#4 -ハムド-橙閃の猛蜂- 1


 セヴェル地区リージョナルタワーの商業街区にある一際大きな高層ビルの上空で、ハムドたち『Void Δ』の小隊が任務開始の時を見定めていた。

 時刻は夕方。地平線の彼方に沈もうとしている斜陽が、聳え立つビル群の長い影を作り出していた。

 一つ目を模したフルフェイスマスクを被り、身体にフィットした“アサルトハーネス”と呼ばれるVoidチーム制式戦闘服を纏った一団は、まるで逢魔が時に現れた亡霊のようだった。


 身を切るような寒さに身を委ねていたハムドが吐き出した息は、ビルの合間を吹き抜ける乱気流によって瞬く間に散り散りになっていく。

 周囲に目を配れば、ハムドと同じように1メートル四方くらいの大きさのドローンに乗るΔチームのメンバーがハムドの号令を待ちわびているのが見て取れた。


 彼らの傍らには、『Void』チームと双璧をなす空挺強襲部隊『SKY-HIGH』の精鋭が周囲の警戒にあたっていた。

『SKY-HIGH』の特徴は、京極ハイテックスが誇るドローン技術を文字通り人間と連結した機動力にある。

 ハムドを乗せている足元のドローンもまたSKY-HIGHを象徴する装備の1つであり、その正式名称を“Personal Equipment Transporter”と言う。SKY-HIGHの隊員たちはみな、頭文字を取ってPET個人装備輸送機と親しみを込めて呼んでいる。

 装備のみならず人さえも空輸できるドローンを随伴機とし、高火力、高機動を活かした大部隊による集団戦闘を得意とする彼らこそ、京極ハイテックスを大企業の一角たらしめている存在だった。


『ねぇハムド! いつになったら突入するのよ!?』

『もうすぐ単独潜入したセンクがビル内部のシステムを掌握する。それまで待ってて』


 マスクに備え付けられた通信機から伝わる不機嫌そうなサクラの声に、ハムドは辟易とした様子で返事を返す。

 ハムドの言い方にかちんと来たのか尚も不満を口に出そうとしたサクラだが、通信機から聞こえる男の声に開きかけた口を閉じて身を固くした。


『ーーセンクだ。予定通りシステムを掌握した』

『ありがとうセンク。君はそのままそこで待機してて。情報が正しければ建物内には対象以外は誰もいないはずだけど、探し出して勝手に戦闘を始めたりし――』


 はいはい、了解。という投げやりなセンクの言葉を最後に一方的に通信は途切れ、ハムドは出かかった言葉を飲み込む。

 実力を認められたとはいえ、最年少でVoid Δチームのサブリーダーとなったハムドはお世辞にも部下の全員を上手く扱えているとは言い難い。ハムド自身もそれを理解しているが、単独先行しがちな部下の手綱を握るのは容易では無かった。


「あっはは。サブリーダーさん、歳上の部下ってのも大変だねぇ。嫌われてるワケじゃあないんだろう? なら、可愛がられてるって思うのが吉さ」

「そりゃあどうも、シャハル。気にしてないよ。いつも通り、サクッと始末してサッサと帰る。それだけだ」

「可愛げないねぇ。ま、いじりがいのある子はキライじゃない。死なないように、せいぜい頑張りな」

「ご忠告は有難く受け取っとくよ」


 姉御肌な『SKY-HIGH』チームのリーダーが、マスクをかぶったハムドの頭をバンバンと叩く。

 ハムドと同年代であるにも関わらず、その飛行技術は京極ハイテックスの中でも上位五指に入る。若くして部隊内で頭角を現し、多数の部下を抱える彼女だからこそ、ハムドを弟分のように嗜めるのだった。


