第20話 これほどまでの反転術式を俺は見たことがないぞ

 ――俺が冷たい水の底に沈められてからどれだけの時間が経っただろうか。


「おらぁぁぁ、完全ふっかーーーーつ!」


 いつの間にか地上に引き上げられていた俺はスッキリとした意識と共に勢いよく起き上がる。

 この世界に来てから何度も経験した死からの覚醒。

 慣れたものである。


「げほ、げほ、マジで苦しかった……八回も死んだぞ。絶対、あれ十五分じゃなかっただろ!」


 窒息で意識を失ってもすぐに死ぬわけじゃない。なのにこれだけ死んだってことは……。


「うん。『あと五分、あと五分だけ~』って何回も引き延ばしてもらったから。大体、一時間四十五分くらい?」

「映画観れるじゃん!」

 

 この悪魔め、朝起きられない人みたいな台詞で雑に俺を殺しやがって。

 くっそー。せいぜい一、二回死ぬだけで済むと思ったのに。


 これで残りの命は63個。


 ……完全に計算外だ。

 ロッテ、後で覚えてろよ。

 くすぐりの刑にしてやる。マニアックなエロ漫画みたいにな!


「ていうか、今の状況はどうなってる? 俺の無実は証明されたのか?」


 例のごとく周囲の状況を確認すると、どうやら俺は水から引き揚げられた後、檻から出されたらしい。


「ま、まさか、本当に生きて生還するなんて……」


 その声に振り向くと、目の前には驚きの表情を浮かべるクルリ。

 無意識なんだろうけど壊滅的に酷いこと言ってやがるな。


 更に、周囲を囲むのは信じられないモノを目撃したかのようにピクリとも動かない民衆たち。


「ん? 何だよ、死ななかったんだから無罪放免だろ? 俺、冒険者になりたいんだけど、今度こそギルドに入ってもいいよね……って、あれ? 何で誰も、何も言わないの?」


 異様な雰囲気に戸惑う俺の元へ、俯いたままふらふらと近づいてくるクルリ。

 クルリがその顔を上げると――なんと号泣していた。


「申し訳ありませんでしたぁぁぁ。ツクモ様こそ創星主様に選ばれた真の英雄ですぅぅぅぅ」

「えええぇえぇぇぇ!?」


 泣きながら抱き着いてくるクルリ。


「え、え、何、急に? 逆に怖い!」

「かつて英雄と呼ばれた者は数あれど、最凶最悪の悪魔族と人異の契約を結んだのはツクモ様ただ一人! あなた様は、創星主様が与えたもうた最大の試練を乗り越えた唯一の人間。まさしく、選ばれし勇者様ですぅぅ!!!」


「態度の反転具合が凄い!!!」


 これほどまでの反転術式を俺は見たことがないぞ。


 気が付くと、さっきまで「沈めろ!」「殺せ!」と罵声を浴びせてきていた街の人間たちも「ツクモ!」「ツクモ!」「ツッツッツッツ、ツクモっ!」と俺への盛大な歓迎への声を上げていた。


 ちょっと、テンポが三々七拍子っぽいのが気になるが。

 やっぱり少し馬鹿にしてない?


「ツクモ様。今日はお疲れでしょう。歓迎の宴を開きますので、宿でお待ちください。この街で一番のお部屋を用意させますので」


 感動で瞳を潤ませながら、上目遣いに微笑みかけて来るクルリ。


 うあ、ヤバい。かわいい。

 明らかに宗教地雷系のやばいシスターだとは分かっているのに、理性の横っ面をひっぱたかれるような可愛いクライシスが俺を襲う。


 綺麗なお姉さんから絵を買っちゃったり、怪しい自己啓発セミナーに連れて行かれるモテない大学生の気持ちが分かった気がするぜ……。



        ◇


 クルリの案内の元、俺とロッテは街一番だという宿に案内される。


「へぇ~結構立派な宿じゃない。本当に、ここの一番いい部屋借りちゃって良いの?」


 普通にうきうきしてるロッテ。

 完全に旅行気分である。

 まぁ、十年も引きこもってたんだから、今は何見ても楽しいに違いない。


「別に、お前のために用意したわけではありません。この駄肉悪魔!」

「誰が駄肉悪魔よ! それにね、アンタは知らないかも知れないけど、ツクモは私のおっぱい大好きなんだから! 何しろ初対面で胸に顔埋めすぎて窒息死したんだからね!!! だからこれは無駄な肉じゃないの! 意味のある肉なの!」

