#1 -RAY.D.FUSE- 大地を穿つ極光 1


 耳をつんざくようなけたたましいアラームの音に、男の意識は覚醒を余儀無くされた。

 アラームの発生源は枕元に置かれた業務用の携帯端末。はて、今日は非番だったはずだがと重たい瞼を薄く開いた。

 割り当てられた自身のスケジュールを夢うつつに思い返しながら首を傾げ、男はベッドから起き上がる。

 アラームを止めて起動した端末からホログラムが浮かび上がると、投影された映像に映る女性が軽く頭を下げた。

 彼女は男の所属する商会の本部に勤務するオペレーターの1人である。


「おはようございます。何かご用でしょうか? 僭越ながらヒューズの記憶に間違いがなければ、B級傭兵ヒューズは本日休暇になっていたはずですがー……」

『おはようございます、ヒューズ。本日ゼロロクマルマル付けで出撃可能なB級以下の傭兵に緊急任務が課されました。商会との契約に基づき、拒否権はございません。至急ブリーフィングルームに集合して下さい』


 必要な要件だけを機械的に伝え終えたオペレーターは、男――ヒューズの返事も待たずに一方的に通信を終える。

 安眠を邪魔されたことへの苦言の一つでも言おうかと思いもしたが、取り付く島もない。

 ヒューズはやれやれと肩をすくめると、テーブルに置いてあったタバコの箱から1本取り出して火を付ける。

 紫煙を燻らせながら新聞受けに入れられた朝刊を回収し、広げた拍子に目に留まったとある見出しにヒューズは眉を顰めた。


「あれから、もう10年ですか……」


 自嘲気味に唇の端を吊り上げる。次の瞬間、綺麗に折り畳まれた新聞は綺麗な弧を描いて宙を舞い、部屋に備え付けられた暖炉へと放り込まれた。


 味気ない栄養食を胃に流し込み、スーツに着替えたヒューズは商会に宛てがわれた自室を後にする。

 ヒューズが所属するこの組織の名は“バード商会”。

 遥か昔に各地を訪れ、歌うことによって生計を立てた吟遊詩人になぞらえた傭兵業を生業とする企業である。

 商会が派遣するのは戦闘員。歌の代わりに銃弾と鋼の刃で以て生計を立てる自治体や企業などに属さない組織の1つだ。


「タバコ、買いそびれましたねー。残念です」


 折角休暇を申請したのに緊急任務とは、本当にツキが悪い。

 残り僅かとなったタバコを手の中で弄びながら、ヒューズはブリーフィングルームへと歩みを進める。

 C級、いわゆる中堅以上の傭兵には、宿舎と制服が与えられる。少なくとも一人前に組織に貢献できることが認められた見返りとして提供されるこの設備を、ヒューズはそれなりに気に入っていた。


 通路を行き交う来歴も戦う理由もそれぞれ異なる同僚たちと挨拶を交わしながら、ヒューズはブリーフィングルームを目指す。

 同じ方向に向かう同僚たちの目が若干血走っているのは、ヒューズと同じように休暇を取り消しになった者たちだろうか。

 時節頭から蒸気を吹き上げている人間が通り過ぎるが、恐らく怒りでは無く施設内外の温度差のせいだろう。


 入会は自由。ただし完全なる実力社会であるバード商会は、低級でとぐろを巻く向上心の無い者には興味が無い。せいぜいが使い捨ての囮だ。この組織で最低限の生活を送るためには、戦果を上げてのし上がっていくしかない。


