#7 -ハムド-橙閃の猛蜂- 4

 

 己が生み出した爆発の直撃を受けたヒューズは、背後にあった非常階段のドアをぶち破りエントランスへ続く廊下へと吹き飛ばされていた。

 両腕を交差し辛うじて頭部が爆炎に呑まれることは防いだものの、衝撃により三半規管は麻痺し弾け飛んだ幾つかの部品は装甲服を切り裂き肉体に無視できないダメージを与えていた。

 ドアを破った際に内臓を幾つか痛めたか、ヒューズはごぽりと鮮血を吐き出す。

 袖口で血を拭い壁に背中を預けると、懐から緊急用の医療キットを取り出し傷口に注入していく。

 中身は使い捨ての医療用ナノマシンだ。部分的な損傷であれば、注入部位の細胞を活性化しと細胞分裂を促すことで応急的な回復が見込める。

 呼吸を落ち着けること数十秒。出血が止まったことを確認し、ヒューズはゆっくりと立ち上がった。


「――さて、合流地点に向かうとしましょう。遅いぞ、と言われてはたまりませんからねー」


 自身が吹き飛ばされてきた非常階段から流れてきた黒煙を睨みつけながら、ポツリと呟く。

 壁を支えにエントランスホールまでたどり着くと、そこにはまだブラストの姿は見受けられなかった。


「おや、てっきり遅刻かと思ってましたが……。存外、彼の方も手練れだったということですか」


 侮れませんねぇ、Voidも。とこぼしながら、ヒューズは無人のエントランスで手近な段差に腰掛けた。

 先ほど注入した医療用ナノマシンの効果のお陰で痛みは引いてきたが、これ以上の戦闘は流石に生死に関わる。

 それに何より、装備自体も残りは隠し持ったナイフ程度しかない。ブラストの到着までは、ゆっくりと身体を休める他なかった。


 吸い終えたタバコを携帯灰皿に入れ2本目に火を付けようか悩んでいると、不意に視線を感じヒューズは振り返った。

 落胆の混じった大きなため息を吐き出す。摘まんでいたタバコをしまい込み、最後のナイフを抜き放った。

 振り向いた先には、怪しげに煌めく山吹色の暗殺者の姿。装備はやや煤けてはいるものの、傷らしい傷の見当たらないハムドが煙の中から歩いてきていた。


「やってくれたね。相手を油断させ、自身の翼さえも利用する戦闘術。やっぱり君は只者じゃないよ、傭兵さん。僕じゃなかったら、一発逆転だったかもしれないけど……」


 訥々とつとつと喋るハムドの口ぶりとは裏腹に、その体勢には一分の隙も見出せない。ヒューズへの警戒心を最大限に高めたまま、ハムドはジリジリとその距離を詰めてきていた。


「やれやれ……最後の切り札も無傷とは。本当にお手上げですねー……」

「そう言って、まだ何か隠してるんだろう? さっきは油断したけど、次はもう無い。大人しく、死んでもらう!」


 絶対の間合いまで踏み込んだハムドは、腕のブレードを輝かせる。床を踏み込み、ヒューズの首を刎ねんと全身のバネを引き絞ったその瞬間。

 その爪先数センチの所に、鈍く光る鋼剣が突き刺さった。


「はい、ストーーップ!!」


 唐突に現れた気配にハムドは身体に急制動をかけ視線だけを動かして声のする方向を見やれば、そこにはを肩に担いだブラストの姿。


「ひゅぅ~。タイムリミットぎりぎりってトコ? ハデにやられたな、旦那」

「遅いですよ、ブラスト。……危うく殺されるところでした」

「あー、わりぃわりぃ。Voidのお嬢さんとの追いかけっこが楽しくてつい、な?」


 まるでブラストが現れることが分かっていたかのように、いつの間にかナイフを納めていたヒューズは口を尖らせる。

 サクラを含めたVoid Δチームの襲撃を単身で切り抜けたことに驚きつつも彼我の距離からヒューズを殺すという任務の遂行を優先しようとしたハムドだったが、ブラストがこれ見よがしに見せつける担いだの正体がサクラであることに気付き、思わず声を上げた。


「サクラッ!? 君は……よくも……ッ!」

「おーいおい、早とちりすんなよ? お嬢さんは死んじゃいねぇ……どころかアンタのお仲間も、誰一人な。 ただ、ちょいとおネンネしてもらってるだけだ。ま、アンタの今後の選択次第じゃ永遠におネンネしてもらうけど」