『ノーマはここでSKY-HIGHと待機。対象が空中に逃げたら撃ち落として。任せたよ』

『“紺碧の眼”を舐めるなよ。狙撃なら任せとけって』

『他のメンバーは僕と一緒に降下。突入後は手早く始末して撤収する。いいね?』

『『『了解』』』


 ハムドが矢継ぎ早に指示を出し始めたことで任務開始が近いことを察したのか、その手に握る武器を振り回して意気軒昂するサクラ。まるで自分がこのチームのリーダーになったかのように、チームメンバーを見回してはしきりに頷いている。


『ハムド、それにアンタたち。たかがB級傭兵1人に手間取ったら承知しないわよ!?』

『わかってるって。それじゃあみんな……行くよ』


 ハムドの号令を皮切りに、ホバリングするPETからVoid Δのメンバーが次々と降下していく。

 全員が降下したのを確認して、ハムドも待機モードにしていた背部リアクターを起動し戦闘モードへ。戦闘服の各所から漏れ出す橙色の燐光の尾を引きながら、彼もまた宵闇の中へと身を躍らせた。

 目標、バード商会セヴェル支部。『RAY.D.FUSE』と呼ばれるB級傭兵の抹殺が、今回の彼等に課せられた任務だった。



 セキュリティを掌握したセンクの導きによりビル内部への侵入を果たしたハムド率いるVoid Δチームは、音もなく暗殺対象がいるとされる一室の前まで辿り着いていた。

 気配を殺して突入の機会を窺うメンバーたち。万が一取り逃した場合に備え、通路沿いのドアは全て施錠済みである。


『センク、僕の合図で室内の照明を落として。作戦通り、サクラがドアを破壊したら突入。一斉掃射で仕留めるよ』

『サクラのチャージ完了から10カウントで実行する。遅れるなよ』

『…………チャージ完了。いつでもイケるわよセンク』


 おう、と短く返されたセンクの返事と共に、メンバー全員のマスク内部のインターフェースにカウントが表示される。

 皆一様にマスクを被っているためその数字を眺める表情を窺い知ることはできないが、この程度の任務で緊張するような鍛え方をしているものはいない。ハムドが確認のために小さく頷けば、全員が同時に銃を構えるのだった。


 インターフェース上の数字がゼロになると同時に、建物内部の全ての照明が落とされる。

 自動的に予備電源に切り替わるまでの数秒の間に、彼らは行動を開始した。


 暗闇の中、エネルギーの高まりによって戦闘服を紫色に輝かせたサクラが、得物を振りかぶる。

 サイボーグ化されているとは言え、小柄なサクラが扱うにはにはまるで不釣り合いとしか思えない巨大な鉄拳が煌めいた。



 衝撃――そして爆音。



 完全に破壊され室内へと吹き飛ばされたドアの破片には目もくれず、サクラは優雅に残心をとる。左手に装着された大型の鉄拳がその機構を開放し、内部に残った熱を放出していく。

 破壊されたドアや壁が作り出した埃煙(あいえん)が濛々と立ち込める中、非常電源が点灯した室内にハムドたちは突入した。

 室内は半円形のラウンジのようになっており、窓際のテーブル、そしてゆらりと動く標的らしき影を彼らはその目に捉える。


「――はじめまして。じゃあ、さようなら」


 ハムドが素早くハンドサインを送ると、後方に並んだ銃口からくぐもった咆哮と共に無数の銃弾が影を引き裂きさかんと食らい付いた。

 しかし、埃煙の向こう側から聞こえてきたのは呻き声ではなく重量物が落下したようなズンという地響き。そして硬質な物体に銃弾が弾ける耳障りな音。

 異音の正体に気付いたハムドは、忌々しげに眉をひそめる。


「テーブルを盾にした、か。ちょっとはやるようだね」


 だが、その程度の抵抗は想定済みだった。これ以上の銃撃は無意味と判断したハムドは再びのハンドサインで射撃の中止を指示しながら、間髪入れずに次の策略を展開する。


「サクラ!」

「まっかせなさいッ!!」


 鉄拳の再チャージを終えたサクラが左腕を振りかぶりながら床を蹴った。道を譲ったハムドの脇をすり抜け、一条の紫電と化した彼女は硝煙の先で横倒しになったテーブルに鉄拳を叩きつける。

