#8 -幕間- 下層街区の隠れ家
メディオ地区の下層街区。工業街区へ続くエレベーターのひとつにほど近いメインストリートの、その裏路地にひっそりと店を構えた小さなバーがあった。
“蓄音機”と呼ばれるレトロなレコードプレーヤーから流れるゆったりとした曲調の演奏をききながら、ヒューズは数少ないテーブル席の一つに腰掛け、瞑目していた。
セヴェル地区で起きたバード商会ビルの襲撃事件の後、表向きには死人となった“バード商会所属傭兵”のヒューズはこの小さなバーの2階に拠点を移していた。
ブラストの協力により装備の回収と修繕は秘密裏に行われ、ヒューズ自身の傷もまた癒えたとある日のこと。
「紹介したいヤツがいる」と連絡を寄越してきたブラストは、ヒューズの元へとやって来ていた。
時刻は夕暮れ。いつもなら下層街区に住まう労働者たちがちらほらと入り始める頃合いだったが、この日は珍しく店内には寡黙なマスターの他にはヒューズとブラストの2人だけ。
カランと鳴ったドアベルに振り返ってみれば、デニムにパーカーというラフな格好の若者が遠慮がちに入店してくる。
ブラストが反応しないところをみるに、彼がその“紹介したいヤツ”というわけではないのだろう。
チラリと若者を見たマスターは一言、いらっしゃいませとだけ声をかけると、すぐまた手元のグラスを磨き始める。
その若者はヒューズと目が合うと心なしか居心地が悪そうに視線を逸らし、カウンター席の奥に座ってマスターに注文を告げていた。
若者から視線を戻し、テーブルの対面で携帯端末を操作して何かを調べているブラストをヒューズは見やる。
前回のバード商会での会談とは違い、今日は2人とも私服だ。
琥珀色の液体が入ったグラスを照明に透かしながら、ヒューズは僅かに酒精を帯びた吐息を漏らした。
「それにしても、これまでの全ての事件の裏に極東重工ですかー。かねてより強引な軍備拡張路線は顕著でしたが……」
「【鎧の男】も極東重工の新製品で、ソイツを使って他企業を圧倒して有利に立とうってハラはどうだ?」
「有り得ない……と言い切れないのは極東重工だからってとこですねぇ」
10年前の事件前後で極東重工に大きな動きがあったか。などとブラストと話をしていると、慌ただしい足音と共にドアが開き、無機質なメカヘッドの男が店へと飛び込んできた。
くたびれたレザージャケットに、これまた履き古されたデニム姿の男だ。
その男を見たブラストは大きく手を振り、自身の隣の空いた席を指差す。
「おっせーぞオッサン」
「悪い悪い。ってオッサンて言うなっ!」
大袈裟な身振りでブラストに抗議をするこの男こそ、ブラストがヒューズに会わせたかった“均整局”局員のガウアである。
國の警察機関である均整局の職員ながら下層街区大虐殺の事件の“裏側”を探っていたというこのガウアという男。奇妙な縁からブラストと知り合い、事件の真実を突き止めるという共通の目的から利害が一致。時折連絡を取り合い情報を交換しあっていたのだった。
「立ち話もなんだ。とりあえず一杯やらせてもらうぜ」
ガウアは慣れた様子でバーのマスターにウィスキーを頼み、ヒューズに簡単な挨拶をする。
言葉や動作の1つをとっても人間味に溢れ、無機質なメカヘッドにすら表情が浮かぶようだった。
テーブルに運ばれてきたウィスキーをぐいと一口あおると、ガウアは仕入れてきた情報を話し始める。
「数日前、キサラギ化成の列車が襲撃された。襲撃したのは……極東重工だ」
「
「ああ。俺も気になって色々と探りをいれてたんだが、襲撃者は極東重工の“
これはまだどこの情報屋も仕入れてない最新情報だぞ。とガウアは念を押すように人差し指を立てて2人に示してみせた。
キサラギ化成。風邪薬からバイオ兵器まで幅広く製造しており、『國』の化学技術を大幅に進歩させたバイオメーカー。
京極ハイテックス。最新鋭のサイボーグ技術を有するロボティクス企業の最大手。他の追随を許さない圧倒的な技術力を持ち、『國』の急速な技術発展に大きく貢献している。
そして、極東重工。一般的な銃火器から二足歩行戦車まで、およそ兵器と呼ばれるものの大半を製造する國内最大の軍需企業。本社のあるリージョンの一街区全てが製造工場という規格外の大きさを誇り、大戦争以降、その規模をさらに拡大し続けている巨大企業。
バード商会を使ったI.P.E.本社への襲撃、ヒューズを狙った京極ハイテックスの暗殺者、そして今回のキサラギ化成の列車事故未遂。その全てを裏で操っていた極東重工に、疑惑の目が向くのはある意味当然とも言える。
「そういやぁ、セヴェルの時もヒューズの旦那とそんな話をしてたな……」
「あぁ、そういえば【鎧の男】が極東重工の秘密兵器という話もしてましたねー。今もまさに」
