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《人形作家・初川透の記録》には、彼の経歴や手がけた人形作品について書かれていた。彼は都内の美術大学に進学し、知人の誘いで観に行った人形劇団で人形作りに出会ったという。彼の作る人形は、どれも美しいが瞳の奥に光を湛えていないように見え、人の心の中にあるさみしさを否が応でも映し出してしまうようなところがあった。二回の結婚、離婚。子供を二人設けている。そして、未成年への暴行罪で逮捕された経歴が二回あった。
「これ、君だよね」
善人は本の中の一枚の写真を指差して、澪に言った。<ファンタジイワールド 製作の軌跡>という特集ページで、初川が手掛けたというこのアトラクションがどのようにして製作されたかが書かれている。その中に、人形の澪と初川が二人で写っている写真があった。縁の厚いメガネをかけ、無精ひげを生やした初川が、澪を抱えて椅子に座っている。初川はじっとカメラを見つめているが、澪は焦点の合わない目で初川に身を預けていた。善人はなんとなく居心地が悪くなって、その写真から目をそらし、写真の下の文章に目を移した。
「『初川は、ファンタジイワールドの完成前に心不全で逝去。56歳だった。』。」
だから未完成なのか。
舟はまた、あてもなく前へ前へと進んでいった。
「ほかにも、僕みたいにここに迷い込んでくる人はいるの?」
僕は澪に言った。澪は、つまらなそうに本をぱらぱらとめくっている。岸では、白いぼろぼろの掘っ立て小屋が一つ、誰も招き入れたくなさそうに建っている。
「いても、あなたよりずっと小さな子たちよ」
子供の時だけの体験、ということか。少なくとも、周りの同い年の奴らよりは大人びていると思っていたから、なんだか不服だった。
「君はいつからここにいるの?」
とりとめもなく、僕は質問を続けた。どこまでも続きそうな青と白の世界に、半ば親しみさせ感じ始めていた。
「多分、あの人が死んだときから。ここは、あの人が私と一緒にいるために造った場所だから」
「じゃあ、あの…初川って人もここにいるの?」
僕はさっき見た初川と澪が写っている写真を思い出し、ぞっとした。
「それはないわ。あの人は人間だから、ここでは暮らせない。私と暮らすことを仮想して作った世界なの。だから、ほかの人たちには入れないのよ。あなたみたいに、迷い込んでくる人たちは別にしてね」
やっぱり、どうしてそれがわかるのか気になったけど、尋ねるのはやめておいた。人形が、作った者の気持ちがわかるのは、当然のことなのかもしれない。
「ただ、時々声は聞こえるわ。『さみしい、置いていかないでくれ』って」
彼女は細い腕で膝を抱えて言った。
「でもどうしてあげることもできない。私だけが未完成のままここに残されてるんだから」
「君も…澪も、未完成なの?」
「ええ。私だけ。ほかの人形はみんな完成させて、私だけ手元に残すために」
それじゃあ、澪だけが独りぼっちじゃないか。
「だって、こんなにあちこち動いたり、話したりする人形なんて、おかしいじゃない。未完成よ。」
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