「話を盛るな!」

「おっぱい触って死んだのは本当じゃない」

「本当だからこそ止めろ!」


 それと――


「……お前の能力も、俺の能力も口外するなよ。危険だからな」


 俺は小声でロッテに注意を促す。

 異能力バトル物では、相手に自分の能力を知られることが、即、死に繋がる。

 この世界にどんな強者が居るのかはまだよく分からないが、普段から警戒するに越したことは無いだろう。


 正直、クルリだって本当に信用していいものか、まだ怪しいしな。


「はいはい、分かったわよ」 


 面倒そうに口を尖らせるロッテ。

 そんな彼女を引き連れて、俺は宿の二階奥の部屋へと入る。 


「おおー広い部屋だな。さすが街一番って言うだけのことはある。街も結構大きかったし、冒険の拠点としては申し分ないな」


「ここエトラスは大陸の南に位置する街で、大陸南部の資源や物資は一旦この街に集められて王都へ運ばれるため、結構栄えているんですよ」


 クルリがお茶を注ぎながら解説してくれる。


「へえ、交易都市ってやつか? もしくはでかい宿場町か……」

「はい、ですがそれだけでなく、大陸の南部は比較的弱い魔物が多く生息しているので、王都から出発した新米冒険者が最初に目指す街としても有名ですね」


 おお、ゲームで言うところの始まりの街ってやつか。

 転生後、いきなり川に落とされた時はどうなることかと思ったが、結果オーライだな。

 ラストダンジョン前の村とかだったらどうしようかと思ったわ。

 村を一歩出ると、序盤中盤のボスをあざ笑うかのような強力なザコ敵が闊歩してるんだよなぁ。


「お隣いいですかぁ?」


 と、自分の分の茶も注いだクルリがポスっと俺の隣に座る。

 一人分の体重で少し沈む高級そうなソファー。

 肩が触れる……というかぴったりくっつかれる。クルリの小さくてすべすべな手が俺の太ももにするりと置かれる。


「…………おっふ」


 知ってる。分かってる。承知している。

 クルリは俺を利用したいだけなんだ。俺のことを英雄だか勇者だかと思い込んでるから、創星教に入信させたいだけなんだ。


「……えっと、本当にこんないい部屋借りちゃって良いのかな? 俺たち、あまり金持ってないんだけど」

「気になさらないで下さい。伝説の勇者様をお迎えしているのにお金なんて取るはずないじゃないですか。当然、この後に開かれる宴会も無料ですよ」


 なんか至れり尽くせりだな。

 でも、それほどまでに俺が悪魔であるロッテを調伏ちょうふくしている事実が大きいということなのだろう。


「え、でも、なんか悪いな。勇者とか言われても、別に街を困らせてる邪竜を退治した~とか、何か実績があるわけでもないのに」

「……いえいえ、気にしないで下さい。普段からどれだけ贅沢しても教会の経費で落ちますから! クルリのふところは痛くも痒くもありません!」


 今なんか、宗教の闇みたいなのを聞いてしまったような気もするが……深く突っ込むのは止めておこう。


「ちょっと、ツクモ信用して大丈夫。そいつさっきまでアンタのことを殺そうとしてたのよ。30秒男とかいってディスってたのよ。絶対に信用しちゃダメだからね」


 周囲の物に安易に触れられないロッテが、魔法でぷかぷか浮かびながらジト目で言う。

 

「30秒男とかいってディスってたのはお前も同罪だからね!」 


 どうでもいいけど、自称大悪魔の割に普通に助言してくれるのな?

 あと、なんか空中に浮いてるところ、ちょっとラムちゃんみたいだな。


「あら、たかだか使い魔の分際で、完璧美少女のクルリちゃんに嫉妬ですか?」


 ……本当に完璧なやつは、自分のこと完璧とは言わんと思うが。


「た、たかだか……この私に向かって……」

「それに、クルリは30秒男なんて言っていません。確か、あの時は30発男と言ったのです」

「どんだけ性欲魔人なんだよ! それはそれである種の悪口だからな!」


「何だったら、30発どころか、50~80喜んで、最後までお付き合いしますよ?」

「ぼふぅt!?」


 どこぞの保険会社のCMのようなクルリのエロ台詞に、俺は口にしていたお茶を思い切り吹き出す。


 どこまで本気なのか、意味が分かって言っているのか、蠱惑的な笑みを浮かべる宗教勧誘系地雷シスター、クルリ・クルックー。


 何と言うか……破滅願望をくすぐられる意地の悪い可愛らしさだ。

 この笑顔で微笑みかけられたら、男だったら誰だって、改宗した上で全財産お布施したくなってしまうだろう。

 そんな美少女エロシスターが俺にしなだれかかって、耳元で甘く囁いてくれるこの現実。

 クルリに憧れてる信者は、山のように居るんだろうな――と考えると優越感がヤバい。


「どうしたんですか、ツクモ様? ころころ表情を変えちゃって……かわいい」

「………………」 


 あっぶねー、ちょっと地雷踏んでもいいかなって思っちゃったじゃねえか!

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