#14 潜入、極東重工情報基地 -3


 一方、セイナとファルはというと、ヒューズの視界からは消えコンソールルームの外へと飛び出していた。

 割れたガラス窓から外へと飛び出し、壁を背にして周囲の状況を窺う。


「マジかよ……中隊規模の部隊を展開とか、やりすぎだろうが」

「そんだけ國家反逆の罪状は重いってコトっスよ。極東重工ごと取り潰しにされないだけ有り難いと思うがいい、っス」


 ピンと張り詰めたような空気とはまるで場違いな溌剌とした声に顔を向けると、巨大な戦扇を地面に突き立てた小柄な女性が2人を睨み付けていた。

 女性、そう。女である。他の隊員が鬼面や狐面で顔を隠す中、先ほどコンソールルームで立ちはだかった隊長らしき男と同様に顔の横に鬼面を付け、布で口元を隠す以外は目も髪もさらけ出したスサノヲの女性隊員がセイナとファルを睨んでいたのだった。


「君も、特務機関スサノヲの一員……なのか」

「チビで女だからって舐めんな。ボクはトラマル。特務機関スサノヲ9番隊副隊長、“鬼の右腕”トラマルっス」

「おーおー、御大層な肩書きだなクソガキッ!」


 罵声と共にダンダンダンッと3度響き渡る銃声。ファルの握ったショットガンから放たれた散弾がトラマルと名乗ったスサノヲの副隊長を襲う。

 撃ち込まれた散弾の数は27発。

 反動抑制もせず片手で引き絞ったこともあり散弾の幾つかは地面を抉り埃を舞い上げたが、その半数以上はトラマルと名乗った女の胴体へと直撃した。かに見えた。


「……クソガキ呼ばわりはいいけど、強がりにしか聞こえないっスよ? 状況見えてるっスかオニーサン」


 突き立てた巨大な戦扇を展開し撃ち込まれた散弾全てを防ぎ切ったトラマルは再び扇を格納し肩に担ぐ。


「言っとくけど、僕はタロス隊長みたいにから、覚悟してね」


 口元を覆う布の奥で薄く笑みを浮かべたトラマルが前傾姿勢を取った次の瞬間、その姿が霞んだ。

 一瞬遅れて耳に飛び込んだ弾けるような足音に、セイナとファルは反射的にその場を飛び退く。

 爆発したかのような破砕音に2人が目を見開くと、2人が背を預けていたコンソールルームの壁に戦扇を突き刺したトラマルの姿があった。


「ほら、だから言ったでしょ。上手に殺せないって。で? どっちから先に死にたいっスか?」


「力の加減苦手なんで、すぐグチャってなっちゃうんスよ」と壁から戦扇を引き抜き、リロードを終え狙いを定めようとしていたファルのショットガンに横薙ぎの一撃を見舞う。

 バレルからあらぬ方向に曲がったショットガンはファルの手から弾き飛ばされ、暗がりで乾いた音を立てた。


「ファルッ!」

「生きてんぞッ!」

「元気っスねぇ。んじゃ、ボクと殺し合い遊びましょっか。なーんてね……みんな、撃っちゃって」


 足元の埃を巻き上げる様に戦扇を一閃。風圧でファルとセイナをその場に縫い留めるとトラマルは軽快なステップで2人から距離を取る。

 風除けのために翳していた手を払った時には既にトラマルは飛び退いた後で、代わりに黒雨のような猛烈な射撃が2人に襲い掛かった。


 セイナとファルを取り囲んだ数十人のスサノヲ隊員が装備したライフルが一斉に火を吹き、2人に無数の銃弾を突き立てる。

 脚、腕、腹、撃ち込まれ続ける銃弾は装甲を抉り、衝撃によるダメージを蓄積させていった。

 かろうじて頭部と心臓の急所を守る2人だったが、次第に崩れ落ちる様に膝を屈していく。



 この時代の対人戦闘において、アサルトライフル以下の銃火器では大手企業の私兵部隊たちへは有効打足り得ないというのが一般常識として浸透していた。

 優れた防弾性能を持つ各企業のアーマーは関節部などを除きアサルトライフル程度までの弾丸をほぼ弾くことができる。

 当然アーマー内部への衝撃はあるが、鍛え上げられた私兵たちは鈍痛など意にも解さず戦闘を継続する。

 的確に急所を狙い撃つか、全方位からの飽和制圧射撃でもなければ効果は薄いとされていた。


 そう、全方位からの飽和制圧射撃でもなければ。