「何を……言ってるんだ?」

「交渉タイムだ、っつってんだよ」

「君の言葉を真に受けると思うのか? 僕は、任務を完遂する!」


 憤るハムドにブラストはやれやれとため息をつく。

 ハッタリかもしれないブラストの言葉よりも目の前の任務を優先させようと、ハムドは再び腕部ブレードを輝かせた。

瞬間、弾けた床がハムドの視界を一瞬覆い隠す。足元を見れば弾痕は僅かに蒼白い電光を帯びており、それが大口径の電磁狙撃銃レールガンによるものだと彼はすぐに理解した。


「交渉に応じてくれるんならさ、俺たちはアンタらを殺す気はねぇ。こんなどうでもいいところで死ぬか、取引を受けて生き延びるか。選びな」


 断れば即座にハムドは頭を撃ち抜かれる。恐らく、サクラをはじめ部下を戦闘不能にしたのもこの狙撃手によるものだろう。

 嘲笑うかのように言い放ったブラストの言う通り、最初から選択肢など無かったのだとハムドは悟った。


「アンタさー。もしかして仲間より任務優先! なんて思ってる? お嬢さんが聞いたら悲しむぜ? それに交渉とは言ったけど、アンタに拒否権は無いワケよ。脳みそブチ撒けたく無かったら、その腕のやべぇモンしまってそこに座りな」


 ブラストの甘言に乗るか。それとも死か。決めきれず尚も任務を放棄すべきか戸惑うハムドに、ヒューズは胸に下げた焼け焦げたバード商会のドックタグを引きちぎり差し出した。


「どうでしょう。貴方はドックタグこれを持ち帰る。“バードのヒューズ”は爆炎に呑まれ死亡。遺体は燃え尽きた。そんなシナリオでは、ご不満ですか?」


 サクラを担いだブラストを、そしてヒューズの差し出したドックタグに視線を彷徨わせていたハムドだったが、暫くして観念したかのように肩を落とした。

 展開していた腕部のブレードを格納すると、ブラストに言われた通りその場に腰を下ろす。


「……分かった。交渉とやらに応じるよ。ただし、先にサクラを返してくれ。サクラの生死を確認させて欲しい」


 差し出されたヒューズのドックタグをしまい、歩み寄ってきたブラストからサクラを受け取ろうとする。が、抱き留めようとした手はブラストがハムドが受け取る寸前にヒョイとサクラを持ち上げた為に空を切った。沈黙が訪れたのもつかの間、立ち上がってひったくるように奪い取ると、それ以上抵抗する気は無いとでも言わんばかりに再び腰を下ろす。

 サクラの生死を確認するハムドは、おーこわ、とおどけるブラストなど眼中にない様子だった。


「生きてる……良かった。……いいよ、君たちの要求を呑もう。僕は何をすればいい?」

「貴方が聡明で助かります。では、今回の任務の依頼者を、教えて貰えませんか? 私たちが知りたいのは、それだけです」

「依頼者を? そ、それだけ……?」


 社外秘の機密情報か、はたまた莫大な慰謝料でも提示されるかと思っていたハムドは、そのあまりにも軽い要求に困惑の色を隠せない。

 ヒューズは先の戦闘での鬼気迫る様子とは似ても似つかないその姿にふっと頬を緩める。

 口許を引き締め直したヒューズは自分たちがとある男を追っており、今回の依頼者がその手掛かりになる可能性があるからと返した。


「彼には貸しがあるのですよ。それも、とても大きな貸しが、ね」


 独り言のように呟いたヒューズのその言葉に隠しきれない憎悪とも呼べる感情を感じ、ハムドはぶるりと背筋を震わせた。


「僕が依頼者について喋ったことは、くれぐれも口外しないで欲しい。京極ハイテックスにも“コンプライアンス”って言葉は存在するんだ。特に君。風に舞う羽のように口が軽そうなブラストさん?」

「心配ねぇよ。俺も、こっちの旦那と一緒だ。この手でアイツをぶっ殺せるなら、約束は守る」


 2人がこうも感情を露わにする相手がどのような人間なのか、そして今回の依頼者とどのような関係があるのか、状況は把握しきれないものの、隠し切れない念の込められたその言葉は信用に足るものだろう。

