#10 -セイナ&ファル- 赤き正義と猛る青 2
轟々と唸るような音が、ファルの鼓膜を震わせる。それが己の発する鼓動なのか流れていく風の音なのかは、頭に血が昇りきった今のファルには判別できなかった。
夜の帳は未だ色濃く雲海を漆黒に染め上げている。僅かな月明りだけが、連絡橋を走る輸送列車を鈍く照らし出していた。
セイナの腹部に右拳を打ち込んだ勢いをそのままに、ファルは更に一歩踏み込んで左の拳を振り下ろす。
無機質なマスクでその表情を窺うことはできないが、たまらず漏れ出た苦悶の声から効き目があることを確信しファルは更に硬く拳を握り締めた。
右、左、また右と、一撃一撃がセイナの内臓を抉るようなボディブローを撃ち込んでいく。
それは極東重工で会得した武術ではなく、自身がギャング時代から鍛え上げてきた喧嘩殺法。相手を無力化するのではなくブチのめすためのファルの武器だった。
「どうしたどうしたァ! ブルっちまって手も足も出ねぇか!」
なのに、この男は。
「そうだな。暴れられて積荷が連絡橋から落ちることを考えると、流石に少し厄介だ」
常人であれば確実に激痛に顔を歪め胃の中身をぶちまけるような攻撃を幾つも食いながら、未だ一度も膝を屈することなくファルの前に立ちはだかっていた。
「お前を倒して、積荷のコンテナも全てぶっ壊す。中身の生物兵器を、下層街区で使わせてたまるかよ!」
「コンテナの中身は医療品だ。生物兵器なんかじゃない」
「ふざけろよ。そんな戯言、誰が信じると思ってやがる!」
声を荒げるでもなく、不気味なほどに冷め切った声音でセイナはファルの言葉を否定する。
その物言いがファルには後ろめたいものを隠しているように聞こえ、更にファルの懐疑心を深め怒りのボルテージを上げる引き金となった。
やれやれと言わんばかりにセイナはため息をひとつ、ファルは咆哮を上げて、再び両者は激突する。
セイナの正拳突きを受け止めたパワードスーツがギチリと嫌な音を立てる。装甲を突き抜けた衝撃がファルの腹部を圧迫するが、ファルは歯を食いしばって踏み留まり反撃として下から抉り込むようなアッパーを見舞う。
最低限のステップと首の動きだけでその一撃を回避してみせたセイナは、回避した勢いのまま身体を横に一回転させた。
鋭く吐き出した呼気に乗せるは裂帛の気合い。アッパーを空振りしガラ空きになったファルの膝、腰、脇腹に、背面からの回転する勢いを乗せたセイナの三段蹴りが叩き込まれた。
「グ……くッ……、おらぁっ!」
「なっ──」
崩れ落ちそうになる膝を踏み締め、ファルは両手を突き出しセイナの装甲服を掴んで力の限り引き寄せる。
蹴りを放った直後で片足立ちのセイナは踏ん張りきれず、体勢を崩したままファルの真正面へとその身を曝け出す。
マスク越しに見えたセイナの双眸と、視線が一瞬交差する。
仰け反るほどに勢いをつけたファルの頭突きが、セイナの額を叩き割った。
「ゼェ……ゼェ……。ザマァねぇなゾンビ野郎」
「……全くだ。こんなザマでは、俺の正義が貫けない」
割れたマスクを脱ぎ捨て、血塗れになった額を手の甲で拭ったファルは気炎を吐き出す。
ファルの頭突きによって砕けたフルフェイスマスクの破片を無造作に払い、立ち上がったセイナは構えを取る。
「さっさとぶっ倒れろ!」
「断る!」
マスクの下から現れた冷ややかなセイナの視線がファルを突き刺す。
自らの正義を微塵も疑わないその瞳が一瞬だけ、ファルの足を竦ませた。
背筋に走る悪寒を振り切るように踏み込んだファルの顔面に、狙い澄ましたセイナの蹴りが突き刺さる。
ファルの視界が明滅する。だが、ファルにも下層街区を護りたいという意地があった。
首を仰け反らせたまま放たれたファルのヤクザキックが、セイナを後方へと吹き飛ばした。
「……俺は負けねぇ」