「これっ、は、まず……いっ」

「こ、コイツぁ…マジぃ…」

「ファル、下がっていてくれ。俺ならまだ耐えられる」

「セイ……ナ……ッ!」


 2人は少しでもダメージを減らそうとコンソールルームの壁を背にして防御姿勢を取り、何とか意識を繋ぎとめて反撃の機会を窺う。

 止めどなく撃ち込まれる5.56ミリの銃弾は僅かなコンクリート製の壁を抉り、2人分の人型を残し原型を留めぬほど破壊の爪痕が刻まれていた。


 立ち込める硝煙にスサノヲ隊員の姿が見えなくなる程になってようやく、銃声が止む。

 白煙の向こうから銃のマガジンを取り替える無機質な音が聞こえてくる。

 銃声を聞きすぎて一時的に麻痺した耳にも届いたその音に反応して、朦朧とする意識の中セイナは大きく息を吐き出して一歩踏み出した。


「……ファル、君は無事か」

「……あァ、お陰さまで生きてるよ。ったく、無茶すんじゃねぇよアホヒーロー」

「どうってことないさ。ヒーローだからな。俺は」

「そうかい。そいつは実にありがてぇ」


 全身、撃たれていない場所を探す方が難しいほどに打ち据えられ、装甲もあちこち耐久限界を超えて貫通した満身創痍の身体で、それでも2人は立っていた。

 咄嗟に前に出てファルを庇ったセイナは特に酷い。頭部と胸以外、弾痕が刻まれていない箇所を探す方が難しいほどに痛々しい痕が刻まれていた。

 だが、全身を這い回る煮え滾るような痛みを意志の力でねじ伏せ、セイナとファルは構えを取る。


「彼ら、どうやら残弾が心許ないようだぞ」

「そいつぁいい。豆鉄砲に撃たれて死にました。なんてのが知られたら黒備えの恥もいいところだ。掛かって来いよ、國のイヌども!」


 鮮血に濡れた拳を握り締め、互いに互いの背中を預けるように並び立った2人はスサノヲ隊員に向けて大声で煽り立てた。


スサノヲウチの新型ライフルの斉射食らって生きてるなんてやるじゃん。その挑発、ボクが乗ってあげる……ねっ!」


 戦扇をひと薙ぎし硝煙を吹き散らしたトラマルがセイナとファルに肉薄する。

 疾駆した勢いのまま大上段から振り下ろした戦扇を、ファルは両腕を交差して受け止めた。

 受け止めた腕部のパワードスーツが軋む。常人ならざる力で振り下ろされた戦扇の衝撃にファルの身体が床に僅かにめり込むが、ファルは今度はくずおれることなくその一撃を受け切った。


「嘘っ……」

「よぉ、クソガキ。バカのひとつ覚えにウチワ振ってんじゃねぇよ。ケンカっつーのはな、こうやるんだ……よっ!」

 交差した腕で戦扇を絡め取り、パワードスーツの出力に任せて強引に引き寄せる。

 トラマルが如何に馬鹿力だろうと重量的にはファルに軍配が上がる。戦扇ごと引き寄せられたトラマルは体勢を崩し、身体は宙に浮く。


「セイナッ!!」

「任せろ!」


 その一瞬の隙を逃さず、ガラ空きになったトラマルの腹にセイナ渾身のアッパーが打ち込まれた。

 トラマルの身体がくの字に折れ曲がり、突き上げられたように宙を舞う。

 そのままコンソールルームの外壁に背中から叩き付けられたトラマルは床へと崩れ落ちる。かに思えたが、地面との激突の瞬間に受け身をとってバックステップ。猫のような俊敏さで体勢を立て直した。


「ケフッ。……やるじゃないっスか。万全ならちょーっと危うかっただろうけど、それだけ消耗した状態でボクを倒せると思ったらおおまちが……!?」


 口元を伝う鮮血を手の甲で拭い大見得を切ろうとしたトラマルがセリフを言い切ろうとする直前、彼女が背にした壁の真横、金属製の扉が音を立てて崩れ落ちる。

 崩れ落ちた金属の破片はまるで、バターを熱したナイフで切り裂いたかのような切断面をしていた。

 セイナとファルだけでなく、トラマルまでもがその光景に我を忘れて息を呑む。


「……ゃばッ!」


 トラマルが跳んだ。否、全力の逃亡だった。今まで見せていた速度が児戯にも思える速さでセイナとファルの間をすり抜けていったトラマルに2人が視線を奪われたその瞬間、“死”が“視え”た。