「そんじゃ、いっちょ極東重工に探りを入れてみようぜ? 鬼が出るか蛇が出るか。案外いい線イケるかもしれねぇ」
「危険はありますが、何かあれば逃げてしまえばいいですしねー」
私はどうせ死人ですし。と皮肉気に笑ったヒューズは、手元のウィスキーを呷る。
ウィスキーを飲み干し満足げに吐息を漏らすと、ヒューズはカウンター席で挙動不審に耳をそばだてている若者を見やった。
「貴方もそうは思いませんか? Void Δのサブリーダーさん?」
唐突に話しかけられ、しかも正体まで見破られていた若者――ハムドは思わず咳き込んだ。
ヒューズからしてみれば、注文時の声、歩く際にデニムの裾から覗いた義足などの特徴があれば変装とも呼べないお粗末さである。
「ば、バレてたの……?」
「バレるも何も、てっきり貴方も今日の参加者だとばかり思ってましたよー?」
違ったんですか? とにこやかに笑うヒューズに、ハムドは嬉しいような悲しいような複雑な表情を浮かべている。
彼にしてみれば少し前に命の奪い合いまでした間柄。ブラストに呼ばれたとはいえわざわざ変装してこのバーへやって来たのも、会議の輪には入らず話だけ聞いておこうとしたからだ。
ヒューズにバレれば戦闘になる可能性もある。そんな覚悟で来てみたところに、まるで友人のように話しかけられてしまえば調子も狂うというものだった。
「はぁ……アンタそれでもアサシンかよ」
「私はそこまで言ってませんよー」
下手な変装にブラストが頭を抱え、ヒューズがそれを見て可笑しそうに笑う。
あっけらかんとしたヒューズに勧められるままテーブル席の一つに移動してくると、スパイは専門外なんだ……。と気まずそうに手に持ったグラスの中身を空にした。
「それじゃあ、改めて。君たちと戦った後、僕も向き合うことにしたんだ。9年前、僕の人生をめちゃくちゃにしたあの事件……【企業オリンピア爆発事故】とね」
【企業オリンピア爆発事故】その単語を聞いたヒューズとブラストは顔色を変える。
それは奇しくも、ハムドに襲撃される直前に【鎧の男】との関係性が無いか資料を漁ろうと考えていた事件に他ならなかった。
「この前見せたホログラム……俺たちは【鎧の男】って呼んでるが、ソイツを見たのが【企業オリンピア爆発事故】ってことか? どこで見た? ソイツは何をしていた?」
「ブラスト、貴方はちょっと落ち着きなさい。彼は”向き合う”と言った。それは、彼も苦しみを伴ったはずです。例えばそう、彼のその義足に関わることかもしれません。彼のペースで話をさせてあげましょう」
矢継ぎ早に質問するブラストを窘めたヒューズは、自身も落ち着くためにグラスの中身を口に運ぶ。
グラスの中の氷がぶつかりカランを音を立てる。ウィスキーの冷たさと喉を焼く酒精の感覚にため息を零すと、ハムドに続きを促した。
ハムドが語ったのは、爆発事故の裏側。爆発と黒煙に紛れ、人々を殺戮する【鎧の男】の姿。爆発事故そのものの首謀者かどうかはハムドにも分からなかったが、【鎧の男】が爆発事故と関係があるのは恐らく間違いないだろうということだった。
「あの事件を引き起こした可能性のある【鎧の男】に、僕も問いただしたい。だから、僕も君たちの仲間に入れてくれ」
「俺は構わねぇぜ。元からアンタとはやりあってねぇし、個人的な恨みもねぇ。ヒューズの旦那が決めることだ」
「私も構いません。むしろ、貴方ほどの手練れが仲間になってくれて心強い限りですよ」
戦闘時の冷静かつ容赦のない姿を知っているからこそ、己をまっすぐに見つめてくるハムドの素直な瞳にヒューズは思わず苦笑いを浮かべる。
きっと、“こちら”がハムドの素なのだろうな。と、そんな考えを巡らせながら、ヒューズは握手を交わした。
「あー。あんたら……俺のこと、忘れてないか?」
ブラストとヒューズ、そしてハムドが結束を強めようとする中、完全に蚊帳の外となったガウアが悲しそうな声を上げる。
三人は顔を見合わせ、さも分かっていたと言わんばかりの表情でガウアに顔を向けた。
「もちろん、これっぽっちも忘れてねぇよ。えーと、キサラギの列車襲撃事件の話だろ? 情報提供頼むぜ、オッサン」
「えぇ、そちらの話も【鎧の男】に関係する可能性がある話なのでしょう? ウィスキーのお代わり、如何ですかー?」
「さっき慌てて入ってきて喉が渇いてるよね? ヒューズさんが奢ってくれるみたいだし、それを飲みながらでいいから詳しく教えてよ、刑事さん」
余りの変わり身の早さに、ガウアも頭を抱えてため息を吐くしかない。
お前らなぁ。と悪態を漏らしながら、ガウアは事件の詳細を語り始めた。
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