「制服のないC級未満の後輩たちはこの時期、厳しそうですねー。この地方の冬の寒さ、舐めてはいけませんよ。本当に」


 ヒューズが在籍するこのバード商会はセヴェル支部。文明崩壊前の日本という国の、本州と呼ばれた島の北部に位置するリージョンだ。

 四季のあるこの島に於いて季節は晩秋を通り過ぎ、一面を銀世界へと変える冬へと移り変わろうとしていた。


 目を細めて通り過ぎていく景色を眺めていたヒューズだったが、不意にとある扉の前で立ち止まり姿勢を正す。

 目的地、宿舎内に設けられたブリーフィングルームだ。


「B級傭兵、登録名称【RAY.D.FUSEレイ.ディ.ヒューズ】。到着しました」

『声紋及び網膜パターン、適合。登録名称【RAY.D.FUSEレイ.ディ.ヒューズ】のブリーフィングルームへの入室を許可』


 機械音声の復唱が終わると同時に自動ドアのロックが解除され、音も無くスライドしてヒューズを迎え入れる。

 入室したヒューズの背後で再び扉がロックされたのを確認して、ヒューズは手近な椅子に腰を下ろした。


 ヒューズの入室からしばらくの後、更に数人の入室者が席に着いたのが最後だったようで、ブリーフィングルーム前方の大型電子ボードに光が灯る。

 ヒューズは無意識にタバコを一本取り出して口に加えようとして、ブリーフィングルーム内は禁煙だったことを思い出して再び胸ポケットにしまい込んだ。


「B級が6人に、C級が10人ですか。D以下の雑兵は数えるだけ無駄ですねー。さて、休日を返上する程の任務、聞かせてもらいましょうか……」


 電子ボードを睨み付けるヒューズの双眸に、昏い炎が灯った。



『――以上で、緊急任務のブリーフィングを終了します。召集された各員は空戦装備に換装し輸送機に搭乗して下さい。激しい戦闘が想定されます。商会への利益を最大限に、損失を最小限に。戦果を期待します』


 定型句で締め括った無機質な女性オペレーターの一礼と共に電子ボードから光が消え、部屋の奥に設置された複数のエレベーターが稼働を開始する。

 このエレベーターは傭兵達の階級ごとのハンガーデッキが並ぶフロアへと繋がっており、ヒューズは迷い無く自身の該当する階級のエレベーターに数人の同僚と共に乗り込んだ。

 着いた先は建物の地階に存在するB級傭兵専用フロア。雇用契約で縛られる傭兵たちはここに装備を担保として預け、任務の際は商会支給の共通装備と自身の装備から必要な物を取捨選択して現地へと赴くのが規則だ。


 空いているハンガーデッキに携帯端末を翳し、小さな電子音と共に端末に登録された情報をスキャニング。

 少し待てば、ヒューズの体格に最適化された強化装甲服と愛用の武器たちが運搬用ドローンに積まれてバックヤードから運び込まれてくる。

 後はハンガーデッキの所定の位置に立てば、オートメーション化された装着シークエンスに則り装備の装着が完了する。

 通常であればこの規程の手順以外にすることはない。

 だが、ヒューズは何かに突き動かされるようにカスタマイズ用のコンソールに手を伸ばしていた。


「今回の緊急任務は些かばかりキナ臭いですからねー。少し保険を掛けておきましょうか」


 ヒューズが今装着したのは、短時間の空中戦闘、緊急離脱を可能にするスラスターが標準装備された空戦仕様の強化装甲服。

 その背面にスラスター用のプロペラントタンクを増設し、ついでにバックヤードから着地用の使い捨て反重力ユニットも呼び出してユーティリティーポーチに忍ばせる。

 このユニットは、どれだけ高高度・高速度からの垂直落下でも発生した衝撃を特定方向に逃し、地表に激突せずに着地できる。という非常に優れた逸品だ。

 基本的には装甲服に1つ装備されているものだが、ヒューズはその特性を活かしたとある戦術に使用するため、いつも複数のユニットを常備していた。


(まぁ、そう何度も使うことが無いといいですがねー?)


 最後に、十年来の相棒である『リリアナ』、『ヴェロニカ』という銘の付けられた黒と銀の二丁の拳銃に濡羽色ぬればいろの刀を二振り。計4つの武装をホルスターに納めると、周囲の喧騒に片目を眇めながらヒューズはハンガーラックを後にした。



 派遣先へと向かう商会所有の輸送機のキャビン内で、ヒューズは目を閉じて周囲の会話に耳をそば立てていた。

 別に、ヒューズは他者との関わりを嫌っている訳では無い。気の知れた同僚と宿舎内で出会えば挨拶もするし、なんなら後輩への気配りもよくしている方だ。

 だが、今回だけはどうにも胸のざわつきが収まらない。ただただ不穏な気配だけが、ヒューズの中で渦巻いている。


「なぁ聞いたか? 今回の緊急任務、報酬がバカみてぇに高ぇらしいぜ!?」

「しかも任務の内容も地方企業のプラントへの破壊工作だろ? 休日出勤だとアラームで叩き起こされた時には端末を殴り付けてやろうかと思ったが、存外ウチのお偉いさんからのボーナスみたいなモンかもな」