 全ての動作を中断し遮二無二倒れ込む。互いの首を確認し、自分の首に手を当て、まだ切断されていないことを確認し安堵の息を吐いた刹那、“剣圧”と呼ぶしか説明できないような横一文字の衝撃波が2人の頭上を吹き抜けていく。

 遅れて、コンソールルームの扉の両側が真一文字に斬り裂かれ、最後に斬り崩された扉からヒューズが錐揉みしながら吹き飛んできて床へと激突し転がっていった。



 静寂。



 誰も動けなかった。


 うずくまったヒューズも。

 頭を伏せたセイナとファルも。

 コンソールルームの中にいるであろうブラストとハムドも。

 斬撃の範囲から逃げ出したトラマルも。彼らを取り囲んだスサノヲの兵士たちも。

 誰ひとり、動くことができなかった。


 まるで断頭台に首を差し出した罪人が斬首人を待つかのように、質量さえ感じるその殺気に当てられた全員が立ち竦んだように微動だにしなかった。



 暗がりから、足音もなく男……タロスが姿を現す。

 傷ひとつない忍装束とその手に握られた白刃の大太刀が非常灯に照らされて、さながら幽鬼のように揺らめいていた。

 ぴくりとも動かないヒューズへと一歩、また一歩と足を進めるタロスは途中セイナとファルを一瞥し、興味を失ったかのようにすぐまた視線を戻した。


「クッ……ぐぅッ!」


 彼我の距離が残り数メートルほどになった時、ヒューズが口から血反吐を吐いて顔を上げ近付いてきたタロスを仰ぎ見た。

 セイナやファルからは遠く、その表情を窺い知ることはできない。

 だが、ほんのひと時言葉を交わしただけではあるものの諦めて死を受け入れるような人物には到底思えなかった。

 床にぶつかった時に切れた額から流れ落ちる血を拭いもせずヒューズは両手の拳を握り締めタロスを睨め付ける。


「私は……ッ!」

「これ以上の抵抗など無意味。……まずは1人だ」


 大太刀を大上段に構えたタロスが、ヒューズの首元へとその刃を振り下ろした。




『…………私だ。斯様な時刻に何用か』


 キツく瞳を閉じたヒューズが、恐る恐る薄目を開く。

 首筋から僅か数ミリのところで止められた大太刀を視認して背筋に震えが走るが、その鋒に込められた殺気が霧散していることに気付いて眉根を寄せる。


『あぁ。……そうだが』


 氷のような冷たい眼でヒューズを見下ろすタロスと視線が交差する。

 タロスは誰かと通信をしているようで、小さな相槌が漏れ聞こえてくる。

 斬首寸前で止められたこの状況に動くべきか否かヒューズが測りかねていると、チッと、聞き漏らしてしまいそうなくらい小さな舌打ちが聞こえ。


 スルリと、首筋に当てられていた刃が引かれた。


『……承知した。此度の件、貴公に預けるとしよう』


 瞬きの間に肩の鞘に大太刀を納め、タロスは拳を構えるヒューズから背を向けた。


「待て! 私はまだ……ッ!」

「控えろ」