 衝撃波さえ伴うサクラ渾身の一撃は過たずテーブルを爆砕し、ラウンジ内に充満した硝煙もろとも吹き飛ばしていった。

 テーブルごと標的を始末するはずだったが、サクラの鉄拳が捉えたのは横倒しになったテーブルだけだった。


「アサシンにしちゃえらくハデなご登場じゃねーか、京極のサイバネ野郎ども」


 粉々になったテーブルから離れること窓際へ数メートル、サクラの一撃を回避した蒼いアーマーの男が嘲笑混じりに言い放った。


「いやはや、恐ろしいお嬢さんですねー。……ブラスト、命を狙われる心当たりは?」


 テーブルを挟むことブラストの対極、窓ガラスを背にして抜き放った二丁拳銃をサクラに向けながら首を傾げる黒い武装の男こそ、ハムドたちの標的、バード商会の傭兵『RAY.D.FUSE』だった。

 若干間延びした声色でブラストに尋ねるその姿からは、自身が標的であるなどという認識は微塵も感じられない。


 ブラスト――イヅナ精密電子が誇る精鋭部隊"法務部一課"のエース――という想定外の難敵に、ハムドはマスクの下で小さく舌打ちする。本心をいえば、ヒューズだけを始末して早々に離脱したい。だが、どう見ても共闘関係にあるブラストを無視することなど出来ようもなかった。

 いつから?そして何故?浮かんでくる様々な疑問を思考の外に追いやりつつ、次なる策略を巡らせながら、ハムドは努めて軽やかに、その口を開いた。


「改めまして、こんばんは、RAY.D.FUSE。残念だけど標的は君。恨みは無いけど、死んでもらわなきゃならない」

「え、私……ですか?」


 鳩が豆鉄砲を食らったような様子で、普段の間延びした口調さえ忘れてヒューズは思わず聞き返す。

 心外とばかりに少し眉根を寄せ答えを探すようにブラストに視線を飛ばすも、当のブラストも銃を構えたまま困惑気味に肩をすくめていた。


『ねぇハムド! ハムドってば! I.P.E.のブラストがいるなんて聞いてないわよ!? どうするつもり!?』


 テーブルを粉砕した姿勢のままヒューズに銃を向けられたサクラが、ハムドだけに聞こえる個別通信で狼狽を伝えてくる。


『彼を無視してあの傭兵を始末させて貰えるほど、ブラストは甘くない。強敵だけど、一緒に始末する以外の選択肢は無いよ』

『だけど……ッ!』


 言葉の外に込められた“撤退”の2文字を否定するように、ハムドは首を横に振った。


「サクラ、それにみんな。そっちの蒼いヤツは任せた。僕は……標的を片付ける」

「……分かったわよ。イヅナのエースなんて軽くぶっ潰して、Δチームの名を上げてやるわ!」


 ヒューズを見据えながら、ハムドのハンドサインで展開したVoid Δメンバーがブラストを取り囲む。そう、彼らにとって任務の遂行は絶対であり、撤退など許されるはずもなかった。


「僕もヒューズを倒してすぐに参戦する。サクラ、相手はイヅナのエースだ。油断しないように。君が指揮を執るんだ、いいね?」

「ふん、そっちこそ。速攻でブラストを倒してアンタに加勢してあげるから、美味しいところは残しておきなさい」


 しかし自身が発した言葉とは裏腹に、戦士の勘とでもいうべきものがハムドに警鐘を鳴らしていた。

 そんなハムドの胸中を察したかのように、ヒューズは銃口を持ち上げ狙いをサクラからハムドへと切り替えていく。


「解せませんねー? 暗殺対象を前に、ペラペラとよく喋る口です」

「関係ないよ。僕は狙った獲物は逃さない。それに、チームでのには部下とのコミュニケーションが大事だからね」

「フッ……ご高説、痛み入ります。……あぁ、いえ。少し、を思い出しただけですので。悪く思わないでくださいねー」


『Void』に命を狙われているという絶望的な状況であるにも関わらず、あくまでも自分のペースを崩そうとしないヒューズに、ハムドは僅かばかりの苛立ちと得体の知れない懐疑心を抱いていた。

