場違いなBGMの音量を下げることにした。



 

 一通り家の中が静かになったところでインターホンが鳴る。チャイムの主はお隣さんだ。


 流石にうるさくし過ぎたかな。家は散らかっているし、呼び鈴に応じることはできない。これ以上外野を呼ばれても迷惑だし、僕は出かける準備をして裏口から外に出た。




 夜道を歩きながら、今日のことを思い出す。


 とても幸せな時間だった。それに彼女も楽しそうにしてくれていたし、今なら告白のやり直しもできるかもしれない。そう考えると胸の高鳴りが抑えられない。熱が冷めないうちに、この気持ちを伝えたい。


 どうせ告白すらならロマンチックに行こう。


 僕は「明日、朝早くに学校に来てほしい」と彼女に電話で伝えて、その後は一晩中告白の仕方を考えることにした。


 


 青白い眩しい朝陽が、僕と彼女を包み込む。


 やっと、この時が来た。


 告白をする場所を考えたとき、一番最初に思い浮かんだのがこの廊下。全てが始まったこの場所で、僕はこの恋に終止符を打つ。


 「今日はどうしたの?」

 

 「...伝えたいことがあってさ」


 告白の謳い文句はどうしよう。詩的な表現で僕の想いを着飾ろうか、それとも歌にでもして歌ってみせようか。昨晩はそんなことを考えていた。でも結局考えついたのはありきたりなもので。


 でも、それが一番良い、僕はそう思った。


 ただ、それだけでは物足りないのだ。彼女の期待に応えるためには、もう一つ何かが必要。その何かを、僕はずっと考えていた。




 最初、僕は君に見てもらうのに自分自身だけで完結する方法を選んだ。

 

 でも、それでは君は見向きもしなかった。


 そうして焦った僕は他の奴らを巻き込んでい

った。


 すると君は少しずつ僕を見てくれるようになった。


 その時はこの上なく嬉しかったし、幸せだった。


 でも、どうせならこういう時くらいは僕だけの力で君の目を奪ってやりたい。

 



 だったら、僕は




 「...僕は、あなたが好きです。だから、これからもずっと僕を見ていてください」




 人気のない廊下で二人きり。僕はそう言って、新品の包丁で自分の下腹部を突き刺した。

 

 

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