邪魔者

三鹿ショート

邪魔者

 好事魔多しとは、よく言ったものだ。

 妻との間に待望の子どもが誕生し、会社での昇進が決まった私が浮かれてしまうことは、無理からぬ話である。

 自然と笑顔を浮かべることが多くなったが、新たに採用された人間を目にしたとき、私は夢でも見ているのではないかと己の頬を抓った。

 だが、蠱惑的な微笑を浮かべながら私の人差し指を撫でる人間は、彼女以外に存在していない。

 私は個室が用意されている飲食店に彼女を呼び出すと、どういうつもりなのかと問うた。

 しかし、彼女は悪びれる様子も無く、

「この再会は偶然以外の何物でもありません。ですが、あなたが働いているのならば、どれほど多忙でも乗り切ることが出来そうですね」

 そう告げると、彼女は私の隣に移動し、何の躊躇いもなく私の股間に手を伸ばした。

 だが、私はその手を払いのけると、

「私には、愛する妻が存在している。きみとの関係を再燃させるつもりはない」

「安心してください。私も、結婚しています」

「ならば、何故」

 私の問いに、彼女は呆れた様子で息を吐くと、

「夫は私を愛してくれているのですが、その気持ちがあまりにも真っ直ぐであるために、息苦しさを感じてしまうのです。私が望むのならば、何でも言うことを聞くとまで口にしているのですよ」

「愛されることは、良いことではないか」

「私が求めているものは、そのような清いものではありません。あなたならば、知っていることでしょう」

 そう告げられ、私は彼女との日々を思い出してしまった。


***


 彼女と出会ったのは、学生時代だった。

 同じ学校の後輩である彼女は、私が所属していた部活動の世話人として、部員たちを支えてくれていた。

 そんな彼女が、人気の無い部室で私の運動服の匂いを嗅ぎながら、己の股座に手を突っ込んでいた。

 あまりの光景に立ち尽くしている私に向かって、彼女は手招きをした。

 若い私は些細なことに対しても興奮を覚えてしまうために、下着姿の彼女が身体を密着させてくれば、それに溺れてしまうことは仕方の無いことだろう。

 それ以来、我々は学校の至る場所にて互いの肉体を貪った。

 無人の教室で、学校の便所で、時には廊下でも行為を愉しんだ。

 それだけではなく、深夜の公園で互いに一糸まとわずに接合したことも、一度や二度ではない。

 欲望に爛れた生活を送り続けた結果か、私は希望していた大学に進むことができなかった。

 両親からそのことを咎められたことで、私はようやく我に返った。

 どれほど彼女から連絡が来ようとも全て無視し、私は勉学に励んだ。

 その結果、希望する大学に合格し、其処で現在の妻と出会い、無事に就職することが出来たのである。

 私にとって、彼女は堕落の誘発剤だった。

 ゆえに、接触することは避けなければならなかった。

 しかし、我々は再会してしまった。

 私が拒否を示し続ければ問題は起こらないのだろうが、彼女を前にすると、眠っていた私の若さが再び顔を出してしまう。

 何事も無く彼女と別れることができたが、自宅に戻るまで我慢することができず、公園の公衆便所に立ち寄ると、当時のことを思い出しながら己を慰めた。


***


 それから彼女は、隙を見れば私を誘惑するような行為を繰り返した。

 会社での食事会では私の隣に座ると太腿を撫で続け、酔った振りをして私にしなだれかかってきた。

 私の出張には手伝いを申し出、手違いと称して同じ部屋を取ることもあった。

 全てにおいて、私は彼女を受け入れることがないように努力してきたが、我慢も限界に近付いてきていた。

 もしも彼女が煽情的な格好で迫ってきたとすれば、おそらく私は彼女の肉体に飛び込むことだろう。

 だが、学生時代とは異なり、今の私には守るべきものが多い。

 ゆえに、私は己の欲望に負けるわけにはいかなかったのである。

 綱渡りのような日々だが、妻や子どものことを考えることで、なんとか落下することは避けられていた。

 しかし、思わぬ横槍によって、私は落下することになった。


***


 仕事終わりに立ち寄った飲食店で彼女から差し出されたものは、数葉の写真だった。

 そこに写っていたのは、見知らぬ男性と共に全裸を披露している私の妻だった。

 私がそれを手に震えていると、彼女がその男性について語った。

「それは、私の夫です。以前、会社で行われた家族を交えての食事会で知り合い、やがて深い関係に至ったのでしょうね」

「きみの夫は、きみを愛しているのではなかったのか。これは裏切り行為ではないか」

 私の言葉に、彼女は首肯を返した。

「私が愛してくれないことを不満に思ったのでしょう。夫婦の問題をあなたの妻に相談しているうちに、親しくなったという可能性が高いですね」

 私は写真を手に項垂れた。

 私が彼女と一線を越えないように努めていたにも関わらず、妻が私を裏切るとは、想像もしていなかった。

 一体、私の妻は何が不満だったのだろうか。

 子どもだけではなく、妻にも愛情を注いでいたが、足りなかったとでもいうのだろうか。

 あらゆる可能性を考えていると、不意に彼女が唇を重ねてきた。

 突然の行為に目を見開き、彼女を押しやるが、思っていたよりも力が入らなかった。

 彼女は微笑を浮かべると、写真を指差しながら、

「互いの配偶者が先に裏切ったのですから、我々が裏切ったとしても、問題は無いでしょう」

 その言葉で、私の心は完全に打ち砕かれた。

 私は彼女に飛びかかると、その唇を奪いながら、衣服の下に手を滑り込ませていく。

 彼女の肉体は、かつて味わったような若々しさは無かったが、妻よりも具合が良かった。


***


「きみの頼みとはいえ、別の女性と身体を重ねることには抵抗がありましたよ」

「それでも私の頼みを聞いてくれるとは、さすが私の愛する夫ですね」

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邪魔者 三鹿ショート @mijikashort

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