あの部屋
上田一樹
第1話――依頼人
二〇二〇年 三月十日。
眠そうな目を擦りながら、両手を上げ、大きく背伸びをする。
二日連続、車での寝泊まりで、今日はずっと一日中頭が重い。
エンジンをかけて、すぐ目の前にある山へと車を走らせた。
見た感じ、それほど大きい山ではない。
頂上まで片道一車線の国道は通っているが、街灯は全くない。
目撃情報が多数の時間帯である二十三時過ぎ。
真っ暗の中、ヘッドライトを照らし、ゆっくりとしたスピードで坂を上がって行く。車は一台も見かけない。
数日前、『守護天使』と名乗る謎のクライアントからの依頼だった。
「土瘤山に出没する鬼を調べて欲しい。白い服を着て背が低く、頭に
彼の名前は、
探偵だ。しかし、普通のそれとは少し色合いが異なっていた。
「夫の不倫リサーチから『超常現象』まで」
彼に対する依頼の九割は、末尾の『超常現象』に関するものだった。
彼は元刑事でありながら、霊感が人より鋭かった。現役時代には、その独特の『個性』で様々な事件を解決し、署内どころか東京の警察中にもその噂は知れ渡っていた。その評判を聞いて、彼の元にクライアントが殺到した。
「毎晩、誰かが布団の上から私の胸を押さえつけています。助けてください」とか。「死んだ母の霊に会いたいんです」とか。「私の守護霊と交信したいんです」とか。
内容は、ほとんどがスピリチュアル一色だった。さらには、個人的な事情ばかりでなく「ユーフォーを近所で目撃しました。詳細をリサーチしてほしい」など、好奇心のために依頼するクライアントも増えた。オカルトやスピリチュアルに関心のある富裕層からのものだ。
そのため、相川は、刑事時代には抵抗のあった除霊の仕方まで独学で覚えた。
厳密に言うと彼のある知り合いの『情報』から、伝授してもらったという方が正しい。
スピ系の本や、陰陽道、仏教、神道、悪魔学――。様々な精神世界の教養を身に付け、気が付くと彼自身、自らを『裏探偵』などと名乗るようになっていた。
しかし、好調な時期もあれば、そうでない時もある。彼自身の素直すぎる性格も災いした。前にあげた依頼の例で言うと、「死んだ母の霊に会いたいんです」という四十九歳女性に対しては、
「私には見えません。申し訳ありません」
と、会って数分も経たないうちに、あっさりと突っ撥ねた。彼の言い分では、「実際に見えないからどうしようもない」ということらしい。
また別の、
「私の守護霊様と交信したいんです。次のレースに勝つには、どうしたらいいですか?」
という三十八歳の無職男性に対しては、
「守護霊さんは、働いてお金を稼ぎなさいと言ってます。あなたはギャンブルには百パーセント向いてません。今後も負け続けるでしょう。楽して金儲けしようなんて思う方が甘い」
と言い放ち、相手を怒らせ、喫茶店で掴み合いになったこともある。
不器用というか、ちょっと避けるということができない性格で、もっと率直に言うと、世渡りがド下手くそだった。
そんな事を繰り返しているうちに、次第に依頼は減少傾向へ推移していき気づけば消費者金融での借り入れが増え、家賃や光熱費の滞納も増えていった。昨夜も車の中で過ごしたのは、滞納してる家賃を取り立てに来る大家から一時凌ぎに逃げるためだった。
頂上付近まで来て、相川は片手で煙草に火をつけた。
「……やっぱりな。鬼なんているわけないだろ。霊視できるからって、化けもんが何でも見えるとでも思ってやがるのか」
そうボやきながら眠そうに欠伸し、下りに差し掛かった時だった。
左側に何かが目に入った。
一瞬で通り過ぎたので、よく見えなかった。
バックミラーを見ると、確かに何かいる。
慌ててブレーキを踏んで、路肩に車を停めた。ハザードランプを点滅させ、煙草の火を消し、バックミラーから左のサイドミラーへ視線を移した。
何かが、動いているのが見えた。ミラーに顔を近づけてみると、どうやら人らしい。
相川は慌てて、ジャンパーの内ポケットからペンライトを取り出し、運転席側のドアを開けた。そして、車を降り、その人らしきものがいる方向に光を当てた。
車から二十メートルほど先に白い服を着た人物が、ゆっくりとこちらへ歩いているのが見えた。
その人物はライトに照らされたにも関わらず、一切反応せずに、小刻みな歩き方で少しずつ近づいて来る。
相川は躊躇いながらも声を上げた。
「すいませーん!」
反応はなかった。彼はゆっくりと前へ、足を踏み出した。
そして、もう一度、声を張り上げた。
「すいませーん! ここで何をされているんですか!」
変わらず反応は返ってこない。
とても、歩幅が小さく、一瞬足を怪我をしているのかと思った。
「あの……大丈夫ですか?」
その差を十メートル、七メートル……と縮めていく。徐々にその人物の見た目が、はっきりと見えてきた。
白装束を着ており、顔は見えなかった。
黒い髪は肩まであり、その前髪がすべて顔を覆い尽くしていたからだ。
相川は少し怖くなり、唾を呑み込んで、もう一度声をかけた。
「何かありましたか? 随分歩きにくそうですが……」
もう目と鼻の先の三メートルぐらいまで近づと、ようやく、その人物が止まった。
「どこか怪我をされたんですか……?」
依然として黙り込んでいる。相川は、反応のない相手に戸惑いながら周囲に目を泳がせた。
その時だった。
その人物の右背後に生い茂る木々の間に、何かが見えた。
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