 ヒューズが懐から引き抜いたハンドガンのトリガーを引くよりも早く、タロスの大太刀が弧を描いた。

 タロスが再び白刃を鞘に納めるのと、斬り飛ばされた銃身の破片が床にぶつかって甲高い音を立てるのはほぼ同時だった。


「貴公等の処遇、一時保留とする」

「なん……ですって……?」

「我らスサノヲを謀った者が居るやも知れぬ。貴公らが國家叛逆の徒ではなく護るべき民草であるならば、我らスサノヲの刃が向くことなどあってはならぬ」


 周囲を囲むように展開したスサノヲ隊員達に向けてタロスが手で合図を送ると、数十人いた彼らは言葉ひとつ発することなく闇へと溶け込んでいった。

 無数に散らばった空薬莢と鼻を付く硝煙の臭いさえなければ、今の今までそこに居たことさえ分からないだろう。


「タロスたいちょ、殺さなくていいんスか」

「信頼に足る者から、彼奴らは叛逆者ではないと連絡があった。事実であるならば、スサノヲの刃を向けるべきではない」

「了解っス。お前ら命拾いしたっスね。ウチのたいちょーと戦って生き残った奴なんて前代未もあだだだだ!?」

「無駄口を叩くな。撤収だ」


 セイナとファルに戦扇をヒラヒラさせて煽っていたトラマルはタロスに首根っこを掴まれて悲鳴を上げる。

 ちぇ、と唇を尖らせたトラマルだったが、タロスに睨まれて他のスサノヲ隊員たちと同様に暗がりへと消えていった。


 そのやりとりの間に息を整えたヒューズが、床に突き刺した黒刀を支えに立ち上がる。

 その後ろにはセイナとファル、そしてコンソールルームから出てきたブラストとハムドの姿もあった。


「見逃す、というのですか?」

「否。貴公らは國家叛逆の企てなどしておらぬのだろう。さすれば、我らに刃を交える道理など無い」

「突然襲ってきたかと思えば、間違えましたサヨウナラ。ってのはちぃとばかし虫が良すぎるんじゃねぇの、スサノヲの隊長さんよぉ? 半殺しくらいにされても文句言えねぇだろ、あァ?」

「やめなさいブラスト。特務機関スサノヲが任務を中断して撤収するなど、尋常な事態ではないのですよ」


 でもよぉ、と傷を押さえながら唇を尖らすブラストを嗜めるヒューズの姿に何か思うところがあったのか、タロスはやれやれといった様子で頭を振った。

 今宵、彼が初めて見せる人間らしい仕草だった。


「戦意の無い私を殴れば公務執行妨害で捕縛されても文句は言えぬぞ。が、確かに治療費の請求先は必要か。後ほど、イヅナ精密電子の総務部宛にでも此度の戦闘の賠償請求先を送ろう。それで構わないか?」

「冗談、ですか?」

「特務機関スサノヲ9番隊隊長、タロスの名に於いて嘘偽りなきことを誓おう」


“その姿を見たものはすべからく死ぬ。”


 そう言われてきた特務機関スサノヲの、しかも隊長がその名を名乗ったのである。

 驚愕を通り越し、いっそ何かの罠なのではないかとヒューズ以外の4人もタロスの行動を疑うほどだった。

 