 口外しないという約束を守ってくれることを念押しした上で、ハムドは今回の依頼者を明かした。


「依頼者は、”極東重工“だ。隠密任務という性質から、僕たち京極ハイテックスのVoidを大金で雇ったってウチのリーダーが言ってたよ」

「やはり、極東重工でしたか」

「俺たちが睨んだ通り……ってワケか」


 自身の呟きに反応したブラストに、ヒューズはえぇと頷きを返した。


「私と貴方が出会った先の戦闘時、バード商会側にバックアップとして旧式ながら極東重工のドローンが多数配備されていましたからね」

「てこたぁ、あの【鎧の男】も極東重工の……?」

「いや、流石にそれは論理の飛躍が過ぎるでしょう。とは言え、あの大企業です。公に出ていない兵器のひとつやふたつ、あってもおかしくはありませんね」


 そこまで話してふと何かを思い出したのか、ブラストは端末から【鎧の男】のホログラムを投影し、ハムドに見覚えがないかと尋ねた。

 怪訝そうにそのホログラムを見たハムドは、思わず目を見張る。


 それは、ハムドの人生を急変させた9年前の爆発事故の際に見た姿。瓦礫に足を潰され爆発の煙で意識朦朧とする中、雪崩れるように逃げていく人々の中で異彩を放っていた黒い男に他ならなかった。

 轟音と叫喚が渦巻く爆発の現場で聞こえた、場違いなまでの邪悪な笑い声の主。出口を求めて逃げ惑う人々の背を銃のようなもので次々と撃ち抜いていたその光景は、ハムドの脳裏に焼き付いて忘れることのできないものだった。


「その反応、こりゃぁ大当たりだな。偶然か? それにしちゃ出来過ぎもいいとこだ」

「案外、本当にただの偶然かもしれませんよ? しかし、そういうことなら話は別です。今回の件に関して、私はもう貴方を恨みも敵視もしません。我々3人はどうやら、同じ穴の狢みたいですしねぇ」

「……だな。ハムド、だっけ。これ、俺の連絡先。何かまた【鎧の男】について情報があれば教えてくれ」


 名刺代わりの小さなICチップをハムドに手渡すと、ブラストはふらつくヒューズに肩を貸しながらビルを立ち去って行った。



 夜、ブラストの泊まるホテルで手当てを受けながら、ヒューズは感慨深げにため息をついた。


「やれやれ。私は、何度死ねば良いのやら……」

「“烏の翼は折れない”……だっけか? そんな言い伝えが、社内にはまだ残ってるぜ」

「それ、当時の部下が酒に酔って言い出しただけなんですけどね」


 揶揄するブラストの言葉に、ヒューズは懐かしそうに唇の端を持ち上げた。

 伝説の裏側を垣間見てしまい、ブラストはマジかよ。と頭を抱えてベッドに倒れ込む。


「フッ……。彼は、連絡をくれるでしょうか」

「さぁな。まっ、期待せず俺たちは俺たちで動こうぜ?」


 痛む身体を自分のベッドに横たえ、ヒューズは気怠げにそうですねぇと呟く。

 二度目の死を迎え、三度目の飛翔を待つ黒死鳥に気負いはない。

 10年間待ち続けた機会が、1度ならず2度までもこの短期間で現れたのだ。この追い風に乗って、黒死鳥の翼は飛んでいく。そんな確信が、ヒューズにはあるのだった。




 ヒューズとブラスト、2人の立ち去ったビルに残されたハムドは、上空で待機するSKY-HIGHに救援を要請していた。

 ビルのあちこちで倒れた仲間を回収してもらい、自身もサクラを抱えてSKY-HIGHのドローンに乗り帰路につく。

 ハムドの懐には、ヒューズから受け取ったドックタグが納められている。このドックタグを報告書と共に提出すれば一応、任務は成功したと誤魔化せるだろう。

 提出書類の文面を考える道すがら、夜風にあたり目を覚ましたサクラが腕の中で忌々しげに唸っていた。

 そんなサクラを掴む腕の力を少しだけ強めると、ハムドは彼女にだけ聞こえる声でそっと呟いた。


「気にすることはないよ、サクラ。狙撃手がいる可能性を見抜けなかった僕のミスだ。それに、結果はどうあれ僕たちに死者はいない。だろう?」

「でも、負けたわ。手加減されて、騙されて、負けたの」

「強くなろう、もっと。僕も、君も……」


 悔し涙を流すサクラを励ましながら、ハムドは今まで触れようともしてこなかった9年前の事件。その真相を調べねばならないと決意した。


「……いつまでも、目を背けてちゃいけないのかもしれない」


 ぽつりと漏らしたその言葉は、凍える夜の風に吹き散らされていった。





 -HAMDO- will return.

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