背中から山積みになったコンテナに突っ込んだファルは、崩れたそれらを掻き分けてフラつきながら立ち上がる。
前に視線をやれば、セイナもまた頭部から血を滴らせながらファルを見据えていた。
「何が、そこまで君を駆り立てる」
「決まってンだろうが。テメェらがこの生物兵器を下層街区でばら撒こうってのはとっくに調べが付いてんだよ。そんな悪事のどこに正義がある? どれだけの人間が苦しむと思ってる? テメェらキサラギ化成の暴走を止めるのに、これ以上の理由がいるってのか!? あぁ!?」
「中身は医療品だ。それ以外の何物でもない。何度言えば分かる」
「そんな白々しい嘘、信じるバカがいるかってんだよ!」
セイナの言葉を途中で遮り、ファルは周囲に散らばるコンテナを荒々しく掴み上げる。数十キロはある金属製のコンテナを軽々と持ち上げると、セイナ目掛けて次から次へと投げつけた。
投擲と呼ぶにはあまりにも暴力的なその攻撃は、錐揉み回転する砲弾となってセイナへと襲い掛かった。
「そのコンテナひとつで、どれだけの人間が救えるか分かっているのか」
左右に狭い甲板の上で、セイナは苦虫を噛み潰したような顔でファルを睨みつける。ファルの一挙手一投足全てを見逃すまいと、地を舐めるような低い姿勢で飛来するコンテナを回避していく。
投擲されたコンテナのひとつが、セイナの足元に激突する。コンテナから飛び出した割れたアンプルの中身が飛散しセイナに降り掛かる。
咄嗟にそれを回避したセイナを見て、それ見たことかとファルはセイナを指差した。
「テメェ、今なんで避けた。本当に中身が医薬品だって言うなら、避ける必要ねぇよな?」
「…………それがなんだ」
「お前の行動が、コイツの中身は生物兵器だと言ってるってことだ、そうだろうが!?」
「揚げ足取りも甚だしい。降り掛かれば中身が何だろうと避けるだけだ」
「うるせぇ! こんなモンは、俺が全部……ぶっ壊してやる!!」
欺瞞に塗れたセイナの言葉は聞く価値もない。お前の語る紛い物の正義ごとキサラギ化成の目論見を破壊してやると、ファルは列車に積載されている一際大きなコンテナの一つに手を掛けた。
パワードスーツの出力を全開にしたファルによって、数百キロはある金属製のコンテナが引き摺られるように持ち上がっていく。
だが、これまでの戦闘で誤魔化しきれない損傷を受けたパワードスーツは全身のあちこちから火花を散らし、耳障りな金属音を発し始めていた。
「止めるんだ。コンテナを降ろせ。今、すぐにだ」
「俺に、指図……するんじゃねぇ……ッ!」
「甚だ度し難いな、君は!」
拳を握り締め今にも飛び出そうとするセイナに向けて軋みを上げるコンテナをファルが振りかぶったその時、ファルの耳に通信が飛び込んだ。
『ファル! 直ちに戦闘を中止しろ。聞こえるか!?』
『邪魔すんなよクソ親父! もうすぐあのゾンビ野郎をブチのめ──』
『“積荷は生物兵器では無い”!誤情報だ。この戦、我らに義は無い!』
『はァァ!? 待ってくれ! 現に、生物兵器はここに……ぐぅ!?』
列車後方から襲撃を掛けていたはずの百人隊長、シンゲンからの通信にファルは声を荒げたその時、猛烈な駆動音と火花を散らしていたパワードスーツの出力が突如として低下していく。
スーツによるパワーアシストを失ったファルに、数百キロを超えるコンテナの重量が加速度的に増加していく。
「コイツぁ……ヤベェ……」
振りかぶった姿勢のままどうにか持ち堪えたのはほんの数秒。投げることも放り捨てることもできず、全身の骨と筋肉がミシミシと軋む。
右腕を覆うパワードスーツの外骨格装甲がひしゃげ、圧力に負けて弾け飛ぶ。コンテナを掴んでいた指が、可動域を超えて折れ曲がり始める。
視線を目まぐるしく動かし何かこの絶望的な状況を打破する策が無いか必死に探すファルだったが、どう考えても状況を打破する術は残されてはいなかった。
(チクショウ……!)