「疑いたくば好きにするが良かろう。では、失礼する」


 そんなヒューズたちの動揺を一切気にかけることなく、用は済んだとばかりにタロスも踵を返した。


「ちょ、ちょっと待って!」


 去っていこうとするタロスに向けて我知らず声をあげたのはハムド。

 立ち止まって首から上だけ振り向いたタロスに向けて、何か声をかけたいが言葉が見当たらない様子だった。


「……なぜ、ここに僕たちがいることが分かった、んですか?」

「さて、な。我らを謀り暗殺を目論むほど貴公らを疎ましく思う者が、國のどこかにでもいるのだろう」

「それは、均整局……?」

「…………その問いに答えることあたわず」


 苦虫を噛み潰したような声音でそう呟くと、他の隊員たちの後を追うようにタロスもまた闇へと消えていった。




 静まり返った室内に、尻餅をつくように大きな音を立ててファルがその場にへたり込む。

 その動作に続くように、セイナやハムド、ブラストまでもが次々と床に崩れ落ちた。

 手足を投げ出して寝転ぶ姿はまさしく五体投地だった。

 互いに顔を見合わせるとタイミングを合わせたかのように一斉に安堵の息を吐き出す。


「っは……生きてんのか、俺たち」

「どうやらそのようだ。正直、生きているのが不思議なくらいだが……」

「違いねぇわ。マジでなんだったんだアイツら」

「分からない。でも、戦闘が続けば間違いなく僕らは殺されてたよ。アレだけの人数、誰かを犠牲にして脱出。なんて策も通じなかっただろうし」


 背中を濡らす汗の不快感でさえ、今この時に限っていえば生を実感する喜びと言えるだろう。

 それほどまでに、スサノヲ部隊の、そしてタロスの放つ殺気は尋常ではなかった。

 4人がめいめいに傷の具合を確かめる中、ヒューズだけが立ったまま微動だにしないことに気付いたブラストが心配そうに声をかける。


「旦那? もしかして立ったまま死んだ?」

「……いえ、生きてますよー。ちょっと考え事をしてました」


 呼び声に今気付いたといった様子で、ヒューズは振り返って苦笑する。

「今回は流石に詰みかと思いましたねー」と肩をすくめて呟くと、他の4人と同じように背中から床へと倒れ込んだ。


「なるほど、なるほど。これがスサノヲの戦術ですか。これは、うん。生き残れない訳ですねぇ」

「人数が多いのにひとっ欠片の慢心も容赦もなかったなアイツら。旦那が隊長格を引き付けてくれなきゃ今頃2、3人死体で転がっててもおかしくねぇ」

「トラマルとかいう副隊長もバケモンだったぞ。あの身軽さ、反応速度に加えてあのパワー、まるでVoidの連中が極東重工ウチ機動義肢マニューバアーマー積んでるみたいだったぜ」

「ふ……く、ふふっ……」


 緊張の糸が切れたように騒ぎ出した4人の声を聞いていたヒューズがおかしそうに笑う。

 タロスとの戦闘で被弾した箇所の当たりどころでも悪かったかとブラスト達がギョッとするが、ヒューズは手を胸の前で左右に振ってそれを否定した。


「タロスと言いましたか、あのスサノヲの隊長。中々の食わせ者ですね。私たちにになれとは」

「どういうことだ? あの野郎そんなこと一言も言ってなかったじゃねぇか」

「解釈の仕方でしょうけどね。“私たちを疎ましく思う者が國のどこかにいる”、“均整局かどうか”は答えられない……つまり、均整局に不穏分子がいるが不確定情報で味方を売ることはできない。私たちが今後も囮になって尻尾を出させろ。と言いたかったのでしょう」


 ヒューズの言葉に4人は首を傾げる。


「あれってそういう意味だったの?」

「そう認識しましたけど、まさか私の勘違いですか……?」

「単純にテメェらに教えてやる義理はネーヨ。って意味だと思うぜ? お前、頭良さそうに見えて実は天然か」


 呆れ顔のファルに笑われ、ヒューズは目尻を細めて悲しげな表情でブラストに助けを求める。

 急に振られたブラストは両手を上に向けて“お手上げ”のポーズだ。

「私は天然では無いですよ?」と周囲に同意を求めるように見回すものの誰も取り合ってはくれなかったため、咳払いをして強引にその場の空気を切り替えるヒューズだった。


「では、我々も撤退するとしましょうか。警備システムはダウンさせているとはいえ、あれだけの騒ぎがあったわけです。各々、見つかっては具合が悪いでしょう」

「そうだな。ファルはともかく俺や君たちは見られたくはない。日を改めて、これまでの経緯や今後について話し合うべきだと思うがどうだろう?」

「そうしましょう。私が隠れ家にしているバーの位置をお教えします。よろしいですね?」


 ヒューズの提案に4人は頷いた。


 来た時と同じ道、同じメンバーに分かれ、5人は極東重工の情報基地を後にする。

 特務機関スサノヲの襲撃というイレギュラーはあったものの、どうにか誰1人欠けること無く、むしろ新たな仲間と有益な情報を手に入れることが出来たヒューズたちには疲労以上に真実に近づいているという確かな手応えを感じていた。


