#3 -幕間- バード商会での会談

 

 窓から差し込む月明かりが、一枚の古ぼけた写真を照らしていた。

 写真に写っているのは1人の少年。大きなトロフィーを抱えて笑顔でVサインをしているその姿は、とても嬉しそうだった。

 少年の姿を懐かしむように写真の上を指がなぞっていく。

 顔、トロフィー、そして脚。一筆書きのように写真を撫でた指が、今度は自身の脚にそっと触れる。

 何かを期待するような手付きで触れたその脚はしかし、冷たく硬い金属の義足だった。


 自嘲気味に唇を歪めた手の主ーー20代前半くらいの青年は、写真を持ったまま背中からドサリとベッドに倒れ込む。

 ベッド脇にあるナイトテーブルの引き出しに写真を大事そうにしまい込むと、青年は瞼を閉じて息を吐き出した。

 途端、乱暴にドアを叩く音が部屋中に響く。


「明日は出撃よ、いつまでも起きてないで早く寝なさい?」


 姉のような口調で言う声の主に青年はやれやれと肩を竦める。今まさに寝ようとしていたところだ。なんて返せば、少なくとも10分はお小言を食らうに違いない。

 そんな確信めいた思いを隠して青年はわかったとだけ返事をすると、ドアの向こうからコツリと踵を返すような音が聞こえた。


「素直でよろしい。それじゃあ、おやすみハムド」

「おやすみ、サクラ」


 リズミカルに廊下を叩いて遠ざかっていく足音を聞きながら、ハムドと呼ばれた青年は再び瞼を閉じた。




 I.P.E.本社襲撃事件から1週間後、ブラストは自身の拠点であるメディオ地区から遠く離れた東北のリージョナルタワー“セヴェル地区”を訪れていた。


 大戦争に端を発する深刻な土壌汚染により、生き残った人類は住み慣れた大地を捨てざるを得なかった。国土の疲弊に喘ぐ『國』が打開策として建造を始めたのが、人工的に作り上げた複数の層をタワー状に積み上げた新たなる大地。リージョナルタワー、通称“リージョン”。

『國』の各地に建造されたリージョン同士を繋ぐ、連絡橋と呼ばれる長大な輸送路を走る列車に揺られて、2は常冬のこの地へとやってきたのだった。


 連絡橋の端部にあるターミナルから降り立ったブラストは、余りの寒さに慌てて荷物からコートを引っ張り出す。

 傍らでは、相棒バディである無口な狙撃手”カーム”も寒そうに襟を合わせていた。

 コートに袖を通して一息ついたブラストは、改めてセヴェル地区の玄関口を眺めやる。


 セヴェル地区中層、商業街区と呼ばれる地域の端部の一角、各リージョンを繋ぐ連絡橋の終点に存在するターミナルは、文字通り巨大な複合流通拠点だ。

 リージョン内部で生産された物資を集積し各地区へと送り届け、また逆に各リージョンから運ばれてきた物資をリージョン内部の各街区、各地域へと運搬するリージョンの心臓部。

 ターミナルのあちこちでせわしなく働く労働者たちもまた一癖ある者ばかりだが、今のブラストには関係のないことである。


 ブラストが普段こなす任務は拠点であるメディオ地区かその隣接地区が多かったこともあり、最北のリージョナルタワーであるこのセヴェル地区まで足を伸ばすのは数年ぶりだった。