唇を震わせ悪態を吐き、もう無理だと観念し腕の力を抜こうとしたその瞬間ーー
ファルの頭上を
分厚い鉄板に鉄球でも叩き込んだのかと言わんばかりの轟音が闇夜を震わせる。
セイナのドロップキックを受け吹き飛んだ大型コンテナはファルの手を離れ輸送列車の壁面に激突。その中央には表面がめり込むほどに一対の足跡が深く刻まれていた。
死を覚悟していたファルの全身から力が抜け、その場に頽れへたり込む。
セイナを、そしてコンテナを交互に見やり、自分が九死に一生を得たとようやく理解することができた。
「なんで、助けた……?」
吹き飛んだコンテナから視線を戻したファルは、風に靡く赤いマフラーを唖然とした表情で見つめてポツリと呟く。
ドロップキックから着地したまま悠然と佇むセイナは、当然とばかりに肩をすくめた。
「ヒーローが誰かを助けるのに、理由は要らない。知らなかったか?」
余りにも荒唐無稽な返答。だがそれ故に、その言葉に、それまでの言葉にも嘘偽りなどひとつもなかったのだと、ファルは理解した。
「……知るかよ、このクソヒーロー」
セイナの言葉に毒気を抜かれたファルは甲板の上で大の字に身体を投げ出し、乾いた笑い声を上げていた。
数刻後、列車後部からシンゲンを連れやってきたコウガが燃え盛るバイクや大破したコンテナを見て思わず立ち尽くした。
「これは……何が起こったんだ……」
「申し訳ない。まず間違いなく、ファルの仕業だろう」
輸送列車に搭乗していたキサラギ化成の社員がコンテナの復旧作業とバイクや列車甲板の消火活動を行なっているのを動かなくなったパワードスーツを椅子にして所在なさげに見ていたファルが、シンゲンを視界に収めると気まずそうにスッと視線を逸らす。
その仕草がどうやらシンゲンの逆鱗に触れたらしい。足を踏み鳴らしファルの元へ歩み寄ると、胸ぐらを掴んで持ち上げ盛大に拳骨を見舞った。
「イッテェな! 何しやがるクソ親父!」
「私の指示を聞かなかった挙句、部下を危険に晒したのは誰だ!」
「いや……それは、俺……だけどよ」
「全員命に別状は無かったから良いものの、これで死人が出ていたらどう上に報告するつもりだったのだ……」
「ワリィ。俺が暴走したせいで、ロクローが……って生きてんのか!?」
項垂れていたファルが勢いよく顔を上げる。その頭上にもう一度拳骨を降らせると、シンゲンは懐から取り出した予備の通信機をファルに押し付けた。
「ロクロー、か?」
『ファル隊長?』
「ロクロー、お前……俺を庇って」
『そんな声色は隊長らしくない。いつもみたいに“死にそびれたな”って笑って下さいよ』
「馬鹿野郎が……」
嗚咽混じりに通信を終えたファルがシンゲンに通信機を返す。シンゲンは拳骨ではなく肩に優しく手を置くと、口を開いた。
「我々黒備えの本体が輸送列車の最後尾に到達し部隊を展開していた時、ロクローから通信があったのだ」
シンゲンの口から語られたのは、黒備え本隊の動向の一端だった。
少数の精鋭を引き連れ制圧しようと乗り込んだ黒備えを単身待ち構えていたのが、コウガだったのだと。
最強と名高き黒備えの百人隊長に微塵も臆することなく、武器を手に持ったコウガは襲撃の理由をシンゲンに尋ねた。
キサラギ化成が秘密裏にシャハル地区に向けて輸送列車を走らせている。積荷である生物兵器を下層街区でばら撒こうとしているのかと問い詰めたシンゲンに対し、コウガはそれを否定した。
中身は医薬品である。事実無根であり、即座に部隊を撤収せよとコウガはシンゲンを睨みつける。
互いに譲らず一触即発の空気だったその時、シンゲンの元に爆発に巻き込まれたはずのロクローから通信が入ったらしい。
「運よく列車に取り付いたロクローは、単身列車内に潜入し積荷を確認したのだと言った。中身は生物兵器ではなく、コウガ殿の言うとおり医療品や支援物資であるとな」
ロクローの通信を聞いたシンゲンは、即座に黒備え本体に対して任務の中止を連絡した。