「そういや旦那、アレ返してくれよ。ウチの相棒の拳銃。貸してたろ」

「あー、えぇ、借りてましたねぇ。いや、折角ですし整備してからお返しするのは、いかがかなぁと」


 情報基地の出口へ向かう途中、ふとした拍子に投げられたブラストの言葉にヒューズはしどろもどろになりながら視線を彷徨わせる。

 しばらく歯切れの悪い言い訳が続いていたが、遂に観念したのか懐から銃身の半で断ち斬られた拳銃を取り出してブラストに手渡した。


「マジかよ……旦那……」

「申し訳ありません……」

「いや、しょうがねぇけどよ。しょうがねぇけどさ! あー、どーすっかなぁ」

「勝手に持ち出したのはブラストだし、誠心誠意謝るしかないね……ドンマイ」


 ブラストは震える手でそれを受け取ると、潰れた蛙のような呻き声を上げながらガックリと肩を落とした。

 その後も歩きながらなんとか修復方法が無いか模索していたが、出口に戻ってくる頃には諦めたのか両断された拳銃を握りしめたまま無言になっている始末だった。

 無論、会社への帰還後凍り付くような視線のカームに土下座し続けたことは言うまでもないだろう。


「それでは、念の為バラバラに撤収しましょう。後は手筈通りに」

「俺も帰ったらコッソリ総務部に請求先とやら確認しとく。すげー怖いけど……」

「僕は今回分かったことを踏まえてもう少し探りを入れてみるよ。何かあれば連絡する」


 軽く手を振り別れを告げ、3人はそれぞれの日常へと戻っていく。

 明日は敵とも知れぬ企業間闘争の中で吹き始めた小さな風がうねりを上げ、國全体を巻き込む大きな嵐となって荒れ狂うことを、今はまだ誰も知ることはなかった。





数日後、ザフト地区リージョナルタワー最上層“天帝宮”謁見の間にて


鮮やかな朱色に塗られた柱が立ち並ぶ古来ヒノモトの建築様式を再現した荘厳な木造建造物の室内で、着物に袴を履いた正装姿のタロスが上座に立つ女性に膝を付き首を垂れていた。

上座には畳が敷き詰められ、御簾と呼ばれる目隠しで奥まで見通せないようになっている。

タロスは板張りの下座に控え、深々と頭を下げていた。


「巫女様に於かれましては本日もご健勝で何より……」

「堅苦しい挨拶は不要です。報告事項を述べなさい」


巫女様と呼ばれた、白衣に緋袴、千早を纏った女性……成人したかどうかの少女は、神妙な面持ちでタロスに先を促す。

タロスは平伏し、小さく一つ咳払いをすると己の責務の成果を述べ連ねた。


「は。國家転覆を目論む逆賊にはそれぞれ監視を付けております。罪状の確認が取れ次第、スサノヲ各部隊を動員し誅罰を」

「いいでしょう。不測の事態があったと聞き及んでおりますが……?」

「いえ。万事滞りなく、天帝陛下と神託の姫巫女様のお心配り、幸甚に存じます」

「陛下も貴方の活躍に期待しています。國家安寧のため、更なる活躍を期待します」

「陛下の御心のままに……」


國内各地での叛逆者の駆逐、アマテラスの手が回らない施設の警備、巫女の執務で知り得た情報の共有など、巫女との謁見は数十分にも及んだ。


神託の姫巫女との謁見を終えたタロスは天帝宮を後にし、一度自分の執務室に戻り任務中に溜まっていた書類データに目を通し始める。

幾つかの書類を確認し、ふと手を止めたのは先の極東重工で暗殺の対象だった5人の男たちの資料。

任務開始前に一度目を通したそれを、再びじっくりと読み込んでいく。


氏名、経歴と所属企業、犯罪歴などを眺めていき、罪状の欄まで視線を滑らせていく。

“國家叛逆罪”そう書かれた5人のプロフィールを並べて、顎に手を添えて考え込む。

考え込む時は決まってこの姿勢を取る。部下に年寄りのようだと言われても中々治らない、タロスの数少ない癖だった。


脳裏に思い描くのは、タロスの持つ独自の情報網からもたらされた全く違う情報。

『この5人は叛逆者などでは無い』

知り合ってから長い協力者が初めて使用した自分への緊急回線という手段を用いた時点で、タロスはその情報を一旦信じることにした。

らしくない。と言えばそうだろう。だが、心のどこかで、それは真実なのだという確信めいた何かを感じていた。


思考がずれたかと顎をさすっていると、廊下に繋がる執務室のドアが開いた。


「失礼しまーす誰もいませんねぅぁ、やっべ。た、たいちょー戻ってたんですか」

「巫女様への報告の合間に少し、な。それと、私の顔を見て目を背けた理由は後ほどじっくり聞こう」


タロスがいない隙に部屋を物色しに来たトラマルだったが、入った途端にいるはずのないタロスの姿を確認して慌てて不恰好な敬礼を取る。

タロスも慣れた様子でその様子を一瞥すると、また視線を手元の資料に戻した。


「別になんにもないっスよ。あ、ソイツらこの前の暗殺対象じゃないっスか! ボクは油断してちょーっと怪我しちゃったけど、たいちょーは流石、ヨユーの勝利でしたね」


白々しいほどの話題転換だった。角度で表すならば確実に90度は超えている。


「いや……」とタロスは至って真面目に思案を巡らせる。


「今回は人数でも装備でも我等が優勢だったが故に圧倒できたに過ぎぬ。仮に彼奴等が完全武装であった場合は、勝利と引き換えに相応の犠牲を払うことになっただろうな」

「へぇ、隊長がそこまで言うなんて珍しい……。でも確かに、アイツらボクのスピードとパワーに即対応して来てたっスね」

「あの中の誰もが各企業の精鋭だっただろう。特に、私が直接相手をしたヒューズという男、戦闘力だけでなく判断力もずば抜けていた。無駄な血を流さずに済んだのは、僥倖であったと言えよう」


