第37話 ころすころすころすころすころすころすころすころす。私の大事なご主人様にあんなあんなあんなあんな、汚い言葉で侮辱して、許さない。しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね

 馬面男がもう一本の鎖を陰から引き揚げたその時。

 影から出てきた鎖に繋がれたソレを見て、俺は絶句する。


「人間の……女の子?」


 まだ若い。俺と同い年くらいか……それ以下か。

 服と呼ぶには一瞬悩むほどにボロボロの布に身を包んだ少女。

 黒髪のショートボブの似合う可愛らしい顔立ち。けれど、それよりも目について離れないのは、身体のあちこちあるあざや傷。

 日常的に暴力を振るわれ、それでいて何の治療も施してもらっていないのが一目で分かる身体。

 痛々しくて、思わず奥歯に力が入る。


「何だよ、何なんだよ。その子は……」


 この子も人異の契約をした魔物なのか……いやでも、この子はどう見たって……。


「何って……俺のシャドウリザードは自分と同じ重さまでなら、影の中に物質をしまっておけるんだよ。長旅には便利なんだぜ、これが」

「そうじゃねえ!!! だって……その子、人間だろ? なんでそんな……」

「ああん? なんでって……そりゃ、こいつは俺の奴隷だからな」

「奴隷……?」


 訳が分からない。こいつは何を当たり前のように話している?

 奴隷って何だよ……女の子に暴力振るって、物みたいに影に入れて運んで?

 何でコイツはそれを、偉そうに、自慢げに、当たり前のように話してるんだ?


「だって、人間同士じゃ人異の契約は出来ないはずだろ、なのに奴隷なんて……いや、人異の契約さえしてれば異種族に何をしてもいいってわけじゃないけど」

「何をてめぇ、ぶつぶつと言ってやがる! この女は自分の身すら守れない弱者だから、仕方なく優しい俺様が守ってやってんだよ」


 馬面は淡々と、それが当然であるかのように、ヘドロの言葉を垂れ流す。


「ああ、安心しろよ。毎度毎度、そんなに長く影に入れてるわけじゃねえからよ。つーか、影の中は何も見えない真っ暗な空間らしくってな。あまりに長く入れてると気が触れちまうんだよ。だから、最近はちゃんと気を付けるようにしてるぜ」


 最近……って、じゃあそれより前は?