「でもよ? オペレーターが言うには依頼人は匿名らしいぞ? ちょっと怪しくないか?」

「お前はビビり過ぎなんだよ。どうせ企業同士の隠蔽工作だろ。A級S級の任務じゃよくある話だって噂だぞ」


 喧々轟々けんけんごうごうと騒ぎ立てる同僚たちの根も歯もない噂話に、流石のヒューズも俯いたまま顔をしかめる。


「なぁアンタ、今回の任務をどう思う?この船の中じゃアンタも俺と同じB級。今回は俺が指揮を取るが、階級が同じヤツの意見は聞いておきてぇ」


 そう言って話しかけてきたのは、6人いるB級傭兵の内の1人。装甲服の肩に装備した多連装ミサイルポッドと脇に置いたM61A1バルカン砲が一際目を引く全身をサイボーグ化した40代くらい男だ。


「そうですねー。クライアントを疑うのはご法度ですが、かなりグレーだと思いますよー? 『クライアント側の軍事用ドローンでプラントを破壊するから、撹乱のために敷地内に降下して破壊工作を行って欲しい』なんて任務に支払う報酬じゃありませんよ」


 ヒューズの言葉に、隣に座る男は考え込むように顔を伏せる。

 かと思えばイラつきを露わにするように踵を踏み鳴らし、唸りながら大きなため息を吐き出した。


「悪りぃが俺はそこまで考えちゃいなかった。胡散臭ぇ任務だが、司令部の指示に従っていれば大丈夫だとタカを括ってたよ」

「最悪、捨て駒にされた可能性も考えられますからねー。ついでに付け加えると、ブリーフィングで伝えられた降下ポイントとは真逆の方角に飛行してますよ」


 任務地点はダミーで確定。飛行時間と窓の外から僅かに見える景色からヒューズ目的地を推定したヒューズは、自身の嫌な予感を確信へとランクアップさせた。


「輸送機から降下し破壊目標である建造物が目視できた段階で、例えそれが何であったとしても、メンバー全員の全火力での攻撃を提案します」


 ヒューズに出来ることは、少しでもこちらの被害を減らし相手の気勢を削ぐことだけ。ひいては、ヒューズ自身が生き残るために。


「……分かった。アンタがそう言うなら、その作戦に俺も乗ろう。オラ聞け! 野郎共! 俺たちは降下しながら全力で見える物全てをぶっ壊す! 施設をより破壊したチームには特別ボーナスが出るって話だ。気張っていきやがれ!」


 肩のミサイルポッドを叩きながら、キャビン内の傭兵たちに言い聞かせるように男は叫ぶ。

 現場での指揮を任された者の言葉に、他のC級未満の傭兵たちも威勢よく返事を返していく。

 士気も高く、部隊全体の火力も申し分ない。これなら、なんとか降下中に狙撃で全滅……などという最悪の事態は免れるだろうとヒューズは評価を改めた。


「(それにしても古巣を強襲ですか。人生、何があるか分からないものですねー)」

「何か言ったか? あぁすまねぇ。俺の名前はアーノルドだ。脚は遅いが火力には自信がある。よろしく頼む」

「いえ、独言です。私はヒューズ、機動力を活かした強襲が得意です。よろしくお願いしますね」


 握手を交わしたヒューズとアーノルド、そして傭兵たちを載せた輸送機は本当の降下ポイントに向かって尚も飛び続ける。

 任務地点に到着したとの通信がオペレーターから届いたのは、2人の話し合いから更に1時間が経過した頃だった。



『作戦司令部より各員に伝達。間も無く、輸送機は降下ポイントに到着します』


 装甲服に搭載された通信機から発せられた音声に、輸送機のキャビンに乗った一同はその身を固くする。

 窓から見える巨大なリージョナルタワーに、ヒューズは口端を歪めた。その意味は諦念か、困惑か。


(いいえ。まだ、たかが『國』の最大手企業の一つ、その本社兼ラボに殴り込みを掛けただけです)