ふーん、まぁたいちょーはサイキョーっスからと興味無さげに返事をするトラマルに向け、タロスは呆れた様子でデスクの中から飴を一つ取り出して放り投げる。

素早く手首のスナップで飴を投げると、トラマルも慣れた様子でキャッチした。

包み紙を剥がし、嬉しそうに頬張る。


「まぁ良かろう、命令があらば犠牲を問わず誅滅する。それこそが特務機関スサノヲの存在意義だ。しばし留守にする。貴公も報告書を提出したら帰宅するが良い」

「うへぇぇ。その報告書、明日でも……」

「ダメだ。今日中に仕上げておけ」


別室にある自身の執務机へと向かっていったトラマルを一瞥し、タロスも執務室を後にした。



そうして数刻ばかり経った後、タロスが再び姿を現したのはザフト地区の最上層。今回は天帝宮の更に奥、最奥にある四季離宮と呼ばれる建物へと足を運んでいた。

ザフトリージョンの最上層は全域が天帝のための区画ではあるが、その中でも天帝宮を天帝と神託の姫巫女の執務室とするなら、四季離宮は天帝とその巫女の住居である。離宮への道は飛び石と純白の玉砂利で美しく整えられ、道の左右には四季の花が咲き誇っていた。

この離宮、四方には特殊な環境整備が行われていて、一年を通して春、夏、秋、冬それぞれの花や草木が区画ごとに分かれて瑞々しく生い茂っている。その非現実的ながらも幻想的で美しい景観から、四季離宮と名付けられているのだった。


ゆったりとした足取りで離宮へと向かっていたタロスの視界の先で、縁側の掃き掃除をしていた巫女装束の少女が手を振っている。

長い黒髪をお団子状に結い上げた髪型とやや吊り目でパッチリとした目元から気の強そうな印象の少女が、目尻を緩めて手招きをしていた。


父様とうさま、お久しぶりです」

「お前も元気そうで何よりだ、アカツキ。ちゃんと食事は取っているか?」

「もう、父様は来る度にそればかり。もう10年も経つんですよ? 炊事洗濯掃除に催事、もう全部1人で出来ます」


年頃の少女のように頬を膨らませるアカツキに、タロスは穏やかな笑みを浮かべる。

そこには任務中の燃え滾るような気迫はどこにも無く、ただ1人の父親として娘に親愛の表情を向けていた。


一代につきたった1人、天帝の身の回りの全ての世話を行う特別な役職。また、天帝の言葉を全ての國民に伝える代弁者としての役目を担う者。

それが神託の姫巫女。そして、その現在の襲名者こそ、タロスの“娘”であるアカツキという少女なのであった。


「父様、國に不穏な影が忍び寄っているというのは本当ですか?」

「心配は無用だ。私がいる限り天帝陛下にも、巫女であるお前にも手出しはさせない。10年前も、そうだっただろう?」

「うん……」


心配そうに見上げる少女の頭をタロスは左手で優しく撫でる。


「我が身命は天帝陛下と姫巫女様のために。賜った剣に賭けて、必ずや逆賊を討ち滅ぼしてご覧にいれましょう」

「今は“父様”でしょ? ちゃんと役になり切ってくれないと“パパ”って呼ぶから」

「それは勘弁してくれ」


ひとしきり笑い合った後、タロスは再び少女の頭を撫でる。優しく、慈しむように。


とある事情からタロスは最上層を自由に出入りすることが出来る。だが、かと言って山積する課題を放置して久方振りの家族の団欒を続けることなどできなかった。

名残惜しそうに手を振る娘に別れを告げ、タロスは最上層を後にする。


下の層へと向かう軌道エレベーターに乗り込んだその顔には、再び“真紅の鬼”としての気迫が満ち満ちていた。




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