 物珍しそうに雪化粧を纏う街並みを眺めていると、ゴツリと片方の脛に鈍痛が走る。

 目線を下に向けると、女物の無骨なブーツがブラストの左脚にめり込んでいた。

 ブーツから伸びる脚を見上げていけば、普段あまり表情を変えない相棒が不機嫌そうに眉根を寄せている。


「……寒い」


 女性にしてはやや低めの落ち着いた声色で、たった一言だけ苦言を呈する。

 休暇中の彼女に頼み込んで同行させたブラストは、カームの言葉に後ろめたいもの感じずにはいられない。

 周囲の気温が更に下がったような錯覚を覚えたブラストは、取り繕うように口を開いた。


「お客様には、最高級のホテルをご用意しております」


 どうにか場の空気を和ませようと、芝居がかった口調と共に差し出されたブラストの手を一瞥するカーム。

 手を取ることも無く、目を細めてブラストに続きを促した。


「場所は」

「中層上部、商業街区の一等地」

「部屋は」

「街並みを見下ろせるスウィート」

「食事は」

「コンシェルジュのオススメコース。季節のフルーツを添えて」

「…………そう」


 矢継ぎ早にブラストから聞きたい情報だけを聞き出した彼女は、こんな場所に長居は無用とばかりに自分の荷物を引いて歩いていく。

 差し出した手は最後まで触れられることも無く、薄っすらと雪が降り積もり始めていた。


 冷え切った手をコートのポケットにねじ込みながら、やれやれと肩をすくめてカームとは別方向へ歩き始める。

 遠くに見えるひと際大きな建造物、"バード商会セヴェル支部"へと。

 10年間探し求めた“真実”への手掛かりになるかもと、淡い期待を胸に秘めながら。



「いらっしゃいませ。遠路遥々、ようこそお越し下さいました。イヅナのエース、ブラスト」


 バード商会セヴェル支部の上層階、展望ラウンジでブラストを迎えたのは、1週間前に死闘を繰り広げたばかりのヒューズだった。

 苛烈を体現するかのような戦いぶりとは打って変わって、丁寧な所作でブラストをテーブルに着くよう促す。


「予想はしてたが、お互いフル装備とはな。やっぱりアンタも信用してないんだろう?」

「滅相もないですよー?ただ、フル装備こちらの方が『相応しい』かなと思いましてね」

「食えねぇ人だね。アンタも、さ」


 ともすれば敵陣のど真ん中であるというのに、ブラストの言動には余裕さえ見え隠れする。

 充てがわれた席にドカッと腰を付けると、息苦しそうにかぶりを振って顔を覆うマスクを脱ぎ去った。

 その様子を見て満足げに目を細めたヒューズも、顔を覆う装備を外して椅子に腰掛ける。


「何かお飲み物はー?」

「結構。得体の知れない物でも飲まされちゃ敵わなねぇよ。それよりも時間が惜しい。早く始めようぜ」

「そんなことしませんがねぇ? ……それでは、この度はバード商会セヴェル支部所属、B級傭兵ヒューズにご依頼頂きまして、誠にありがとうございます」

「おい……!」

「そう逸るな『蒼き突風』。様式美、というものだ」


 何の前触れもなく、ヒューズの纏う雰囲気が一変する。今の今まで見せていた温和な顔つきは消え失せ、猛禽を思わせる鋭い眼光でブラストを睨む。

 殺気さえ感じるその視線に思わずブラストの手がピクリと動き、脇に立て掛けた刀の位置を確かめる。

 かと思えばそのオーラもふわりと霧散し、再び優しげな顔付きへとヒューズは表情を戻すのだった。

 余りの豹変ぶりに、ブラストも脱力する他ない。


「やっぱ食えねぇわアンタ」

「お褒めに預かり光栄ですよ」


 それでは、と居住まいを正したヒューズが懐から取り出したのは、小さな金属片。テーブルの上を滑らせるように手元へとやってきたそれをつまみ上げて、ブラストは眉を顰めた。

 その小さな金属片の正体は、食いちぎられたような傷痕を残すドッグタグの破片だった。辛うじて、“IZUNA”の文字が読み取れる。


「それは、『烏』時代の私のドッグタグです。不要だったかもしれませんが、私の経歴が嘘偽りの無いことの証明となればと思いまして。あぁ、大事なものなので返してくださいね?」

「今更アンタがホラ吹きだなんて思っちゃいねぇよ『黒死鳥』サン」

「傭兵稼業は信用が第一ですからねー。――――10年前のあの日、私と『烏』の部隊は『國』の依頼を受けてとある物資の護送任務に就いていました。目的地はイヅナの秘密巨大プラント。貴方なら、聞いたこともあるでしょう?」

「【無限回廊】のことか。ただの護送任務が、なんで『烏の落日』に繋がる?」


 ドッグタグを投げ返し首を傾げるブラストに、ヒューズは尚も言葉を続ける。


「輸送車で連絡橋を走っていた私たちの前に立ちはだかったのが、あの男でした。鎧にも似た見たことも無い意匠のパワードスーツを身に纏ったあの男に、私たち『烏』は敗れた。部隊は全滅し、私も瀕死の重傷を負いました」

「ちょいまち。…おい、まさか『烏』全滅がソイツ1人の仕業ってことはねぇよな? 当時、イヅナ最強と呼ばれたあの『烏』だぞ?」


 驚きに目を見張るブラスト。圧倒的な強さを誇るその部隊の伝説を知るからこそ、たった1人に全滅させられたと言う事実などそう簡単に信じることは出来なかった。


「……その『まさか』が起こりうるなど、誰しも想像などし得なかったでしょうね。ですが事実として、たった1人の敵に我々は近付くことすら出来ないまま全滅しました」


 全滅、と繰り返すヒューズに、ブラストは嫌気が差したように眉を上げる。


「……アンタは?」

「……私は……ッ!」


 短く放たれたブラストの言葉。己の罪を問い質すかのようなその言葉にカッと胸が熱くなり、拳を握り締めてヒューズは反論しようとする。

 だが、血が出るほどに握り込んだドッグタグがもたらした鋭い痛みに気付いて我に返ると、息を吐きつつゆっくりと掌を開いた。


「……逃げた、のかもしれません。部下たちの死を目の当たりにし、驚愕と怒りと……恐怖を感じたことは覚えています。しかし気付くと、私は遠く離れた場所に血塗れで倒れていました」