 ヒューズの思案をよそに、無機質なオペレーターの音声は続く。


『作戦地域では既に依頼者所有の戦闘用ドローンが展開中です。識別信号に留意し、誤射の発生にご注意ください。――後部ハッチ展開まで、カウント60、59、58……』


 オペレーターのカウントが進むにつれて、飛行する輸送機の振動が大きくなる。

 ハッチ展開のためだけでなく、浮き足だった傭兵たちが今更ながらガチャガチャと装備を点検し始めていた。


 それを見て、ヒューズはやれやれと肩を竦める。嘗て自身が率いていたとある部隊の出撃前の姿は、もっと泰然自若としていたものだと思い返し、かと自嘲気味に笑った。


 小さく鼻を鳴らすヒューズの横で、アーノルドが踵でキャビンの床を打ち鳴らす。

 現場指揮を任されたB級傭兵の動きに、騒いでいた傭兵たちの視線がアーノルドへと集まった。


「いいか野朗共! 後30秒もしねぇ内にハッチが開く。火器のセーフティを解除して、通信機の回線を開いておけ。降下中に先制攻撃を開始する。いいな!?」


 正に一喝。ハッチの展開とは別の意味でキャビンを震わせた傭兵たちの咆哮に、さしものヒューズも舌を巻いた。


「大したものですねー。傭兵を引退して政治家でも目指しませんか?」

「フン。言うことを聞くのは強い奴がいるか、士気が高い内だけだ。それに、新調したコイツの借金を返さねぇとな」


 自身の前に鎮座するM61A1バルカン砲を担ぎ上げながらそう言うと、アーノルドはおもむろにハッチの前まで移動する。

 開き始めたハッチの隙間から流れ込む風に吹き飛ばされないよう注意しながら横に並んで、ヒューズはアーノルドに背中を見せつけるためにわざと先陣を切るつもりかと問い掛けた。

 彼はそんなヒューズの言葉を鼻先で笑い飛ばし、装備が重たくてチンタラ待ってるのが嫌なんだと答えた。


『……3、2、1、ゼロ。ハッチの展開を確認。各員、速かに作戦行動を開始して下さい』

「ッ! 俺に続け、野朗共ォォォォッ!」


 雄叫びを上げながらキャビンから飛び出していくアーノルドの背を、ヒューズは笑みを浮かべて追い掛けた。


「本当に、貴方はここで死なせるには惜しい人ですよ!」


 アーノルドを追って飛び降りたヒューズの目に飛び込んできたのは、広大な敷地に整然と立ち並ぶビル群。その中でも一際高いビルの屋上にはためく社旗には【I.P.E.】の三文字が風に踊っていた。

 ポストアポカリプスとも言うべきこの世界で、独自の技術を発展させてきた『國』の電子技術・半導体技術を牽引する有数の大手企業『イヅナIzuna精密Presicion電子Electronic』、通称【I.P.E.】。

 その本社に、ヒューズたちは無謀にも襲撃を仕掛けていた。


『良かったですねー。事前の打ち合わせ通り、ドローンが先行して注意を引いてくれていますよ』

『バッカ野郎ヒューズてめぇ! 【I.P.E.】にケンカ吹っ掛けるなんて話聞いてねぇぇぞ!?』


 眼下に広がるビル群に弾丸のように垂直降下しながら個別回線で笑いかけると、案の定狼狽を露わにしたアーノルドの声が返ってくる。


『いいから撃て、アーノルド。賽はもう投げられた。……借金を返すんだろう?』


 1秒にも満たない逡巡するような間があり、個別回線が途切れる。次に通信機から聞こえた彼の声色は、先ほどキャビンで聞いた声と同じものだった。



 背後から追い抜いていく無数の銃弾を尻目に、ヒューズは尚も降下速度を上げていく。

 細かくスラスターを吹かせて軌道の修正をしつつ、他のビル群に比べると小さな5階建て程のビルの一つに狙いを定めたヒューズは、腰から二振りの刀を抜き放った。

 両手に持った刀を左肩に担ぐように振りかぶり、ビルと交差するその瞬間を待つ。

 垂直降下の莫大な運動エネルギーをそのままに、振り下ろされた濡羽色の刃は衝撃波さえ伴ってビルを両断していく。


 黒刀に纏わせた衝撃波はビルを容易く斬り裂き、ヒューズは全く勢いを落とすこと無く地表へと激突。

 強化装甲服着た上でも人体がバラバラになる程の衝撃は、しかしヒューズに襲い掛かることはない。

 激突の直前に起動した反重力ユニットが全ての運動エネルギーを吸収し、入射角とは反対方向へのエネルギーの解放を今か今かと待ちわびていた。


「黒刀二連――」


 肩から振り抜いた黒刀を瞬時に逆手に持ち替え、解放されんとする爆発的なエネルギーを充填。

 更に背部スラスターを一瞬だけ全開で起動した勢いも含めた全てを乗せて、質量を伴った暴風とも言うべき一閃を振り上げた。


「――鉤爪ッ!」


 上下合わせて4本の剣閃は、対象に急降下した隼の鉤爪にも似た傷跡を残す。

 時速300キロメートルを超える速さで繰り出されたその技は、中型のビルを基礎から浮き上がらせるだけに留まらず、その膨大な破壊力で以ってビル全体を悉く粉砕し尽くしたのだった。