 だめだ。とにかく怒りで脳回路が焼き切れそうだった。

 これ以上、この馬面と話したくない。


「ロッテ!」

「言われなくても、もう終わったわよ」


 見ると、馬面バーナビーとやらの顔面が、何やら紫色の液体で濡れている。


「なんだぁ、この女! いきなり水なんかかけてきやがって……って、お、ふぐぅ……うおぉぉ、なんじゃこりゃぁぁぁぁ」


 馬面男はさっさと鎖から手を放し、冷や汗だらけの真っ青な顔で、近くの商店に駆け込む。


「秘儀、超強力下剤――経皮けいひ吸収型。これであの男は、一週間はトイレから離れられないわ!」

「一週間って……効果が長すぎて引くわ」


 でも……いい気味だ。


「――殺さなかったんだな?」

「ツクモがぶっ殺す! って顔してたから、逆に殺るの止めた」

「なんだそれ」

「このアスタロッテ様は、アンタの思惑通りには動いてやらないってことよ」

「何だよ。悪魔のクセにいい子ちゃんかよ」


 でも、少し、安心した。


 それにしても常識人だよな、この悪魔……っと、こんな触ったら死ぬ毒悪魔に構っている場合じゃなかった。


「大丈夫かい、美しいキミ。もう大丈夫だよ! あの馬面ウマヅラはボクが退治してあげたからね」

「やったの私なのに、さらっと嘘つくわよね」

「うっさいだまれ」


 ロッテをしっしと追い払い、俺は傷だらけの少女に手を差し伸べる。だが、少女は俺の手を払いのけ、憎しみの目を向ける。


「ふざけないでよ! 誰が助けてくれなんて頼んだ!? これであの人が私を見限ったらどうしてくれるの!」


 何で助けたはずの自分が罵倒されるのか。理解が追い付かなくて、一瞬自分の耳がおかしくなったのかと思った。


「み、見限るも何も、あいつはキミにこんな酷いことを――」

「それが何!? だとしてもアンタには関係ない話でしょ!」

「関係ないって、だって……あんな酷い目に遭ってたら助けるのは当然で……っていうかおかしいだろ」


 俺は良かれと思って。キミを助けたのに。


「こんな酷いことされて……それなのに、どうしてあんなクズと一緒に居るんだよ?」

「馬鹿じゃないの!? そんなの、あの人が強いからに決まってるでしょ!」

「は……?」

「アンタ分かってんの? 戦争してんのよ? もしあの人が居なかったら、こんな世界じゃ私は生きていけない。魔物に食われて死ぬか、飢え死にするかしかないのよ!」


 少女の瞳は憎しみと恐怖で濁っていた。


「それとも何? アナタがわたしの命を守ってくれるの!? 生活の面倒を見てくれるっての!? 無理よね、アンタ弱そうだもの。今だって、毒だか何だか知らないけど、卑怯な手で勝っただけじゃない」

「でも、そうだとしても、キミのことを大事にしないあんな男と一緒に居たって幸せになんか――」


 だが、俺が言い切る前に、少女は笑い、吐き捨てる。


「幸せって何? 頭湧いてんの!? 生きるか死ぬかってこの状況で、大事にしてくれるとかくれないとか……笑えるわ。じゃあ、優しくて私を大切にしてくれる男なら魔物から私を守れるの!? 水や食料を手に入れられる? 屋根のある所で眠らせてくれるの?」

「それは……」


 優しさでは、出来ることに限度があるかもしれない。

 特に、こんな混乱した状況では……。


「優しいとか大事にするとか、何の価値も無いのよ。ヒーロー気取りだか何だか知らないけど、最後まで面倒見る気がないなら、余計なこと――」


 言いかけた少女の顔に紫の液体がびしゃりと当たる。


「きゃっ、ちょっと、なに急に…………な、何だか、ちょ、うあっ――」


 少しの猶予もないのか、下腹部を抑えて、慌てて男の後を追って消えていく女。

 俺は、その背中を無言で見送ることしかできなかった。

 可愛い子だった……のに、怖かった。

 怖いというより、必死なだけだったのかもしれない。


「今のロッテの仕業か?」

「ふふん。秘儀、超強力利尿剤――経皮吸収型よ」


 ばきゅんと指で銃を撃つような仕草でウィンクする大悪魔。

 意外にさまになっているのが、なんかムカつく。


「命令してないってのに、余計なことしやがって……」

「別にいいでしょ。私がやりたかったからやっただけだもん。それに私がやらなかったら、さっきの二人ヴリトラに殺されてたわよ?」


 その言葉に振り返ると、黒く長い髪をメデューサのようにうねらせているヴリトラが立っていた。

 瞳はグルグルと闇に染まり、小さく、それでいてめっちゃ早口で呪いの言葉を呟いている。

 クルリが何とかなだめてくれているが、大爆発待ったなしという感じだ。


「ころすころすころすころすころすころすころすころす。私の大事なご主人様にあんなあんなあんなあんな、汚い言葉で侮辱して、許さない。しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね」


 こっわ。

 さっきまで馬車酔いでぐったりしてたのに、いつの間にか復活してたんだな。復活して即コレはホラー以外の何物でもないが。


「ほらほら、落ち着けよしよし。俺は平気だから。でも、俺のために怒ってくれてありがとうなヴリトラ」


 そう言って頭を撫でてやると、穴の開いた風船のようにぷしゅーっと怒りが抜けて、メデューサの髪がしんなりと落ちる。


「うへへへ。ご主人様、しゅき。人気ひとけのない薄暗い路地裏行く?」

「行かねーよ!」

「じゃあ、クルリとホテルに行きましょう。この書類にサインさえしてくれれば、クルリにどんな酷いエッチなことをしても、ゾンビに噛まれたと思って忘れてあげますよ!」

「せめて犬であれよ!」

 

 ったく、油断も隙も無いなこいつらは。


「それにしてもツクモなんか言ってたわねー。『人異の契約さえしてれば異種族相手に何やったっていいわけじゃない』――だっけ? ご主人様カッコイイー」


 ロッテがぷぷぷと口元を抑えて笑う。


「お前絶対にバカにしてるだろ」

「馬鹿になんてしてないわよ。ただ、ほーんと甘っちょろくてツクモっぽいなーと思っただけ」

「やっぱり、馬鹿にしてるじゃねえか!」


 俺の言葉に、ロッテは少し浮かれたように、妙に優し気な笑みを浮かると、小さな声でポツリと何かを呟いた。


「…………その甘っちょろい考え、私はキライじゃないけどね」

「なんか言ったか?」


「んーん、なんでもなーい」

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