 瞑目してドッグタグを一撫ですると、そのまま大事そうに首にかける。再び懐に手を入れたヒューズの手には、タバコが握られていた。

 頂いても?と尋ねるヒューズに、ブラストは無言で小さく頷く。

 手慣れた、無駄の無い動きでタバコに火を付け、煙と共に胸中に渦巻く澱を吐き出す。


「医者からは失血性のショックによる記憶障害だと言われましたよ。いずれにせよ、私は部下を失った上に任務も放棄した身。組織に戻れるはずもなく、名を変え、情報を集めるために凡庸な傭兵に身をやつして今に至る、というわけです。……部下の仇、あの男を討つために」


 自嘲気味に笑うヒューズだったが、その瞳の底に暗い炎のような復讐心が揺らめいているのをブラストは見逃さなかった。

 そんなブラストの洞察を知ってか知らでか、今日最初に会った時と同じような柔和な表情に戻り、ヒューズは言葉を締め括る。


「……以上が、『烏の落日』の真実です。貴方が知りたかった10年前の事件とは違うかもしれませんが、何かお役には立てたでしょうか?」


 ああ、多少はな。と返事を返したブラストだが、何かを思い立ったのか「待てよ?」と続ける。


「アンタの言う【鎧の男】が、先週見たアイツで間違い無いんだな?」

「ええ。断言します。奴こそ我が怨敵」


 言われて気付いたのか、ヒューズも不思議そうに首を傾げた。

 初対面であるはずの2人が、同じ鎧姿の人間を【鎧の男】と呼ぶ、その不可解な現象に。


「……そう言えば、貴方もあの男のことを知っている素振りでしたね。今度は、私がお聞きしてもよろしいですか?貴方と【鎧の男】との関係性を」


 吸い終わったタバコを握り潰し、ヒューズはブラストを見やる。

 腕組みして何事かを考え込んでいたブラストだったが、彼の視線に気付いてバツの悪そうに頭を掻いた。

 ヒューズが己の過去を語った以上、自分も語らねばならない。

 だが、力及ばず仲間を惨殺された弱い自分を曝け出すことに、大きな抵抗があった。


「俺は……『下層街区大虐殺』の生き残りだ」


 ポツリと漏らしたブラストの言葉に、ヒューズはほぅと息を漏らした。


「その事件は、えぇ。私も知っています。公式記録では生存者はゼロだったとも。まさか、あの事件にも【鎧の男】が関わっていたというのですか?」

「関わっていたも何も、大虐殺の張本人が【鎧の男】だよ」

「な、に……?」


 手の中で弄んでいたタバコの吸い殻が、ポトリと落ちる。言葉を続けようとしたヒューズだったが、声が出てこない。そうしてようやく、自分の唇が震えていることに気が付いた。


 そんなヒューズの様子を気にも留めず、ブラストは語る。大虐殺があった区域でギャング団の一員として生活を送っていたこと。【鎧の男】にギャング仲間を目の前で殺され、自身も死を覚悟したこと。目が覚めたらイヅナの施設にいて、【鎧の男】に復讐することを死んだ仲間に誓い、イヅナのスカウトを受けたこと。


 一言ひとことに憎悪を込めて、だが飄々とした物言いでブラストは語った。仲間を殺した【鎧の男】に復讐することが、俺の生きる目的だと。“アンタと同じだ”と。


 ブラストの語った下層街区大虐殺事件の真実を反芻しながら思案に耽るヒューズだったが、何か引っかかるものを感じていた。

 そうして考えることしばらく。ヒューズは弾かれたように顔を上げ、ブラストにとある疑問を投げかけた。


「我々が見落としている【鎧の男】による犯行が、他にもあるのではないでしょうか?」

「なんだって? いや待て、あの年は大きな競技大会で爆発事故がなかったか? あの事件にも、【鎧の男】が関わってるってのか?」

「4年に一度のオリンピアのことですね。可能性の域は出ませんが、我々には可能性というだけでも十分でしょう。私は取り急ぎ、その線から調査してみることにします」

「おう。俺も本社に戻って他にも大きな事件がなかったか報告書を洗ってみるわ」


 お願いします。と頭を下げるヒューズ。2人の顔に浮かぶのは、新たなる決意。

 折れた翼を休めていた烏の元に、雪解けを告げる風が舞い込んだ瞬間だった。

 10年間動きを止めていた歯車が、軋みを上げて動き始める。




 握手を交わし、地平線の彼方に沈みゆく太陽に目を細めていたブラストが、ふと呟く。


「そういえばよぉ、アンタ今日は大きな任務があるから、この建物は無人だと言ってたな?」

「ええ。私は貴方との先約がありましたし、装備の修復が今朝方終わったので出撃しませんでしたが、先日お伝えした通りこの建物に人はいません」

「清掃業者が入ったりは?」

「ありません」

「んじゃあ……」


 ブラストは一拍置いて、こう続けた。


「招かねざる客は、誰だろうな?」

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