 一瞬にして瓦礫の山となったビルの上に降り立ち、残心。使い終えた反重力ユニットを投げ捨てて、ヒューズは周囲を見回した。


「さて、あまり目立ち過ぎて『特務部』辺りに出くわしても頂けません。クライアントの戦闘用ドローンと合流するとしますかねー」

『作戦司令部より傭兵ヒューズ。単独先行は許可されていません。速かに作戦区域内へと後退してください』

「わかってますよー。それとも、内部に入り込み過ぎると困る理由でもー?」

『…………』


 オペレーターからの返事はない。ヒューズはやれやれと肩をすくめ、両手に持った刀を納刀する。

 続いて瓦礫の山から跳躍し、背部スラスターを起動。マニュアルから巡航モードに切り替えて、高度を上げていく。

 乱立するビル群の隙間を抜けるように50メートルほど上昇したところで一緒に降りたはずの同僚たちを探していると、突如として背後のビルの1つから狙撃を受けた。


 銃声とガラスの割れる音が聞こえた瞬間、身体に染み付いた反射を頼りに航空機のマニューバの1つであるスプリットSを模した機動で急速旋回。

 ガラスの割れたビルの1室に狙いを定めて、ホルスターから引き抜いた二丁の拳銃でバースト射撃の乱打を浴びせる。

 ビルとの距離は20メートルほど。拳銃の有効射程距離としてはギリギリだが、生憎とヒューズの任務内容に構成員の殺害は含まれていない。

 牽制を目的として1マガジン分を撃ちながら、別のビルで狙撃手からの射線を遮断するように後退する。


「流石は『イヅナ』の法務部、そこらの木端企業の連中とは練度が違いますね。危ない危ない」


『國』内でも最高峰の実力を誇る【I.P.E.】の私兵を相手取るという極限状況の中、それでもヒューズは笑みを絶やさない。

 両手の銃をホルスターに納め、ビルの陰に身を潜めながらアーノルドや他の同僚たちに連絡を取ろうと通信機に手を掛けたヒューズの耳に、オペレーターからの切迫した通信が飛び込んでくる。


『作戦司令部より傭兵ヒューズ。付近で高エネルギー反応を検知。化学薬品への誘爆と思われます。危険です、後退して下さい』

「傭兵ヒューズより作戦司令部。『イヅナ』の戦闘員及び所属不明の人型を発見。その指示は受諾できません』


 オペレーターの苦言をバッサリと切り捨てたヒューズの視線は、爆発音の発生源付近で対峙する2つの人影に釘付けになっていた。

 10年間、片時も忘れることなど無かったその鎧のシルエット。

 傭兵業に身をやつし調査を進めて尚、その気配すら掴むことが出来なかったその存在――【鎧の男】。


「…………ッ!!」


 気が付けば、ヒューズは飛び出していた。背部スラスターを全力で吹かし、黒刀を抜く時間すら惜しみ声にならない叫びを上げながら一直線に【鎧の男】へと我が身を突き動かす。

【鎧の男】の上空数メートルまで迫ったところで、【鎧の男】の周囲に散らばる薬品に火が回ったのか断続的な爆発が起きる。

 煙と炎の中に【鎧の男】の姿がかき消えていくが、構わず炎の中に突入する。

 強化装甲服に包まれても感じるほどの熱気に相反するように、不思議とヒューズの心は氷のように冷え切っていた。


 炎に消えゆく【鎧の男】を目視。スラスターの出力を更に限界ギリギリまで上げて、ヒューズは鎧の端部に手を伸ばした。


(獲った……!)


 間違いなくにその手に捉えたと確信するがしかし、ヒューズの手は虚しく空を切っていた。

 慌てて炎に巻かれた周囲を見回すも、その姿はすでになく。掴み損ねた掌を握り締め、大地へと叩き付ける。


『変革の時は来た……』


 脳裏に響く謎の言葉だけを残し、【鎧の男】は消え去った。

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