 B級傭兵ごときが、イヅナのエースと手を組んだとは言えこうも余裕で居られるものだろうか?

 想定外の蒼き突風よりも、目の前にいる黒いB級傭兵が、何か得体の知れない強大なものに感じられてならなかった。


「私はしがない傭兵……大企業の精鋭部隊にお越し頂いても何のお構いも出来ませんし、見逃してくれてもバチは当たりませんよー?」


「悪いけどそれは出来ない。せめて苦しまないようにはしてあげるから、無駄な抵抗はやめてくれないか?」

「いやはや、そうですかー。それはそれは……お優しい暗殺者さんです、ねッ!」

「……ッ!?」


 ヒューズの銃口がハムドの視線と重なった瞬間、突如としてハムドは眼前の標的が放つドス黒い殺気に部屋が丸ごと飲み込まれたかのような錯覚に陥った。

 それはハムドだけでは無い。同じ空間にいるサクラたち他のメンバーでさえ身を竦めるような衝撃だった。


 硬直したその隙を逃す筈もなく、ヒューズは構えた双銃のトリガーを引く。

 立ち直ったハムドの視界に飛び込んで来たのは、やけにゆっくりと飛んでくる無数の弾丸。

 スローモーションになった感覚が元に戻ったのは、直撃した銃弾が小さな爆発を引き起こしハムドを壁際まで吹き飛ばした後だった。


「ハムドッ!?」

「ッ……大丈夫だ。“着弾時に炸裂する銃弾エクスプローダー“とは、容赦が無い」


 咄嗟の出来事に動揺を露わにするサクラ。己の無事を確認するように短く呼気を吐き出し、自身を覆う硝煙を引き裂いてハムドは立ち上がる。

 爆発した銃弾の直撃を受けたはずの頭部には傷どころか煤ひとつ無く、代わりに彼の右脚から硝煙が立ち昇っていた。

 着弾の瞬間、ハムドは反射的にサイボーグ化された脚を振り上げ銃弾を受け止め、自ら後ろに跳ぶことで爆風のダメージも最小限に抑えていた。


「それより、標的から視線を逸らすなんて間抜けにもほどがあるんじゃない?」


 周囲を見回して大きなため息をついたハムドが、苛立ちを隠そうともせずブラストがいた場所を顎でしゃくる。

 サクラたちが爆発音と吹き飛んだハムドに気を取られた数瞬の内に、ヒューズは背後のガラスを斬り裂いて空へと逃亡。ブラストも示し合わせたかのようにラウンジの窓を蹴破り、下の階へと逃げおおせていた。


『こちらノーマ。ハムド、標的が窓から逃走して飛行中。しくじるとはらしく無ぇな。……っと、わりぃ。気付かれて奴はまたビルの中だ』

『了解。君こそ、初撃を外すなんてらしく無いな』

『お互い様だろ。気ィ付けろよサブリーダー。アイツ……ただもんじゃねぇぞ』


 上空で待機していたノーマとの通信を終え、ハムドは指示を待つ部下たちを一瞥する。


「僕は予定通りヒューズを仕留める。サクラはみんなと一緒にブラストを追ってくれ。彼に任務が妨害されると厄介だ」


 頷くVoid Δのメンバーたち。サクラに突出しないようにと念を押して、ハムドはヒューズを追って薄暗い通路へと消えていく。

 鈍く橙に光る背部リアクターだけが、彼の朧げな輪郭を照らし出していた。


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