数名の側近を残し、コウガにも状況を説明。停戦を受け入れたコウガと共に、積荷を確認した後ファルとセイナの元へとやってきた。とのことだった。
道中で発見されたロクローは側近に連れられ先に本隊と合流し、手当を受けている最中だという。
「話は分かったけどよ。連絡を寄越すにしても、タイミングってモンがあるだろ……。せめてもう少し早く言ってくれりゃペシャンコになりかけずに済んだってのに」
「“レッドライン”の、セイナ殿だったか。此度は私の部下の命を救ってくれて、ありがとう。“
「おいオヤジ。無視して話進めてんじゃね、痛ってぇ!? 何回殴れば気が済むんだよ!」
騒ぎ立てるファルに三度拳骨を見舞ったシンゲンはファルの頭を掴み、強引に甲板に擦り付ける。
「俺は積荷を守るため戦った。彼は下層街区を守るために戦った。そこに悪はいなかった。それでいいんじゃないか?」
「寛大な心遣い、痛み入る……」
深々と下げるシンゲンの頭をどうにか上げさせたコウガは、場所を移し状況を整理すべきだと提案した。
承諾したシンゲンたちは列車後方へと移動し、コウガやセイナが休息を取っていた車両の一室で改めてテーブルを囲む。
「改めて、今回の被害について謝罪申し上げる。誤情報にまんまと踊らされたのは業腹ではあるが、幸いにも死者は出ていない。賠償は約束しよう」
「それについては企業同士、上の人間が決めることだ。セイナもこの通りピンピンしているしな。それよりも、その誤情報の情報源はどこから出てきたか教えてもらいたい」
救急キットで傷の治療をしていたセイナの背中を軽く叩き、コウガはシンゲンに問いかける。
シンゲンはしばらく宙に目を泳がせていたが、顎髭をひと撫ですると観念したように口を開いた。
「情報源は“均整局”だ。少なくとも、私はそう聞いている。これでも100人の部隊の長を務める身ゆえ、情報の確度は信用してもらいたい。出撃命令を下したのは、極東重工内部でも下層街区保護を主張する『穏健派』だ。我々の部隊も、派閥としてはその傘下である」
「均整局……と言うと警察組織か。情報の出どころが本当だとすると逆に不自然な気もするが、そこは疑わなかったのか?」
「政(マツリゴト)は私のような一介の武人には分からぬ。だが、言われてみれば確かに不自然な流れはあったやもしれん。戻り次第、探ってみよう」
コウガやファル、セイナもそれに賛同する。
4人は暗号通信用の連絡先を交換し合い、更に幾つかの話を交わした。
「では、我らはこれにて撤収しよう。ファル、お前もきちんと謝罪しないか」
「チッ……。悪かったな」
「ファル!」
「わーったよ! ちゃんと話も聞かずに暴れ回ってすみませんでした! これでいいだろ!?」
唇を尖らせ、バツが悪そうに謝罪の言葉を述べたファルは居心地が悪いのか足早に車両の出口へと向かっていく。
自動ドアの向こうに消えていこうとするファルを、セイナが呼び止めた。
「あ? なんだよ。悪かったって言って……」
「さっきの戦闘中、君も“不死身”だと言ったな。あれは本当なのか?」
「……は?」
突然振られた突拍子もない疑問にファルはぽかんとし、その問いかけの意味を理解して大声で笑い出した。
「んなわけねぇだろ。ノリとか、あんだろ。ったく、滅茶苦茶に殴りやがって……この借りはゼッテー返す。覚えてろよ」
笑ったことで傷が開いたのか、痩せ我慢していた痛みがぶり返したのか、大袈裟にフラつきながらファルは車両の外へと消えていった。
扉を閉めても尚聞こえる悪態に、シンゲンも思わず頭に手をやり天を仰ぐ。
シンゲンのバイクに乗せられ去っていく後ろ姿を眺めながら、セイナは思い出したかのようにフッと笑うのだった。
-SEINA- & -FALVIA- will return.
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